天国のカウンセラー Ⅲ

「転入先の学校で、クラスメイトの男の子と付き合っていました」


 友人も多く、明るい男だったという。

 ヒエラルキーで最もトップのグループに属している。


 その男子生徒を仮にAとする。

 転入したての頃、よく世話になったそうだ。当初は友人もおらず、他の女子生徒とも距離があったそうで、ありがたかったと。

 だが、話しかけられるのはいつも決まって放課後だった。


 そしてある日の放課後。体育館裏に連れ込まれ、襲われたらしい。


「それから……断ったら死ぬって脅されて、付き合うことになりました……」


 突然の急展開に唖然とした。

 カルテに書かれている通りではある。が、本当に間髪入れずにそんな話に飛躍したとは。


 彼女自身も一時期自殺をしようとしていた時期があったため、情が移り、また懇意にしてくれていたこともあって断り切れなかったという。

 資料を見ずとも分かる。断れない性格なのだろう。それに加えて父親による虐待もあったようだから、特に男性に脅されてしまっては断れないだろう。


 その後、Aはやはり性行為を迫ってきた。あまりにしつこく、遂に折れてしまった。

 だが事後、Aの態度は激変する。

 それまで彼女に分かりやすく優しくしていたのが急に淡白になり、しきりに別れを勧めるようになったのだという。うっかりと〝体の相性が合わなかった〟と本音をこぼしたこともあるそうだ。それだけには留まらず、暴力も振るわれた。

 耐え兼ねていざ別れると、Aは即座に別の女子生徒と付き合い始めた。よく彼が話しかけていた女子で、彼女の数少ない友人だった。


 よくある話だった。当人もそう思い気にしないようにしていたそう。

 だが、ここからが問題だった。彼女が別の男子生徒と付き合い始めると、またも事態がまたも急変する。


「その子から、友人ぐるみで嫌がらせを受けるようになりました………」


 それまで学校だけでなく、知人にも交際をひた隠しにしていたAだったが、突如彼女の実名を出し、あの女に色仕掛けをされて付き合ったら裏切られたと触れ回った。

 交友関係の広かったAのデマは、瞬く間に学校内に広がった。


 訳が分からなかったという。確かに珍しい部類だった。この手の人間は別れてそのままフェードアウトするのが大半だったが、攻撃をしてくるケースはまれだった。

 強姦未遂の口封じだろうか? 先手を打てば有利だと思ったのかもしれない。実際、そのデマはAに有利な状況を作り出した。


 交友関係の広いAに敵うはずもなかった。大人しく、元々他の生徒と距離があった彼女は、いびりやいじめ以上の扱いを受けるようになった。

 友人と新しい彼氏からの対応もお察しの通りだ。彼女を信じる者はおらず、四面楚歌になった。


「もちろん認めるとは思っていませんでしたが、悔しくてこれまでのことを電話で問い詰めました。全部覚えていないの一点張りで………『証拠が無いんだろ、ざまあみろ、悔しいだろ』って………」


 無罪の人間が証拠を出せ、と言うのなら分かるが……後半はもう逃げ切りが確定した犯人のそれじゃないか。

 向こうも相当切羽詰まっていたのが伺える。


 カルテに付随している資料がある。これは、審判の際に彼女の視界を介した映像をそのまま文字に起こしたもの。

 幻覚や幻聴などは、記憶に残っても記録には残らないため、ここに記されているものはありのままの事実だ。


 資料を見てみる。電話の内容は───彼女を罵倒したり、時折何かを殴る音も聞こえた、とのこと。異常に声が震えており、質問の答えにも多くの矛盾が見られたという。

 あまりのAの情けなさに思わずため息が出そうになった。

 PCで彼女の実際の記憶から抽出した音声を聞くこともできたが、聞く気にはなれなかった。


 苦肉の策で、先ほどの電話の録音を学校へ提出した。

 決定打に欠ける内容ではあるが、別にこれは裁判に提出する証拠ではない。これを聞けば異常を感じて、流石に呼び出しはするだろう。

 だが案の定、翌日にはなかったことになっていた。もみ消されたのか、はたまたAの電話の状態から、逆に彼が脅されていると取ったのか。


 心配をかけまいと思ったようで、母親や友人にも相談はしなかった。


「証拠もないし、そのうち、いじめっ子たちから妄想だと謗られるようになって………自分でも本当かどうか分からなくなって。それから………」


 その先は言われなくても分かった。


 悲しいが、よくあることだった。

 だからといって許される話ではないし、それで気をしっかり持てなどと残酷なことを言うつもりもなかったが。

 だがそれは当人も理解していたようだった。だからこそ我慢しようと思ったのだろう。


「天使さんに、聞いてもらえてよかった」


 話を聞いているうちに、彼女の中で渦巻いていた感情の正体が見えてくる。

 誰かにずっと打ち明けたかったのだろう。


 加害者に対して怒ってほしい人。一緒に泣いてほしい人。多くの人間に周知してほしい人。ただ黙ってそばにいてほしい人。

 いろんな人がいた。そういった患者のデータは億をゆうに超えている。それでも適切な対応が制定されてないのが実情だった。人への対応はそう簡単には型に嵌められない。

 ひとまず事実のみを伝える。


「死後の世界では、生前の世界と違って犯罪は浮き彫りになります。加害者は必ず罰される。いずれ、そいつも死んだら地獄行きになるから………」


 だが実際のところ、このAという男がどう審判されるかは分からなかった。

 もしも本当に自殺を考えていて情緒不安定になっていた人間であれば、強姦未遂も突然の嫌がらせも、情状酌量の余地があると判断される。

 そんな事実は伝えなくても良い。なんにせよ、今後の彼女には関係のない話だ。


「それでも………」


 彼女は俯きがちにこぼした。


「私の人生は、戻ってこないんですよね」


 そうだ。

 死んでしまえば、もう取り返しがつかない。


 天国はある程度下界を模倣した世界だ。だが現実世界の代替品にはこれっぽっちもならない。できることも限られている。

 生前親しかった者や両親も、ここにはいない。


 彼女に、これ以上の未来はないのだ。


「だから、天国があるんですよ」


 死者の悲しみに寄り添うには、同じ死者でも、カウンセラーでも、あまりにも無力だった。

 当人でない人間には、その場しのぎの気休めの言葉を使うことしかできなかった。

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