天国のカウンセラー Ⅵ

 何か、何かが、引っかかる。


 ここは罪を裁く場所ではない。

 あくまで患者に寄り添わねばならない。それが100%の嘘であっても。


 …この男に対してバイアスが掛かっているのは、自分でも重々承知だ。

 だが、ここまでやっておいて、果たして天国行きになるのだろうか?



 不満を垂れて満足気な男の背中を見送りつつ、私は再度カルテに目をやる。


 確かに、よくあることではあった。

 よくあること───



 私は即座に、男の出生年の記載されているページを開く。


 次に男の方に視線を移すと、廊下と待合室への扉を開ける寸前だった。

 すべてを理解した私は声を上げた。


「馬鹿!! 扉閉めろ!!!!」


 思わず普段の口調を出してしまった。

 それくらい焦っていた。


 扉の前の待合室に、次の患者が立っていた。すぐこの診療室に向かえるように、診療室が見える位置にいたらしい。


 こちらを見るや否や、診察室に駆け寄ってくる。

 私や他の職員が止めに入る前に、その患者は拳を振りかぶった。


 あの少女だった。

 あの、以前カウンセリングした、自殺者の。

 今日も予約が入っていた。



 気が抜けていた。

 よくある話で、珍しい話ではなかったから。


 ―――死後、加害者と被害者同士が、数十年の時を跨いで、同じ施設で、同じ日に、立て続けにカウンセリングを受けるなんて状況のほうが、よっぽど珍しい―――



 瞬間、その場一体が、水色のモヤに包まれる。


 住民にストレスを与えないようにするための天国特有のシステムだ。感情の高ぶりを察知すると即座に展開される。

 外部からは全く別な映像がホログラムのように見えるという優れものだ。本当にこれがあって助かった。


 でなければ―――男が少女に馬乗りになって殴られている現場が、精神的に不安定になっている他の患者に晒されるところだった。



 痛みは通じない。接触する肉体も、感触を伝える神経も、痛みを発する脳も無いのだから。

 ただ意識に〝殴っている〟という印象が伝わり、相手にも〝殴られている〟という印象が伝わるだけ。

 虚しい時間だった。


「落ち着いてください!」


 慌てて二人に駆け寄ろうとした直後、今度は赤い光が瞬く。

 その後、光は稲妻のように垂直に空間を裂き、その隙間から、動物の頭を持った禍々しい容姿の二足歩行の生物を遣わせた。


 例の獄卒というやつだ。

 彼らも患者たちにはもちろん見えないようになっている。目にしただけで精神力が削れてしまうような姿だからだ。


 そんな獄卒もまた、見た目は異形なれど天使と同じく元人間だ。

 ごくまれに、本当にごくまれにだが、ヒューマンエラーを起こす。

 ただ、それが今、こんな最悪な奇跡を伴ってそれが起きるなんて……。


「スミマセン天使さん。配送ミスだったみたいで。コイツ、本当は地獄行きです」

「ふざけんな!! 今何兆分の一ってくらいの確立の大事故が起こったぞ!!」

「スミマセン。ビミョーなラインの人だったんで………」


 獄卒に怒号を投げた。これも彼女や他の患者に聞こえないように処理されている、はずだ。


 だが…私も油断していた。本当にあってはいけないことをしてしまった。

 生前の被害者と加害者を鉢合わせるなんて。



 よくある事件で、しかも二人の年齢が違ったから気付けなかった。

 先程カルテを確認して分かった。彼らは同い年だ。そして、同じ学校出身。

 男は、かつて少女を自殺に追いやった男子生徒その人だ。


 きっと、あの行列の所為だろう。

 罪人は審査しやすい。ほんの少しでも罪人としての条件を満たした時点で、地獄行きにできるからだ。死後、すぐに移送される。


 反対に、天国に行ける善良な人間というのは、今際の際まで厳密な審査が必要だ。

 少女は自殺後、男が中年に差し掛かるほどの時間で、綿密な審査を重ね、やっと天国行きだと判断され、こちらに移送されたのだろう―――だから、天国行きの行列はいつまで経っても解消されないのだ。



 私の所為でもある。だが怒りがどうにも収まらなかった。

 もう一声、獄卒に八つ当たりも同然の罵声を浴びせてやろうと口を開く―――が、その怒号は、他の声にもみ消された。


「お前は地獄行きだ!! ざまあみろ!! ざまあみろッ!!!!」


 獄卒と二人して声のした方を見遣る。


 あれほど大人しかった少女が、鬼の形相で叫んでいた。

 頬を見えない涙が伝っていた。

 見た目が年老いていても分かるのだろう。自分を自殺に追いやった人間だと。


 男の方はというと、押し倒されはしたものの、モヤの所為で彼女の姿は見えていないようだった。

 呆気にとられた表情を浮かべている。

 だが恐らく、実際に彼女を見ても、同じような表情を浮かべるだろう。

 きっと、彼女が誰なのか、男は覚えていない。


 彼女が警備の天使たちに連れていかれている間、私はただ、自分の不甲斐なさに打ち震えることしかできなかった。

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