18_アイビスの兄
「ふんっ!ふんっ!はぁっ!やっ!」
アイビスは昨夜の失態を振り払うように、実家の道場で拳を振るっていた。
(お酒に酔っていたとはいえ、自分から!ヴェルに!き、ききききき、キスするなんて~!!)
「わぁぁぁぁぁ!!!」
勢いのままに回し蹴りをすると、ビュッ!と空気を割く音が道場に響いた。
「ふぅ~~」
身体を動かすと幾分が気分がスッキリした。
幸い二日酔いもなく、汗と共に悶々とした気分も流れた気がする。
「やあ、アイビー。精が出るな」
「兄様!」
肩で息をしながら汗を拭っていると、道場の扉をガラガラと開けて屋敷の主人が顔を出した。
父から爵位を引き継ぎ、現アルファルーン家の当主となったアイザック・アルファルーンである。
アイビスの四つ上の兄で、父の補佐官を務めている。近く軍部の長の座も引き継ぐ予定で、日々業務に励んでいるようだ。
アイビスと同じヘーゼルナッツ色の髪を肩まで伸ばして後頭部で束ねている。華奢でスラリと背が高く、どこから見ても優男なのだが、アイザックもアイビス同様、幼い頃から父に武術のいろはを叩き込まれていた。
「どうだ?久々に手合わせしないか?最近事務仕事が多くてな。運動不足だと思っていたところなんだ」
「もちろん。組み手でいいの?」
「ああ」
首や腕を回しながら、ニヤッと笑うアイザック。
アイビスは乱れた道着を整えると、道場の中心に向かう。アイザックはシャツにパンツスタイルだが、袖を数回折り返している様子から、服を着替えるつもりはなさそうだ。
静かに向かい合い、互いへの敬意を示して一礼をする。
腰を落として構えを取り、睨み合う。開始の合図がなくとも、これまで数え切れないほど拳を交わしてきた二人は、アイビスの瞬きで汗が一筋流れたことを合図に組み合った。
ビュッ!ビュッ!と空気を割く音が道場を揺らす。
お互いに太刀筋を見切り、紙一重で相手の攻撃を交わし続ける。
互いの癖も既に知り尽くしているのだが、先に仕掛けたのはアイビスだった。
激しい拳の応酬の中、アイビスは右の突きを放った直後に僅かな隙を生じさせた。
その瞬きする間ほどの隙を見逃すアイザックではない。吸い寄せられるようにアイビスの右肩を狙って拳が飛んでくる。
狙われる場所が分かっていれば防ぐのは容易い。
アイビスは左手で素早くアイザックの拳を受け流し、ぐるりと身体を捻って裏打ちで再び右の拳をアイザックの顎目掛けて放った。
「――っ!」
ぴたりと顎の寸前で拳を止めたアイビスに、アイザックは肺に溜まった息を吐き出すと両手を上げた。
「くそ、負けた」
「少し動きが固かったわ。柔軟していく?」
「ははっ、頼もうかな」
爽やかに額に張り付いた前髪をかき上げるアイザックであるが、これまでの組み手の勝率ではアイビスに軍配が上がっている。
だが、アイザックが真価を発揮するのは
竹刀や木刀での手合わせであれば、アイビスに勝機はない。特に長物の扱いに関しては右に出る者がおらず、今や父でさえアイザックには敵わない。
床に腰を下ろしたアイザックの背をぐっぐっと押しながら、アイビスは(護身術の教室で武器を使った身の守り方を教えるのもいいかもしれないわ)とすっかり仕事モードになっていた。
「ところで、今度の夜会にはアイビスも参加するのだろう?」
「え?ええ、久々で緊張するけど……ヴェルナーの妻として頑張らないとね」
「ふ、そうだな。まあ、俺もビオレータも参加するし気楽にな」
「ありがとう、心強いわ」
先日ヴェルナーに誘われた夜会は、二週間後に王城で開催される。髪飾りは手に入れたので、あとはそれに合うドレスの完成を待つのみである。
久々の夜会なので、正直緊張もするし不安な気持ちもある。だが、アイザックやその妻ビオレータ、メレナ夫婦もいるはずだ。そう考えると少し後ろ向きな気持ちも解消される。
それに、誰よりも信頼しているヴェルナーが隣に立ってくれる。たとえ例の如く陰口を言われたって、後ろ指を指されたって、ヴェルナーのパートナーとして毅然と振る舞えるだろう。
「あ、そうだ兄様。お願いがあるのだけど」
「ん?なんだ?」
アイザックの前に回って腕を引っ張り背筋を伸ばしてやりつつ、アイビスはとある頼み事を口にした。
「昨日の事件のことは聞いているでしょう?」
「ああ、また無茶をしたらしいな」
「あはは……それでね、兄様は軍部に勤めているじゃない?街の見回りを強化して欲しいのよ」
「なるほど。安心しろ、既に昨日の夜に緊急会議があってな。主犯格も捕まっていないし、路地裏を中心に警備が強化されることになっている。秋にはアステラス帝国との国交樹立十周年を祝した催しもあるしな。それまでには解決したいところだよ」
「本当?よかった……」
アイビスが危惧するまでもなく、既に上層部は今回の誘拐未遂事件を重く捉えているようだ。素早く対策を取り、今日から見回りの隊を増やしたという。
アイザックの話に安堵したアイビスは、思わず力の加減を誤ってちょっぴり強めにアイザックの腕を引いてしまった。
「ぐえっ」
「あっ、ごめんなさい」
兄から呻き声が聞こえて慌てて背中をさするアイビスであった。
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