第12話ご飯のこだわり
どうやら待ち伏せされていたらしい。
朝、登校するために僕が家を出ると、目の前には清香の姿があった。珍しい光景に、少し目を見開く。
今日の清香は、自分を取り繕うのをやめているらしい。いつもの快活な様子は鳴りを潜めている。僕も見つめる瞳は冷たく、表情は氷のように固まったままだった。
「昨日は随分忙しかったみたいだけど、何してたの?」
伊勢崎さんの友達をまた一人増やせたことを話すと、清香は興味なさげに相槌を打った。
「ふーん、そっか」
相変わらず、普段は色んなことに興味津々みたいに振舞ってるくせに、根本的に人間を嫌っているらしい。水口さんがどうなろうと彼女には関係ないようだった。
面白く無さそうに、清香は口を開いた。
「やけに入れ込んでるじゃん」
「伊勢崎さんに?」
「水口も、どっちも」
「ああ、案外、似た者同士だったからな」
「ふーん」
今度の相槌は、興味がないというよりも機嫌が悪そうだった。
「正人は、自分に似た女の子の方が好きなの?」
「別にそうとは限らないが……まあ、どっちかといえば親近感は湧くな」
「ふーん。……じゃあ、伊勢崎とはさっさと距離を置いた方がいいよ」
まるで規定事項を読み上げるみたいに、清香は抑揚のない口調で告げた。
彼女がそう思うのも分かる。普段の伊勢崎さんは、超然とした様子で、僕なんかとは全然違うからだ。でも、僕はもう知っている。
「案外、彼女は普通の人間だよ。僕側の人間だ」
「そんなことないよ」
本性を晒した清香にしては珍しく、その声には微熱が籠っていた。
「彼女は私側。特別で、非凡で、異常。変に勘違いしてると、後で裏切られるよ」
「……それは、清香が伊勢崎を知らないからじゃないかな」
この態度の清香に口論を挑むなんて無駄なことだ。彼女の頭の中では全部完結していて、余人の入り込む隙なんてないのだから。けれど僕は、反論せずにはいられなかった。
「分からないよ。天才の私が、分からないの。だから、伊勢崎は特別な人間だって分かる」
珍しく清香は、分からない、と断言した。全部分かった気になって勝手に諦める彼女にはしては珍しい言葉だ。それだけ、清香は伊勢崎さんが特別な存在だと認識しているということだろうか。
清香は、ひび割れた笑みをこちらに向けてきた。
「だから、正人の劣等感に寄り添うなんて期待しない方がいい。そんな期待をしてしまうなら、距離を置いた方がいい。……これは別に、私個人の感情から言ってるんじゃく、限りなく事実に近い予測を言っているだけ」
「ご忠告ありがとうよ、天才様」
清香は唇を軽く歪めて笑った。そして、今度は確信に溢れた口調で言葉を紡いだ。
「また君は、特別への憧れという熱に焼かれることになるよ」
「僕を嫉妬の炎で苦しめてくれた君が直々に言ってくれるなんて、光栄だよ」
清香は、不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだった。
昼休みに入った。授業という労役から一時的に解放された生徒たちは、昼食を取るために各々行動し始めた。ある者は急いで学食の席取りへ。ある者は他クラスの友人のところへ。この教室に残るのが大多数だろうか。僕も教室に残る一人だ。
教室の真ん中にある、清香の席周辺に僕ら四人は集まっていた。清香、僕と伊勢崎さん、それから、最近よく話すようになった水口さんだ。
「いっただっきまーす!」
朝とは違う元気な様子の清香が食前の挨拶をする。綺麗に手を合わせるその先には、綺麗に整えられた弁当が置いてあった。恐らく清香の自作だろう。料理関係においても、彼女は才能を発揮していたことをよく覚えている。
「あれ、正人はそれだけ?」
「僕の昼食代は漫画に消えていったのさ」
僕がつまむのは、菓子パンが一つ。それから惣菜パンが一つだ。ひもじい。それもこれも、新刊を続々出す出版社の陰謀だ。
「……お弁当作ってもらったりしてもらわないわけ?」
水口さんが興味深そうに僕の昼食を眺めている。彼女の手元には、清香のものほどではないにしても綺麗な弁当があった。
「正人のお母さん忙しい時は忙しいからねえ」
「へえ、何やってるの?」
「デザイン関係。良く『納期がぁ』、って妖怪みたいに呻いてるよ。僕は納期お化けって呼んでる」
「ひどい呼び名だね……」
でも実際、お化けみたいな時があるのだ。夜中にトイレに行こうとすると、母の部屋からしばしばうめき声がするのだ。地獄の底から放たれたような低い声は、大抵締切に追い詰められた母の悲鳴だったりする。
「でも、仲が良さそうだね」
伊勢崎さんの言葉に、僕はわずかに羨望の色を感じ取った気がした。けれど、そんなごくわずかな変化は一瞬で消え失せ、僕は追及する機会を失った。
「……それにしても、伊勢崎さんの昼食は独特だね」
「えっ……そうかい?」
伊勢崎さんの前に転がっているのは、ラップに包まれた巨大なおにぎりだった。僕の拳よりも二回りは大きいだろう、球体の真っ白な握り飯が数個置いてある。その他、おかずなどの姿は見当たらない。
「麗様はおにぎりだけなんですか? 良かったらあたしの弁当ちょっと食べますか?」
水口さんが聞くが、伊勢崎さんは軽く首を横に振った。
