第3話 太陽の消えた世界で

「そうか、これは君たちのおばあちゃんの言葉だったんだね」


 祖母との会話を伊月さんに話すと、どこか納得したようにうなずいた。


「秋葉が前に言っていたんだ。私には私のことを愛してくれた素敵なおばあちゃんがいたんだって。そのおばあちゃんは、今も昔も自分の人生の光なんだって」

「似たようなことを、ばあちゃんのお葬式のときにも言ってました」


 祖母の葬儀の日、式を飛び出して葬儀会場の入り口で泣いていた俺を姉は静かに抱きしめてくれた。


『俺、分からないよ。ばあちゃんの言っていたこと』

『そうだね。私も全部理解できたわけじゃないけど......』


 さらに強い力で、姉が抱きしめる。


『おばあちゃんはこうやって誰かと寄り添ってほしいっていうことを言っていたんじゃないかな』


 姉の腕の中からそっと顔をあげると、姉は涙を流しながらも俺を安心させるように微笑んでいた。


『私達がすべきなのはずっと悲しむことじゃない。いつか誰かに、私達には私達をすごく愛してくれたおばあちゃんがいたんだって笑って話せるように、この悲しみを乗り越えること。この人生が終わったその先でおばあちゃんに会えたら、全力で私達なりに精一杯未来を生きたんだよって笑って言えるように、いまを生きていくこと』


『そのために、寄り添って生きていくの。だって一人じゃこの悲しみに耐えられないから』



「俺にとっては、姉ちゃんもばあちゃんと同じくらい大きい存在だったんですよ」


 あのとき姉がいなければ、俺は祖母の言ったように悲しみに溺れてしまっていたかもしれない。


「伊月さんにとって、姉はどんな人でしたか?」


 俺の言葉に伊月さんは驚いた表情を浮かべ、少し思案したあとこぼすように告げた。


「太陽みたいな人、かな」


 過去を思い出すかのようにゆっくりと空を見上げ、伊月さんは静かに話し始めた。


「最初は、憧れに近い気持ちだったんだ。明るくて、人の痛みみたいなものに敏感な彼女は学校でもたくさん友達がいたしね。でも彼女に関わるにつれ、憧れが好きになって、気づいたら彼女のことをいつも目で追いかけてた」


 伊月さんは姉の眠る墓石へと目を向ける。まるでそこに愛おしい人がいるように優しく目を細める。


「彼女は俺の光で太陽なんだ。それは、好きになる前も、好きになったあとも今も変わらない」


 それは君も一緒だろうと、静かに微笑んで伊月さんが問う。そうですねと俺も小さく答える。


「そういえば伊月さん、なんで今日俺を誘ったんですか?色々言ってましたけど、それ以外の理由があったのかなって」

「んー、特に明確ななにかがあったわけじゃないんだけど」


 少し思案したあと、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。


「秋葉の言葉で、少しだけ前を向けて、色々なことに区切りがついたとき少し思ったんだよね。一ノ瀬くんはどうしてるかなって。一ノ瀬くんも僕と同じように、前を向こうって、生きようって抗ってるかもしれない。もしくは、まだ悲しみの渦にいるかもしれない。そう思ったら、会いに行きたくなったっていうか......」


 うまく言葉がまとまらないのか、ガリガリと伊月さんは頭をかく。

 

「もしかしたらただ単純に、話したかったのかもしれない。誰かと、秋葉のこと」


 その言葉に、なんだか泣きたくなった。ずっと、姉がいなくなったときから胸にわだかまっていた言葉を伊月さんに言い当てられたことに苦笑が漏れる。


「俺も、誰かと話したかったんです。姉ちゃんのこと」


 落ち込んでいた俺を笑わせるために変な踊りをしてくれた、家族思いのあの人を。


 泣いていた俺に寄り添ってくれた、やさしいあの人を。


 天真爛漫でいつも笑っているけれど、誰よりも繊細で泣き虫なあの人を。


 太陽みたいに明るく俺を照らしてくれた大切な姉のことを、俺は話したかった。この悲しみを分かち合いたかった。姉を、忘れたくなかった。


 俺の言葉に伊月さんは優しく微笑んだあと、涙目の俺の頭を優しく撫でて俺達意外と似た者同士なのかもねと笑った。


「そろそろ帰ろうか」

「......あの、伊月さん」


 前を歩く伊月さんの背に、静かに声を掛ける。ん?と振り返った伊月さんの髪が夕暮れ色に染まりふわりと揺れる。


「また会って、姉ちゃんのこと一緒に話しませんか?」


 姉のことを過去にするためにはきっと、誰かと話していくことが必要だと思ったから。伊月さんはじっと俺を見つめたあと、ニカッと微笑んだ。


「もちろん。そのときは、一ノ瀬くんから連絡ちょうだいね」


 ニヤッと少しいたずらっぽく放たれた言葉に、はいと微笑んで答える。


 日が沈みかける夕暮れの空を、伊月さんとともに歩いていく。冷たい夜風が墓石に備えられた向日葵を優しく揺らした。








 グツグツと煮込んだカレーから香ばしい匂いが漂う。小さな小皿にルーを少し入れ味見をすると、ピリッとしたほのかな辛さが舌に残る。姉ほどではないがなかなかいいものが出来た。ガチャンと鍵の開く音に慌てて火を消す。ドアを開き入ってきた母さん父さんは、俺を見るなり驚いた表情で目を見開いた。


「......おかえり。母さん、父さん」

「湊?どうしたの、こんな時間まで起きて」


 時計を見ると22時を過ぎたところだった。そんな時間になっていた事にも驚いたが、想像通りの母さんの反応に思わず苦笑が漏れる。


 目を伏せ、今日の出来事を思い出す。伊月さんが悲しみの渦の中にいるかもしれないと言ったとき、俺の脳裏に浮かんだのは両親の姿だった。


 姉が事故にあってからますます仕事に打ち込むようになった両親。それは、悲しみを紛らわせるためだったのだろう。一緒に過ごせる時間は少なかったけど、両親が俺達のことをちゃんと愛してくれていたことは俺も姉もちゃんとわかっていた。


 静かに両親の顔を見上げる、やつれてしまった二人の顔から悲しみが痛いほど伝わる。時間だけでは埋められない悲しみがあることを俺は知っている。


「カレー作ったんだ。久しぶりに3人で食べない?俺、二人に話したいことがたくさんあるんだ」


 父さんと母さんは俺を見つめ、少し泣きそうな顔を浮かべた。


『未来を見つめて』

 

 祖母と姉の残した言葉が胸にこだまする。話すことで背負える悲しみがあることを俺は伊月さんに教えてもらった。だから、たくさん話したい。悲しみもやるせなさもいつか過去にできるように。三人で未来を歩けるように。


「湊がせっかく作ってくれたんだ。みんなで食べよう」


 沈黙を破ったのは父さんだった。俺の作ったカレーを見てうまそうだと優しく微笑む。つられてカレーを見つめた母さんもわずかに微笑む。


「......ええそうね」


 久しぶりに見た母さんの笑顔に息が詰まる。じゃあ早く盛り付けようかと、父さんが明るく声をかける。


 部屋に飾られた向日葵に目を向け静かに微笑む。


 太陽の消えた世界でも俺達は生きていく。






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太陽の消えた世界で 綾崎 翡翠 @neko0482inko

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