17_十年といえば

「どうした、ヴェルナー。さっきから溜息ばかりついて」

「はぁぁ……」


 困ったように笑いながら、ヴェルナーに尋ねるのは第二王子のルーズベルトである。

 少女誘拐未遂の翌日、ヴェルナーは文官務めのために王城に来ていた。


 ヴェルナーの溜息の理由、それは一つしかない。


 昨日、お酒が回ったアイビスはそれはそれは可愛くて扇状的で、本人は気付いていなかったが露出した鎖骨がほんのり桜色に色付いていて、それはもう、堪らなかった。

 酒に強いヴェルナーも、アイビスの天然色香に酔いが回り、いつもよりも過度なスキンシップに興じてしまった。


 アイビスも嫌がることなく受け入れてくれて、か細く張り詰めていた理性の糸がぶちんと切れそうになった時――アイビスが規則正しい寝息を立てていることに気が付いた。


『………………アイビス?』

『スー……スー……むにゃ、ううん』

『……………………はぁぁぁあ』


 がくりと肩を落としたヴェルナーは、残念なような、ホッとしたような複雑な心境だった。

 アイビスの気持ちが伴ってから関係を深めていきたいと考えていたため、酒に呑まれて一線を超えずに済んだことは僥倖だった。このまま勢いで結ばれてしまっていたら、きっと一生後悔しただろう。


 ヴェルナーは軽く自身の頬を拳で殴って酔いを醒ますと、スヤスヤ気持ちよさそうに眠るアイビスをベッドまで運んだ。


 案の定、今朝のアイビスは昨夜の途中から記憶が混濁していると言い、自らキスをしたことまでは覚えているらしく朝から顔を真っ赤にして詫びてきた。


 覚えていないかもとは思っていたため少し落胆はしたが、茹蛸のような顔をしてペコペコ頭を下げて謝るアイビスが愛らしかったため、笑って許した。というより、理性が吹き飛びそうになったヴェルナーこそ詫びねばならなかったのだが、昨日の仔細を話してしまったらアイビスは卒倒してしまうかもしれないと思うと、心の内に秘めておくことが最善だと判断した。



「妻が可愛過ぎて辛い」

「ぶっ!」


 溜息と共に漏らした惚気に、ルーズベルトは飲んでいた紅茶を吹き出した。慌てて執務机を拭きながら、ヴェルナーの顔を覗き見る。


 憂いを帯びたその顔は、冗談を言っている訳ではなく心からの言葉だと語っている。

 ルーズベルトは自分が思っていたよりもこの男は拗らせているのだなと一人納得した。



「ああ、ところで…君の愛しの奥方が、昨日助けた少女についてだが――」


 ルーズベルトは、昨日捉えた犯人たちを尋問し、組織の詳細や首謀者を割り出そうとしていること、攫われかけた少女に大事はなく、今朝退院したことなどを教えてくれた。


「それで、やっぱりあの子はどこかのご令嬢だったのか?」

「え?ヴェルナー、あの子がか気付いていなかったのか?」


 この後、何気なく尋ねた問いへの回答に、ルーズベルト以上に驚かされたのはヴェルナーであった。


(まさかあの子が……)


「改めてアイビス嬢にお礼をしたいと言っていたぞ?特にあの子のがな、必ず礼をと熱心に嘆願していたな」

「ああ……気にしなくていいのだが。まあ、今度の夜会で顔を合わせるだろう。その時にでも話してみるか」


 これは賑やかな夜会になりそうだと、ヴェルナーとルーズベルトは顔を合わせて苦笑した。


「それにしても、元からその子が狙われていたのか、偶然あの場に居合わせたのか……」

「そこだ、ヴェルナー」


 ルーズベルトは途端に深刻な顔をして机の上で腕を組んだ。ピリッと空気が引き締まり、ヴェルナーもつられて姿勢を正す。ルーズベルトはどこか王の威厳のような風格を見せる時がある。


「アイビス嬢が誘拐未遂に遭ってから、デューク殿が王都中に目を光らせていたためか、十年前は誰も被害者を出すことはなかった。それにその後十年間、類似した事件も起こっていなかった。それがなぜ、今になって?しかもアイビス嬢の勘が正しければ、今回の犯人たちは十年前の犯人と通じているかもしれない」


 ルーズベルトの疑問は、ヴェルナーも昨日からずっと抱いたものだ。


 この国の治安はとてもいい。

 それでも犯罪の種はあるもので、王都を守る警備隊が隅々まで目を光らせ、犯罪を未然に防いでいる。小さな諍いは起こるものの、誘拐といった大犯罪を企てる者はいなかった。


「十年……十年か。十年前といえば、あの日はアステラス帝国との国交樹立を祝したパレードが行われていたな」

「アステラス帝国、か」


 ヴェルナーの呟きに、唸るルーズベルト。


 アステラス帝国は、大陸屈指の大国だ。

 内陸に位置し、その領土も広大である。

 近々王太子が即位し、王位を継ぐと言われているが、そんなアステラス帝国には、とある噂があった。


 大陸の大国はある人物の傀儡国家となっている、という噂である。

 その人物とは、帝国一の大公爵であるサルバン・アストリアルという老年の男で、現国王の即位に尽力した。その後意のままに国王を操り、税率や自らの事業に有利な法律を整えたという。国王の遠縁にあたるため、他の貴族はあまり強く出られないのだとか。

 どこまでが本当かは分からないが、欲深い人間はとことん欲深い。国王が入れ替わる期に何か動きを見せる可能性がある。


「そういえば、十年前に帝国の代表として訪れたのもアストリアル大公爵だったな」

「ああ、腹の内を見せない狸だったよ。兄上はうまく取り入って気に入られていたけどな。流石だよ。今でもたまに連絡を取り合ってるんじゃないか?」


 王子として大公爵に会ったことがあるルーズベルトは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。よっぽど食えない人物だったようだ。


「そういえば、国交樹立十周年を祝して、その噂の大公爵が十年ぶりに訪問することになっている」

「なんだと?」


 十年前と今回と、誘拐事件が起こったタイミングで訪問する異国の要人。


 ヴェルナーにはどうもこの事件と、かの人物の間に繋がりがあるように思えてならなかった。

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