16_それはアルコールのせい
その後、アイビスとヴェルナーは警備隊を呼び、未だに目を回して気絶している男たちと少女を引き渡した。
男たちは牢に、少女は診療所に運ばれて念の為に検査を受けることとなった。家族を呼び出し、詳しい事情を説明するらしいが、それは警備隊に任せてアイビスたちは帰路についた。
アイビスが見聞きしたことは全て警備隊に話をしていたので、少女の家族にも事情は伝わるだろう。あとはプロに任せておけばいい。
沈黙が包む帰りの馬車の中、アイビスの表情は暗い。
窓の外に視線を向け、自分と対照的に明るい空を睨みつけている。
ヴェルナーは何も聞かずにただアイビスの手を取った。
そっとしておいてくれる優しさが今はありがたかった。
◇◇◇
「アイビス、いいか?」
「ヴェル?どうぞ」
就寝前、ナイトドレスに袖を通し、寝る準備が整ったアイビスの部屋をヴェルナーが訪ねて来た。
扉を開けて出迎えると、彼は珍しくワインとグラスを手に持っていた。
「よかったら晩酌でもしないか?」
「いいわね。何かおつまみを用意してもらいましょう」
ヴェルナーが掲げたボトルを受け取ると、アイビスはサラを呼んで栓抜きやおつまみの用意をしてもらった。
ソファに並んで腰掛け、お互いのグラスにワインを注ぎ合う。とぷりとグラフの中で、深い真紅の液体が波打つ。
しばしワインを味わい、チーズやドライフルーツ、ビターチョコレートをつまむ。
静かにワイングラスを傾けていたヴェルナーが、そっとグラスをテーブルに置いてアイビスに向き合った。
アイビスもグラスを置いて、真っ直ぐにヴェルナーの言葉を受け止める準備をした。
「アイビス、君はどうしてあの少女に気が付いたんだ?」
「本当に何気なく通りを見ていて、偶然目に留まったのだけれど……十年前の私が重なって見えた気がしたの。ざわざわ胸騒ぎがして、気が付いたらテラスから飛び降りていたわ」
アイビスの言葉に、ヴェルナーは深く息を吐いた。僅かにワインの芳醇な香りがする。
「まず、二階から飛び降りないこと。お見合いから逃げた時もだが、危ないからやめてくれ」
「でも、ちゃんと着地出来るし怪我だってしてな……」
「怪我をしてからじゃ遅い。もし階下に通行人がいたらどうする。アイビスだけでなく、相手を怪我させるかもしれない。もっと周りを見てくれ」
「う……ごめんなさい」
ヴェルナーの言うことは尤もだ。
アイビスは身体能力の高さを自負しているし、周りに人がいてもうまく躱す自信があったのは確かだ。
けれど、世の中に絶対はない。
少し着地の位置がズレたら?
急に誰かが飛び出して来たら?
人の往来の中、あまりに無責任な行為だったとようやく思い至った。
しゅん、と肩を落とすアイビスをヴェルナーは優しく抱き寄せる。
「だが、アイビスの機転のおかげであの子は助かった。もしあのまま人知れず攫われていたらどうなっていたか……好色家に売られて酷い扱いを受けていたかもしれないし、過酷な環境で強制労働させられていたかもしれない。あの子を救ったのは間違いなくアイビスだ」
「ヴェル……」
そっと見上げると、ヴェルナーはいつもの優しい笑みで見つめ返してくれる。
緊迫する犯罪現場に遭遇したからだろうか、それとも十年前の記憶をまざまざと思い出したからだろうか――今日はいつも以上にヴェルナーの優しさが胸に染み入る。
(なにかしら……なんだか、無性に……)
アイビスはそっと瞼を落とすと、自らヴェルナーに唇を寄せていった。
「っ!?」
ほんの僅か、掠るようなキスだったが、自分からキスをするというのはこうも恥ずかしいのか。
パッと離れて誤魔化すように、アイビスはグラスのワインを煽った。身体が火照るのはきっとアルコールのせい、そう言い訳をするために。
「……アイビスっ」
切羽詰まったような、掠れた声で名前を呼ばれるが、アイビスは恥ずかしくて顔を上げられない。グラスを置いて、膝上でドレスをギュッと握りしめていると、骨ばった手が伸びてきてグイッと顎を掬われた。
半ば強引に合わされた視線の先には、いつにも増して潤んだ熱っぽい瞳が揺れていた。その瞳に映る自分も見たことがないような乙女の顔をしている。
ドキドキといつも以上に心臓が騒がしい。耳の奥まで迫り上がってきているのかと思うほどに鼓膜を揺らしている。
「ん……」
存在を確かめるように、唇が触れ合う。いつの間にか腰を抱き寄せられており、ピッタリと身体が密着する。ヴェルナーの身体もとても熱くて驚くが、それ以上に壊れそうなほど心臓が脈打っていることに気が付いた。
「はあ……ふふっ」
「……なんだ」
唇が離れ、吐息と共に思わず笑みを漏らすと、怪訝な顔をしたヴェルナーが首をもたげた。
「ううん、ごめんなさい。いつもヴェルは余裕たっぷりで、私ばっかりドキドキさせられて悔しかったのだけれど……ヴェルの心臓もすごいわね」
そっとヴェルナーの胸に手を当て、耳を寄せる。とくんとくんとアイビスに負けず劣らず早鐘のように心音が鳴り響いていてなんだか嬉しい。
「はぁ、当たり前だろう。ずっと、ずっと好きだったんだ。毎晩触れる度に心臓が破裂しそうになってる。余裕なんて微塵もないよ」
いつも涼しい顔でなんでもサラリとやってのけるヴェルナーが、バツが悪そうに唇を尖らせている。
(……可愛いかも)
アイビスは無性にヴェルが愛おしく感じて、きゅーっと胸が締め付けられた。気が付けば彼の頬に唇を寄せていた。さっきから、こんな大胆なことばかりして、アルコールで気が大きくなっているのかもしれない。
ちろりと表情を伺うと、目をまんまるに見開くヴェルナーと視線が絡んだ。
ポケっと口が開いていてそれもまた可愛い、なんて、調子に乗って思わずくすくす笑ってしまったのがいけなかった。
少し怒ったような顔で、ヴェルナーはアイビスの両手首を掴むと、「さっきはなけなしの理性で手加減したのに、これはアイビスが悪い」と低い声で囁いて噛み付くように唇を重ねてきた。
「ん、んんんっ」
呼吸もできないような激しいキスにチカチカと頭がショートしそうになる。手首を掴む力が緩んだ隙に、縋り付くようにヴェルナーの首に腕を絡めれば、呆気なくアイビスの身体はソファに沈められてしまう。
ヴェルナーの熱い吐息が絡みつき、口内を熱いものに侵されて頭が真っ白になっていく。
薄く開いていた目を、アイビスはゆっくりと閉じた。
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