第13話まじめにやってくださいっ!
朝に乗って来た自転車を押して、僕は校門を出る。時刻は夕暮れ時だ。空は橙色に染まり始め、運動部の喧騒が遠くから聞こえてくる。校門を出た僕は、しかし家に帰ることなくその場に留まった。校門の脇で待機すること一分ほど。待っていた人物が到着した。
「お待たせしました」
伊勢崎さんが、悠々と校門から出てきた。堂々とした態度と遠慮がちな言葉が対照的で、少しだけおかしくなった。
「待ってないよ。じゃあ、行こうか」
「はい。今日はよろしくお願いします」
伊勢崎さんは徒歩らしい。僕は自転車から降りて、押しながら彼女の隣を歩く。
……しかし、冷静に考えれば徒歩の彼女は僕の自転車よりも早いかもしれない。もしかして、乗った方がいいだろうか? 少し考えて、伊勢崎さんを走らせて自転車に乗る僕という絵があんまりにもひどくて、やめた。僕は余計なことは考えず、美しい少女と一緒に歩けるという幸福を享受することにした。
「そういえば、昼休みのことですけど」
伊勢崎さんは、恐る恐るという様子で切り出した。
「もしかして私、夢中になるあまり要らないこと話していましたか……?」
多分彼女が言っているのは、米について熱く語ったあの時のことだろう。まあ、空気がちょっと微妙になったというのは否めない。
けれど、そういうことを僕に確認してくるあたり、結構彼女は色んなことが気になってしまう人間なんだなとぼんやりと思った。
「……まあ、誰も付いてこれてない話ではあったね」
「ですよね……。はあ、またやってしまいました……」
ため息を深々と吐く彼女は、なんだかこの世の終わりみたいな顔をしていると思った。
「……そんなに落ち込むこともないと思うけど」
あの程度でそんなに落ち込んでいたら、僕なんていくら落ち込んでも足りないくらいだ。
「でも私、以前も好きなものに熱中するあまり、失敗しました」
言葉も表情も深刻で、まるで生きるか死ぬかの話をしているみたいだった。
「反省して、二度とやるまいって決意して、注意して生きてきたつもりだったんですけど、友達が出来て舞い上がっていたみたいです。本当に、馬鹿ですね」
「ああ、そうやって後から思い返してたから、授業中ずっと深刻な表情してたんだ」
「……渡辺君はよく見ていますね」
褒めるというよりも、授業中のよそ見を咎めるような口調だ。僕は頬を掻く。
「目に入るからね。まあ、伊勢崎さんみたいに過去のことを何度も何度も思い出して、後悔して、反省して、自己嫌悪した経験自体は僕もあるよ」
「渡辺君も……?」
「うん」
伊勢崎さんの悩んでいる様子を見ていると、不思議と僕は話しにくいことを話していた。
「僕は中学生の頃、清香に嫉妬していたんだ」
「星さんに……もしかして、渡辺君も絵を描いていたんですか?」
伊勢崎さんは、いきなり確信を付いてきた。僕は苦笑いをする。
「うん、でも才能はなかったんだ」
小学生の頃なら良かった。絵なんて描けばそれだけ特別なことみたいにみんな褒めてくれて、認めてくれる。何も考えずにひらすら絵を描いて、うまいね、なんてお世辞で褒められて、また絵を描こうと思えた。
けれど、中学生にもなると、周りが見えてくるものだ。
「コンテストに出したところで、賞に引っかかることなんてない。美術教師に自分の絵を見せても薄い反応ばかり。でも、清香は僕とは全然違った。中学生の頃にはもう大人を唸らせる絵を描いていて、みんなが彼女を褒め讃えた」
あの時の情景が脳裏に浮かぶ。清香の絵に群がり、次々と賛辞を口にする大人たち。誰も見向きしない僕の絵。それから、あの人からの否定。
「そう、だったんですね。今の二人からは、想像つかないです」
「うん。それで、僕はあのころ清香に嫉妬して、ずっと話していなかったんだ。結局彼女に謝れたのは、中学を卒業する頃だったよ」
「渡辺君は、そういうこと考えないと思ってました」
「そう? ……ああ、話が逸れたね。僕は何度も清香を無視し続けたことを謝ろうとして、失敗して、その度に自己嫌悪に陥ってたりしたんだ。その時の経験から僕が言えることは、人は人の失敗を案外気にしていないっていうことかな」
