21_公爵と第一王子
「おや、君は……」
「あなたは……ロリスタン公爵殿。ご無沙汰しております」
エリザベス旋風のあと、呆気に取られていたアイビスとヴェルナーの元にやって来た清潔感のある中年男性。
その人が誰か認識したアイビスはギョッとした。
ブロモンド王国の財務大臣を勤める要人、ネイサン・ロリスタン公爵は社交に疎いアイビスでも知っている有名人だ。
齢五十近くで相応に皺を刻んでいるが、シャンと背筋が伸びて、白髪混じりの茶髪を撫で付けたナイスミドルである。
「は、初めまして。アイビス・ロテスキューと申します」
「おお、君が噂の……ヴェルナー君には私も世話になっている。これからも彼を支えてやってくれ」
「はい、精一杯妻の勤めを果たします」
緊張しつつも優雅なカーテシーで挨拶をするアイビスに、ロリスタン公爵は朗らかに答えた。
「ん?公爵殿、その子は……」
ふと視線を下げたヴェルナーは、ロリスタン公爵の後ろに隠れるように佇む一人の少女に気が付いた。
「ああ、最近養子に迎えてね。ほら、挨拶をしなさい」
「…………チャーノ、です。よろしくお願いします」
「まあ、チャーノと言うのね。よろしくね」
まだあどけなさが残る少女は、目を泳がせながらも消え入るような声で名乗った。
「いやあ、すまないね。まだ十一歳だから、本当はこういう場に連れてくるべきではないんだが……我が家の娘となったからには、貴族社会というものを見せてあげたくてな」
「そうでしたか」
ロリスタン公爵夫妻は子供に恵まれなかった。
そのため、後継のために養子を迎えて立派に育て上げた話は有名だが、その後も数名幼い少女を養子に迎えているという。
資金援助をしている孤児院で、里親探しにも力を入れているらしく、他の貴族の規範となるべく率先して養子を迎えているのだ。
「まだ我が家に来て間も無くてね、マナーのレッスンもこれから本格的に進めるつもりなんだ。立派なレディ目指して頑張ろうな、チャーノ」
「は、はい……お、お義父さま」
ロリスタン公爵がポンポンと頭を撫でると、チャーノはびくりと肩を震わせ、公爵の顔色を窺うように上目遣いで返事をした。
その様子に僅かな違和感を感じるアイビスであるが、急に今日から親子ですと言われてもそう簡単に心を許せる訳はないか、と一人納得した。
「では、まだ挨拶が残っているのでここらで失礼するよ。また仕事でな、ヴェルナー君」
「はい」
ひらりと手を振り、立ち去るロリスタン公爵の後ろを慌てて追いかけるチャーノであるが、何か言いたげに数度アイビスたちの方を振り向いていた。
(?どうかしたのかしら……)
やはり何か気になるな、と引っかかりを感じつつも、アイビスは公爵とチャーノを見送った。
「少し疲れただろう。飲み物を貰ってくる」
「ええ、ありがとう」
うーん、と顎に手を当てて考え込んでいると、ヴェルナーが気を利かせてくれた。ありがたくお言葉に甘えることにし、アイビスは壁際に下がってヴェルナーが戻るのを待った。
「やあ、君がアイビス嬢だね」
「じぇ、ジェームズ殿下……ッ!?」
やっと一息つけると脱力したばかりだというのに、今度は第一王子に声をかけられた。立て続けに要人に声をかけられてアイビスの笑顔が引き攣る。
ジェームズと直接声を交わすのは初めてであるが、少し燻んだブロンドヘアに、宝石のような碧眼は弟のルーズベルトによく似ていて少し親近感が湧く。
一人でいるところを見ると、婚約者のエリザベスは未だ戻っていないようだ。
慌ててお辞儀をするアイビスに、「気楽にして」と人当たりのいい笑顔を携えたままジェームズは口を開いた。
「さっきネイサンと話していたみたいだけど、どんな話をしていたんだい?」
「え?ああ……自己紹介と、養子のチャーノのことを少し」
「そう」
ジェームズは、相変わらずニコニコと笑顔を崩さないが、どこか作り物じみたそれに、アイビスの背筋にぞくりと冷たいものが走った。この男は油断ならない、アイビスの野生の勘がそう告げている。
「そういえば、君は女性ながら道場を経営しているそうだね。腕にも随分自信がありそうだ」
「え、ええ……まだまだ小さな道場ですが、護身術を中心に教えております」
「うん、いいね。これからも頑張って。だけど――」
フッと笑顔を消したジェームズは、言葉を切るとアイビスの耳元に口を寄せた。そして、周囲に聞こえないほどの低い声で発せられた言葉に、アイビスは瞠目した。
「――怪我をしたくなければ、あまり危険なことに首を突っ込まないように」
「……え」
バッと耳元を押さえて一歩後ろへ下がったアイビスが、真意を読もうとジェームズの顔色を窺うが、居住まいを正した彼は既にいつもの笑顔に戻っていた。けれども、その目は笑っておらず、獲物を狙う猛禽類のような鋭ささえ滲んでいる。ヒュッ、とアイビスの呼吸が僅かに浅くなる。
「じゃあ、僕はこの後用事があるから。また会おう」
「は、はい……」
辛うじて搾り出した返事を聞くと、ジェームズは人混みの中に消えて行った。ロリスタン公爵が向かった先と同じ方向だったので、彼に会いにいったのかもしれない。
「アイビス?今のは……」
「ヴェル!……はぁ、今すっごくあなたに会いたかったわ」
密かにため息をついていると、両手にグラスを持ったヴェルナーが戻って来た。片方をアイビスに差し出してくれたため、受け取り思わず本音をこぼす。
ヴェルナーは僅かに目を見開くと、意地の悪い笑みを浮かべた。
「なんだ?あんまり可愛いことを言うと攫うぞ?」
「ばっ、ばか……攫うも何も私たちは夫婦だし……ってそういうことじゃなくって!」
血の気が引いていた顔に一気に熱が戻ったアイビスは、ヴェルナーが持って来てくれたグラスを煽った。
アイビスの頬のようにほんのり赤く色付いたそれは果実水であった。少ししゅわっとした刺激を感じるため、炭酸が入っているようだ。疲れた身体に染み込んでいく。
社交界復帰戦にして、エリザベス、ロリスタン公爵、そしてジェームズ王子と立ち続けに話すことになるとは全くもって想定外である。
「疲れているところ悪いが……仕事関係の挨拶回りがある。相手にはうまく言っておくから、アイビスは少し休んでいるか?少しの間一人にしてしまうが……」
アイビスの心情を察しているのだろう。ヴェルナーは申し訳なさそうに眉を下げた。
本来であれば、アイビスも同席して挨拶すべきところを、こうして気遣ってくれるヴェルナーは本当に優しい。
「ええ、今日はそうさせてもらうわ。また次の機会に紹介してね。私は少し中庭で夜風に当たっているわ」
「中庭は少し薄暗い。警備がいるとはいえ十分気をつけるんだぞ」
「分かったわ」
ヴェルナーを見送ったアイビスは、果実水を飲み干すと、近くを通ったウェイターにグラスを返して会場を後にした。
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