20_ エリザベス・ライナメイス

 楽団が奏でるワルツに合わせて、数組のペアが会場の中央に歩み出た。


 その中で、アイビスとヴェルナーも手を取り合い向かい合う。

 この日のためにアイビスはヴェルナーに頼んでダンスの練習に励んでいた。夜会が久々であるため、必然とダンスも数年ぶりとなる。

 学園時代にみっちり仕込まれていたので、時間が空いても不思議なもので身体がステップを覚えていた。一応ヴェルナーのお墨付きを貰っているが、いざ人前で踊るとなると少し緊張する。


「大丈夫、練習通りに。元々アイビスはダンスが上手だから何も心配することはない」

「え?そんなことはないわよ」


 軽やかにステップを踏みながら、アイビスは怪訝な顔をする。ダンス経験が豊富なわけでもないし、人前に立つのが苦手なアイビスはひっそり会場の陰に隠れることもしばしばであった。

 だからこそ自信がなかったのだが、鍛え抜かれた身体にしっかりとした体幹を持ち合わせるアイビスは、抜群の運動神経により、実のところダンスの腕が飛び抜けている。本人に自覚がないだけに、ヴェルナーは今もぐらつくことなくダンスを踊るアイビスに苦笑せざるを得ない。


 現に美しく着飾り、素晴らしいダンスを披露するアイビスは、男女問わずに羨望の眼差しを集めている。悪意ある眼差しには敏感なものの、情景の眼差しにはてんで気付かないアイビスは、昔からこうして注目されていることを知らない。


 曲が終わり、次のペアに場を譲ると、ヴェルナーのエスコートによりアイビスは料理が並べられたテーブルへと向かった。


「楽しかったわ。ヴェルナーのリードのおかげね」

「そう言ってもらえると嬉しいが……アイビスは本当に踊りやすい」

「そう?ありがとう」


 いくつか料理を見繕って皿に盛り、手渡してくれるヴェルナー。アイビスは笑顔で受け取ると遠慮なく料理を味わった。


 綺麗に皿の料理を平らげた頃、会場がワッと賑やかになった。第一王子と第二王子が入場したらしい。


 第二王子のルーズベルトは、婚約者の侯爵令嬢をエスコートしている。

 そして第二王子のジェームズがエスコートするのは――


「……エリザベス」


 アイビスの学友であり、何かにつけて突っかかって来ていたエリザベス・ライナメイス公爵令嬢である。

 相変わらず煌びやかなブロンドヘアを靡かせて、自信と気品に満ちている。


 二組に道を譲るように、会場の真ん中まで人の波が割れた。花道を通るように優雅に歩み出た王子たちは、それぞれの婚約者と一曲ダンスに興じている。

 王子も、その婚約者たちも見目麗しく、まるで絵画の中から飛び出して来たかのように美しく優雅なダンスだった。


 曲が終わると割れんばかりの拍手が会場を包み、アイビスもつられて手を叩いた。


 その時、お辞儀をして顔を上げたエリザベスと、バチンと視線が絡んだ。

 エリザベスはみるみるうちに目を見開くと、アイビスとヴェルナーを交互に見た。アイビスは思わずギュッとヴェルナーの服の裾を握り、それに気付いたヴェルナーもアイビスの腰を抱いてくれる。


 途端にエリザベスの美しい顔が歪み、アイビスはびくりと肩を振るわせた。鋭い眼で、間違いなくこちらを睨みつけている。


(うう……やっぱり、すっごく嫌われているのよね……)


 エリザベスの視線から逃げるようにヴェルナーの背に隠れると、頭上から小さな呟きと共にため息が聞こえた。


「はぁ、相変わらずだな」


 ヴェルナーも呆れている。そうは言われてもアイビスにはどうしようもないのだから困ってしまう。

 そっとヴェルナーの背中からエリザベスの動向を確認しようとして、アイビスはギョッとした。

 王子たちが要人と話し始めた隙を見て、エリザベスがものすごい剣幕でズンズンとこちらに向かって来ているのだ。


(き、来たわ……!どど、ど、どうしましょう!)


 あわあわと動揺するアイビスだが、ヴェルナーが落ち着かせるように肩を抱いてくれる。毎日感じている彼の温もりが、幾分かアイビスの乱れた心を落ち着けてくれた。


「さ、この機にしっかり話してみるんだ」

「う、うぅ……頑張るわ」


 アイビスはすーはーと深く息を吸い、意を決して鬼気迫る勢いでやってきたエリザベスを迎えた。


「え、エリザベス……久しぶ」

「あなた!!!!!」

「ヒィィッ!?」


 挨拶をする前からものすごい剣幕である。

 アイビスは既に冷や汗ダラダラだ。


 エリザベスはふるふると、怒りからか肩を震わせながら顔を真っ赤にしている。アイビスには額に青筋が浮かんで見えた。


「どうしてっ……どうして社交界から姿を消したのですかッ!?!?もう何年も、こうして合間見えることができずに、わたくしがどれだけ……ッ」

「え、えええ?えーっと?」


 どういう訳か、社交の場から離れたことを苛まれているようだ。アイビスが目をぐるぐる回して戸惑っていると、エリザベスは唇をキツく噛み締めながら目に涙を浮かべだしたではないか。


(えええー?なに!?どういうこと?!)


 ますます戸惑うアイビスである。


「エリザベス嬢、久々だな。そんなに怒っていてはアイビスにまた誤解されるぞ?」

「うっ、うるさいわねっ!そんなこと、わたくしが一番分かっておりますわッ!!うぅ……エリザベス、しっかりするのよ、今日この日のためにあれだけ練習したじゃない……!」


 ヴェルナーが見かねて助太刀するが、エリザベスは噛み付くように反論すると、ブツブツと何やら呟き始めた。

 呆気に取られて目を瞬くアイビスをよそに、コロコロ表情を変えるエリザベスは、再び目を怒らせてヴェルナーに食ってかかった。


「はっ!そんなことより、あなた、どういうことなのッ!!帰国した途端に、あ、アイビス様とけっ、けけ、結婚だなんて!!!」

「ふんっ、羨ましいだろう」

「ムキーッ!!」

「ん?んんん?」


 だが、その話の内容にアイビスは首を傾げた。


(ヴェルナーとの結婚が羨ましい??王子の婚約者のエリザベスが??いえ、この様子だとヴェルナーを羨んでいる……?どうして?)


 フンスフンスと鼻息荒く怒り狂うエリザベスは、明らかにヴェルナーに牙を剥いている。敵意丸出しという様子だ。


「あなたはねっ!昔からアイビス様の周りをチョロチョロと……!!羨まし……じゃなくて、少し過保護すぎるのではなくって!?」

「仕方がないだろう。変な虫がつかないように目を光らせていたんだ」

「ふんっ、その点は確かに褒めてあげるけど……って、誤魔化されないわよッ!!」

「そんなに目を怒らせて、いいのか?アイビスが怯えてるぞ?」

「ハッ……!!」


 二人の応酬に圧倒されていると、エリザベスが慌てて口元を両手で覆った。そしてプルプルと震えながら溢れんばかりに目に涙を溜めて、キッとヴェルナーを睨みつけた。


「お、お、覚えていらっしゃいーー!!!」


 加えてそんな捨て台詞を吐きながら、わーん!と人混みの中に紛れて行ってしまった。


「な、なんだったの……?」


 アイビスはポカンとその背を見送ることしかできなかった。

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