「それは、渡辺君個人の経験ではないのですか……?」
「そうだね。僕がそう思っているだけで、伊勢崎さんにとってはそうじゃないかもしれない。でも、僕の話が伊勢崎さんが前を向くための材料になったらいいなって思うよ」
ちょっとらしくない話をしてしまっただろうか。僕は少しだけ後悔して、すぐに自分が未だに自分の言動を後悔する癖が治っていないことに気づいた。
伊勢崎さんは、しばらくの間黙って何か考えているようだった。
「さて、そういうわけで伊勢崎さんのセンスをどうにかするために服屋に来ました」
「誰に話しているんですか……?」
他愛もない話をしていると、イオンへの到着はあっという間だった。僕らはさっそく服飾店のあるエリアまで来ていた。平日とはいえ、夕方の店内にはそれなりに人がいて、たまに視線が伊勢崎さんに向いていた。
「とはいっても、僕だって女の子の服を選んだ経験なんてほとんどないからなあ……」
小学生の頃なら、清香の服を一緒に見たこともあったのだが。高校生のセンスなんて知らないぞ。
「渡辺君がいいと思ったものを教えてくれればいいんです。素直な感想を教えてください」
……なるほど。伊勢崎さんはどうやら男の目が必要らしい。そういうことなら、あんまり気を張らずに見ていこう。
早速、張り切った伊勢崎さんが僕を先導する。
一店目。ハイブランドの服飾店。店内はおしゃれな雰囲気で、少し気後れする。
伊勢崎さんが試着室のカーテンを開ける。出てきたのは、上流階級のような雰囲気を纏った美少女だった。
「どうですか?」
「いいね。似合ってる」
二店目。ガーリックな可愛さが売りの服。店員の距離も近く、少し気後れする。試着室のカーテンが開くと、少し顔を赤くした、ミニスカートの美少女が出てきた。
「どうですか?」
「いいね。似合ってる」
三店目。ボーイッシュなかっこよさが売りの服。店内の装飾品の雰囲気すらかっこよく、少し気後れする。試着室のカーテンが開くと、中性的な顔をしためちゃくちゃかっこいい少女が出てきた。
「どうですか?」
「いいね。似合ってる」
少し緊張した顔で僕を見つめていた伊勢崎さんの表情が、ピシリと固まった。ひどくショックを受けたような様子だ。
「まじめにやってください!」
伊勢崎さんが怒った。珍しい。
「何着ても似合ってるしか言わないじゃないですか⁉ なんですか、もうめんどくさくなったんですか⁉」
「いや、顔の良さで全部似合ってしまうというか……」
そう、全部似合ってた。高い服を着れば上流階級の美少女が誕生し、ガーリックな服を着れば普段の男らしい姿とのギャップが眩しい美少女が誕生し、ボーイッシュな服を着れば王子様みたいな立ち振る舞いに一層磨きがかかった。
「正直、自分のセンスを疑う必要なんてないよ思うよ。……というか伊勢崎さん、自信なさそうなわりに自分の容姿の良さは自覚してるみたいだし、ファッションについては迷わなくていいんじゃないかな」
よく『私なんか』という言葉を使う伊勢崎さんだが、自分の顔について卑下しているのは聞いたことはない。
「それは……私の顔は与えられたものであって、私のものではないからですね」
「え?」
それは、どういう意味だろうか。けれど伊勢崎さんはそれ以上言葉を紡ぐことなく、試着室のカーテンを引いてしまった。すぐに衣の擦れる音が聞こえてきて、なんとなく気まずかった僕は後ろを向く。
「与えられた……?」
つまり、母や父からの賜り物である、と言いたいのだろうか。……いや、彼女の言葉はそれだけではないような気がした。
自分の顔が自分のものではない、か。例えば僕の平凡な顔が突然魅力的な顔に入れ替わったとしたら、どう思うだろうか。誰もが、それを誉めたたえ、自分を見てくれなくなったとしたら? ──ひょっとしたら、自分の顔が嫌いになるのかもしれない。
結局のどういうことかは分からなかったが、僕は少しだけ伊勢崎さんのことが分かった気がした。
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