天国のカウンセラー Ⅴ

 それからの彼女の診療は、比較的順調といえた。

 だが、実際のところは彼女にしか分からない。このまま彼女が私で良いと言ってくれる間は、しっかり寄り添っていけたらと思う。


 今は母親のことが気がかりなようだった。夫のDVから抜け出し、女手一つで育ててくれたという母。

 私も死後、母のことだけが気掛かりだった。彼女の気持ちは痛いほど分かる。


 今日も彼女は予約を入れている。

 これから診察する初診の患者の後に入ってくるようだ。



 今日も今日とて、施設は盛況だった。

 さて次の患者は。山積みになったカルテに目を通す。

 と同時に、思わず声を漏らした。


「………こいつ……」


 52歳。男性。死因・他殺。

 それらのプロフィールの下の欄には、余罪アリの記載。

 罪状の欄には簡潔に〝暴行・強姦〟とあった。


 余罪という単語は下界での使われ方とほぼ同義で、生前露呈していない罪のことを指す。

 付随資料を制作する際、〝獄卒〟と呼ばれる存在によって、おおよそ自我が芽生え始めた頃からの記憶を何年もかけてじっくりと検証と記録がなされる。

 獄卒───天国の公務員である天使に対する、地獄の公務員のようなものだ。


 審判の時、獄卒は対象者の記憶を視ることが許されている。

 ポイ捨て程度の罪から未解決の完全犯罪まで、露呈していないあらゆる犯罪が丸裸にされる。

 だからいつまで経っても長蛇の列が解消されないのだ、天国は……まあ、今はそんな愚痴は置いておいて。



 そこで、強盗や詐欺師といった、明らかに悪意をもって罪を犯した人間は、一発で地獄行きの裁きが下される。

 ただそういった輩は、それに至るまでの経緯や事情を汲んで、また別な審査を行う場合があるのだが……それは地獄側の仕事なので、今回は言及しないでおく。


 さて。こいつは余罪アリでも天国行きだと判断されている。

 詳細はカルテを最後まで見ないことには分からないが、その後は善良な生き方をしていたのかもしれない。もしくは、更生の余地があると判断されたのか……。


「代わりましょうか?」


 あの同僚からのお声がけがあった。

 先ほどの言葉で何かを察したのだろう。女性には辛い現場だと判断したのか。


 だが、その程度の理由で代わってもらうわけにはいかない。

 気持ちだけもらっておく、と断って、私は診療室へと向かう。


 思うところのある患者だったが――以前も言った通り、この施設の天使が行うべきはカウンセリング。

 生前の余罪について、私から問い質すことはないし、その必要もない。



 診療室には、既に例の男性がいた。

 初対面の印象は、年齢の割には挙動不審。カクカクと膝をゆすり、爪を噛んでいる。

 だが私を見つけるや否や、ヘラヘラとした調子になった。


「カウンセラーってお姉ちゃん? いやー可愛い人で良かったわ~。ほんとに天使みたい!」


 男性はそう言って身を乗り出すと、私が聞くまでもなく、自分の身の上話を語り始めた。

 それも、死因に掛る話だけでなく、出生から学生時代、新卒時代まで洗い浚いだ。

 確かに不憫ではあったが、話が愚痴まじりで誇張も多く、冗長だったため、要点をかいつまんで以下にメモをしておく。


 男性の死因は他殺。

 昔、同級生からのいじめを受けていたらしい。最初は過度ないじりから始まり、自殺を考えるまで苛烈になっていったと。


「俺も辛かったんすよ………学校でもいじめられて、いざ社会に出たら会社でも家でもいびられて………で、それまではちゃんと絶ってたんすよ? でもあの、ちょっと気がまいっちゃって、出会い系……みたいな? やつを始めて。」


 すっとぼけても無駄だ。出会い系で女を漁っているのは、大学生時代からだと資料にしっかりと記載されている。

 あからさまな年齢偽装をした未成年や、闘病中の配偶者がいる既婚女性、妊娠初期の女性…その他数十名の女性と性的関係に、と記載がある。向こうの女性も相当なものだ。

 一概に悪だとは言えないし言わないが、こういった類の欲求の発散をしたことのない個人としては気分が悪くなる。


「それでメンヘラな子に当たっちゃって~……まぁ俺もメンヘラなんすけどぉ。その子、若くて可愛かったんですけど、若いのに子供堕ろしてて………でも俺、我慢したんですよ? 気持ち悪かったけど。んで、その子に殺されちゃって」


 かなり経緯を端折ったな……詳しい原因は何だろうかとカルテに書き込んでいる風を装って、資料に視線を移す。

 死因の詳細は、その女性との首絞めプレイの一環によるものだった。他殺には違いないが、これで死んだとは口が裂けても言えないだろう。ここには深く言及しないでおこう。


「可笑しいですよね? 急に殺されるって」

「そうですね……いかなる状況においても、殺人は正当化されませんよ」

「ホントっすよ! あ~あ。まだまだこれからだったのに……あの女……」


 あくまでも被害者という立場に居たいらしい。

 資料との食い違いや、その場しのぎの取り繕いがあまりに多い。本人があまりに嘘が下手なので、どれもカルテを見る前に嘘だと察せたが……。


 常識の範囲内でクズだが、極悪人ではない。小心者な子悪党といった印象を受けた。

 幼少期に家庭や学校で暴力を受けたりした人間が、それまでの反動で立場の弱い者に対して加害するのはよくある。

 彼も中学生時代、いじめられていたようだし。嘘ばかりで塗り固められた男だったが、カルテを見るにそれは事実のようだった。



 ただ不思議なことに、ここまで話を聞いても、例の余罪に関する話が一切出てこない。

 故意に隠しているのか、はたまた完全に忘れているのか……。

 カルテの余罪の欄の続きを見ると、泥酔状態で友人の彼女を強姦、とあった。



 …お言葉に甘えて、次はあの同僚にやってもらおう。あの同僚は確か、こういう欲望まみれな人間のカウンセリングが大好物だった。

 天界のトンデモ技術を駆使して、同僚を美少女にでも見せるホログラムを使ってやれば、この男も喜ぶだろう。


 ……それにしても。

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