19_夜会のはじまり

 夜会までの二週間はあっという間に過ぎていった。


 アイビスは護身術道場の運営、ヴェルナーは第二王子の文官業務、それぞれ仕事に精を出し、休みの日には届いたドレスの試着や調整などなど、慌ただしい日々であった。


 もちろん毎夜のも依然として継続中である。

 触れるだけのキスでさえ一向に慣れる様子がなく、毎回真っ赤に顔を染め上げるアイビスをヴェルナーは愛でに愛でている。


 愛情をいっぱいいっぱい注がれて、本人の自覚なしに肌や髪は艶を増し、切長のキリッとした目元さえ柔らかな雰囲気を滲ませている。毎日アイビスの手入れをしているサラは、その変化を内心で喜んでいた。


 そして今夜は、年相応の女性らしくなってきたアイビスが久方ぶりに夜会に参戦……もとい参加する日である。




 ◇◇◇


「アイビス、綺麗だ。可愛い、本当に夜会に行かなきゃならないのか……?こんなに可愛いアイビスを不特定多数の男の前に晒すなんて耐えられん……!!」

「ちょ、ちょっとヴェル……落ち着いて」


 夜会へ向かう馬車に乗り込んでからというもの、ヴェルナーはぴったりアイビスにくっついて離れる気配がない。

 支度を終えてからずっと可愛い、綺麗だと言われ続けているアイビスは王城に辿り着くまでにぐったり疲れてしまいそうだった。


 アイビスはヴェルナーの瞳の色を模した裾広がりのタイトなドレスを身に纏っていた。アイビスの程よく引き締まった身体のラインを活かしたデザインで、始めは恥ずかしいと抵抗したものの、いざ袖を通してみるととてもしっくりくる上に動きやすくてすっかり気に入ってしまった。

 人目を引く鮮やかな蜂蜜色がベースになっているが、銀の刺繍が施されており、ヴェルナーの髪色もしっかり取り入れられている。

 髪は緩やかに巻いてハーフアップに。髪に留められているのはもちろん二人で買いに行った蝶の髪飾りである。

 胸元にはアメジストのペンダントが光り、アイビスの瞳と共に存在感を放っている。


 ヴェルナーは何度も試着に立ち会ったはずなのだが、さっきからずっとブツブツと呟きが止まらない。


 アイビスは困ったものだと眉を下げつつ、未だに唸るヴェルナーを横目で見つめる。

 ヴェルナーはシルバーのタキシードに身を包んでいる。薄紫のネクタイに、アメジストの蝶のタイピンはもちろんアイビスの瞳の色を表している。

 お互いがお互いの色を身につけて公の場に出るのは照れくさいが、改めて夫婦として夜会に参加するのだと実感が湧き上がる。嬉しいような、彼に相応しく振る舞えるのか不安なような、複雑な心境である。


 王城に着く頃には、ヴェルナーの自問自答も収まり、馬車から会場までスマートにエスコートしてくれた。

 会場が近付くにつれ、華やかな喧騒が耳に届き、アイビスの胸はドキドキと高鳴り始める。


(久しぶり過ぎて、やっぱり緊張するわね……うまく立ち回れるかしら)


「大丈夫、俺がいるだろ」

「……そうね、そうだったわ」


 ヴェルナーの腕に添えた手から緊張が伝わってしまったらしい。アイビスの不安な気持ちを見透かしたヴェルナーが、その手を優しく握ってくれる。


 ふぅっと息を吐いて、アイビスたちは入口の扉をくぐった。


 会場に入ると、途端にワッと賑やかな音に包まれる。

 楽団による演奏、人々があちらこちらで話す声、カチャカチャと食器が重なる音が夜会を華やかに演出している。


 だが、アイビスとヴェルナーが会場に入ると、入口付近の令嬢令息たちの話し声がピタリと止んだ。刺さるような視線に晒されて、アイビスの背にじわりと汗が滲む。

 値踏みするような視線、好奇の目、貴族社会の縮図ともいえる夜会に来たなと一気に実感が増す。


 学園時代から、よく晒された視線。「ガサツ」「令嬢らしくない」とはよく耳にした言葉たちである。


(ああ、やっぱり――綺麗に着飾っても昔からの評判は簡単には変わらないのね)


 きっとまた陰口を叩かれるのだろう、と気分が後ろ向きになる。


「!」


 思わず視線を落として立ち止まったアイビスの腰をグイッとヴェルナーが抱き寄せた。ハッと我に返って反射的に見上げると、そこにはいつもの優しい瞳があった。


(……大丈夫、ヴェルが居るんだもの。胸を張って…)


 ヴェルナーに微笑みを返し、エスコートされながら会場を横切る。二人が歩き始めたと同時に、時間が動き出したように周囲の人々が密やかに話し始めた。

 令嬢たちはみんな頬を上気させており、ああ、なるほど、ヴェルナーは昔から人目を引いていたなと苦笑する。


「そういえば、帰国してから初めての社交の場じゃないの?あなたの帰国を待ち侘びていたご令嬢たちの視線が痛いわ」

「うん?ああ、確かに視線を感じるが……彼女たちは俺を見ているわけではないと思うぞ?」

「え?それってどういう……」

「アイビス!ヴェルナー!」


 ヴェルナーの困ったような言いように理由を尋ねようとした時、名前を呼ばれて振り返ると、メレナが手を振りながら近付いてきた。


「メレナ!もう来ていたのね」

「ええ、今か今かと待っていたのよ~」

「侯爵様、ご無沙汰しております」

「ああ、君たちと会えて嬉しいよ。今日は楽しもう」


 いつにも増して華やかで愛らしいメレナを護るように後ろで辺りを牽制しているのは、サイモン・メロル侯爵である。

 サイモンはヴェルナーよりも更に背が高く、いつも朗らかな笑顔を携え、知的な丸眼鏡を掛けている。藍色の髪をセンター分けにし、焦茶色の瞳には愛おしげにメレナを映している。

 メレナはいつものように花をあしらったカチューシャをつけ、ふわりと可愛らしいデザインの桃色ドレスを着こなしている。


「メレナ、今日も可愛いわね」

「うふふ、ありがとう。アイビスも素敵よ。入って来た途端会場中の視線を釘付けにしていたじゃない。ヴェルナーも気が気じゃないわね」

「ああ、本当に」


 アイビスは二人の会話に目を瞬いた。


「え?それはヴェルナーでしょう?ご令嬢方の視線を一身に集めていて、私なんて彼女たちの視線で射殺されてしまうんじゃないかと思ったわ」

「アイビス……相変わらず鈍いんだから。知らないの?あなたが数年ぶりに社交の場に復帰するって、あちこちのお茶会はその話題で持ちきりだったのよ?幼馴染のヴェルナーが帰国してすぐに結婚したと聞いて、倒れたご令嬢が何人もいて大変だったんだから」


 呆れ顔のメレナがアイビスの知らない社交の情報を提供してくれる。


「それはヴェルナーがモテるからでしょう?私なんかと結婚したことがそんなにショックだったのね…気が引き締まる思いだわ」


 中々話が噛み合わない二人に、ヴェルナーも笑っている。


「まあ、今夜でそんな勘違いも払拭されるだろう。さ、そろそろダンスが始まる時間だ。一曲躍ってくれるか?」

「ええ、もちろん。あなたの足を踏まないように気を付けなきゃね」

「大丈夫だろ。だってアイビスは――」


 数年ぶりのダンスに身体を強張らせるアイビスに手を差し出すヴェルナー。全ての言葉を言い終わる前に、楽団が定番のダンス曲を奏で始めた。

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