「いやいや、ボクはこれが好きだから、食べているんだよ。それに、ほら」
伊勢崎さんは巨大おにぎりをぱっくりと割った。
「中におかずはちゃんと入っているんだ」
顔を出したのは、綺麗な黄色をした卵焼きだった。米の中から出てきたそれには、とてつもない異物感がある。見せられた水口さんが、微妙な顔で固まった。
「……それ、合うの?」
清香が呆れたように声をかける。しかし奇怪な昼食を見せた伊勢崎さんは、少しも動じていなかった。むしろ、彼女は変なスイッチが入ってしまったらしい。声の張りが増し、熱の籠った話し方をし始めた。
「むしろ、おにぎりに合わないものが存在するかな⁉ いや、ない! 考えてもみたまえ。日本で米が食べられ始めてから二千年以上。飽くことなく、日本人は米を食べ続けている。それは他の食べ物との相性の良さが大きな要因になっているとボクは考える。例えば納豆。例えば卵。例えば漬物。古くから先人たちは米を美味しく食べるための方法を探し続けていた。その探索は多岐にわたり、もはや飽和状態にあると言っていいかもしれない。しかし! それでも尚、米は多くの人に愛され、毎日のように食されている。この意味が分かるかな⁉」
「いや、普通に分からないけど……」
正直、熱が高すぎて怖い。
「つまり、だ。米はあらゆる食材を抱擁する、聖母のような存在であるということだよ」
恍惚と、伊勢崎さんは訳の分からない結論を告げた。主張は意味が分からなかったが、容姿の良さと口調の迷いの無さから、なんだか正しいことを言っている気がしてくる。不思議だ。ああ、こんな姿見せたら水口さんが、失望するんじゃないか、と彼女の方を見ると彼女もまた恍惚とした表情を浮かべていた。
「熱弁する麗様かっこいい……」
ああ、恋は盲目とはこのことだろうか。
なんだか少し微妙な空気が流れる。菓子パンをむしゃむしゃと頬張る僕も、何を言ったらいいのかわからない。ようやく正気に戻ったらしい伊勢崎さんが、『あれ、私なんかしちゃいましたか⁉』とアイコンタクトで聞いてきている気がする。
んんっ、と清香がその場の空気をリセットするように咳ばらいをした。いつになく明るい声で、清香が話し始める。
「それにしても、正人のハーレムも少しずつ広がってきたじゃん! 一か月足らずで女の子三人ゲットするなんて、卒業までに何人誑し込むつもりなのかな?」
場の空気を変えるためかもしれないが、僕には答えづらい冗談だった。
「冗談はよしてくれ。なんなら一人は僕のこと嫌いじゃないか」
水口さんの方を向くと、彼女は僕に勝気な笑顔を見せた。
「当たり前でしょ? 麗様と引き合わせくれたことには感謝しているけど、あんなみたいのが麗様の隣にいること、あたしは認めたわけじゃないんだから」
彼女はやっぱり、憧れの伊勢崎さんの隣に凡人がいることが認めがたいらしい。
「では、ボクと水口さんの仲を深めるためにも、週末にどこか出かけようか」
伊勢崎が芝居がかった口調で提案した。その様子を、水口さんはキラキラした目で見つめていた。
……しかし、あの伊勢崎さんが遊びの誘いをするなんて、短い期間で成長したじゃないか。僕はなんだか母親のような気持ちで、伊勢崎さんの成長を喜んだ。
「ふむふむ。それで、伊勢崎さんはどこに行こうと思っているのかな?」
「駅の近くにショッピングモールがあるだろう。せっかく入学したことだし、高校生らしい服でも選びにいかないかい?」
普通の提案だ……! 僕はどこかズレたところのある伊勢崎さんからまともな案が出たことに少し感動した。
面白い提案だ、とばかりに清香も話し始める。
「服かあ……。あ、じゃあこういうのはどう? 女子は一人ワンセット自分を着飾るコーデを選んで、正人に見せる。それで正人は、順位をつけるの!」
「それ、僕がめちゃくちゃ気まずい思いするやつじゃないかな⁉」
最下位にした女の子に、僕はどんな顔を合わせればいいんだ。
しかしニヤニヤと笑った清香は、僕の主張を受け入れる気なんて全くないようだった。意外なことに、水口さんが賛同する。
「いいじゃない。渡辺、麗様を一位にしなかったら殺すから」
……ああ、多分この子は伊勢崎さんのコーデが見たいだけだ。自分の順位とか二の次なのだろう。
「正人は今から女の子の服を褒める語彙を増やしておくことだね」
相変わらず人を揶揄う時のニヤニヤした顔で、清香は僕に言ってきた。
ああ、賛成票二票でこの案は可決されてしまったらしい。僕の反対票など、考慮するに値しなかったようだ。
そういえば伊勢崎さんの声が聞こえないな。そう思ってふと彼女を見ると、何やら下を向いてほとんど聞こえない声量でブツブツ呟いているようだった。
「コーディネート……どうしましょう、私服を選んだことなんてほとんどないですのですが……まずいです……ダサい服を選んで、実はダサい人間であることがバレてしまいます……」
どうして服を買うなんて提案したんだ……。誰かに選んでもらったりするつもりだったのだろうか。
自信なさげにウロウロとしていた目が、僕と合う。その目は、切実なSOSを告げているようだった。
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