第14話雨のお出かけ

 私の耳に不快な雑音が入ってくる。立ち尽くす私の頭に、責めるみたいに落ちてくる雨の音。

 遠巻きに私を観察する群衆の、ざわざわという話し声。救急車のサイレン。そして、私の足元。ヒューヒューという、苦しげな呼吸音。

 現代日本ではなかなか聞く機会のない、死にかけている人間の喘鳴だ。私のせいで、この人は今生死の境を彷徨っている。

 

 雑音ばかりを拾う耳に、聞き馴染みのある声がした。


「ころ、した……?」


 渡辺君の声は、ひどく震えていた。怯えを含んだ目が、真っ直ぐに私を見つめている。その様に、体が芯から冷えていく感覚を覚えた。

 私は、こんなことになってしまった原因について考えた。



 私があの世界に行って得たのは、何かを壊す力だけだった。木をへし折る力。岩を砕く力。魔物を殺す力。そしてきっと、友情を壊す力。

 壊すことは、つくることよりずっと簡単だ。私の拳は百年かけて育った大木を破壊し、数千年かけてできた鍾乳洞をへし折り、そして、一か月かけて紡いできた友情をあっさりと壊した。

 

 ──ああ、失うことがこんなに悲しいことだったなら、最初から欲しがらなければ良かった。





「最近ずっと天気よかったのに、あいにくの雨だねえ」


 集合場所に着いた清香は、開口一番そう言った。その手には、赤色の傘が握られ、パラパラという音を立てて雨を弾いていた。


「出かける日だけ雨なんて不幸よね。渡辺、あんたもしかして雨男なんじゃない?」

「いやいや。三人で遊びに行った時は晴れてたから、むしろ水口さんが雨女なんじゃないの?」

「……そんなことないわよ」


 水口さんは少し顔を逸らした。思い当たる節があったらしい。

 やがて、雨音の中に、水たまりを踏みしめて小走りで近づいてくる足音が混じった。


「待たせて申し訳ない」


 合流した伊勢崎さんは、少しだけ濡れた短髪を掻き上げた。なんだか男性モデルみたいな仕草だ。水口さんがはうっ、などと言っているのが聞こえた。


「役者は揃ったね。それじゃあ行こうか、意地とプライドをかけた、ファッションバトルへ!」


 清香は、パチッと片目を瞑った。


「星さんはイオンよく行くの?」

「そうだね! 言ってしまえば庭だね!」

「そう。そんなに行ってるなら、どんな服が置いてるかも熟知してるってわけね」

「まあね!」


 清香は明るい雰囲気で水口さんと話している。どうやら、水口さんに対しては本性を隠したままで接するらしい。

 ……そうなると、余計不思議だ。清香は、どうして伊勢崎さんにだけ本性を見せたのだろうか。


「そんなによく行くなら、渡辺の服も選んでやればいいのに」


 水口さんは僕の服を見ると、へっ、とても言いたげに笑った。……ムカつく態度だった。


「正人は中学生になったあたりから急に私と二人きりで出かけるのを嫌がるようなったからねえ。全く、私はそんな子に育てた覚えはありませんよ?」

「母親か。……幼馴染だからっていつも行動してると付き合ってるのか、とか聞かれてめんどくさかったからね」


 正確には、僕が嫉妬を拗らせた結果、彼女に近づくのを嫌がっていただけなのだが。しかし、そんなことを素直に言う義理もない。


「ボクから見ても二人の距離は近いからね。そう聞きたくなるのも分かるよ」

「物心ついた時からずっと一緒だったら嫌でも近くなるよ」

「へえ、嫌なんだ、ふーん」


 清香は急に不機嫌そうな態度を見せると、ぷいとそっぽを向いた。


「ちょっと渡辺、彼女の機嫌損ねてるんじゃないわよ。ほら、慰めなさい」


 水口さんが清香の演技に慌てたように声をかけてくる。……いやいや、清香がこの程度で怒るわけが……。

 そう思っていたが、よく見ると清香は腕を組んで右手の人差し指をとんとんと叩いていた。ああ、あれは不機嫌な時の仕草……。


「いやそんな冗談だよ。言葉の綾っていうかさ」

「え、なに、嫌なんでしょ? 近づかないで?」


 うわあ、結構不機嫌だ。


「いやあ悪かったって」

「ふん」


 取り付く島もない。なんだかめんどくさくなりそうな気配だ。少し時間を置いてから話しかけようかな。


「渡辺君、諦めようとしないでなんとかしよう」


 伊勢崎さんはそう言うと、僕の耳に口を近づけてきた。急激に美しい顔が近づいて、僕の心臓は大きな音を立て始めた。視界の端で、水口さんが鬼のような形相になっているのが見えた。

 彼女の涼やかな囁き声が耳に侵入してくる。


「『僕にとって清香は特別だよ』って言ってあげてください」

「え? それはどういう……」

「私だったら、そう声をかけてあげます。いいから、ほら」


 その立ち振る舞いで女の子を魅了する伊勢崎さんの言うことなら、確かに間違いないのかもしれない。彼女は僕の背中をポンと押した。

 そんな態度に、僕は少しだけ嬉しくなる。いい意味で、伊勢崎さんは遠慮がなくなってきたかもしれない。

 

 前を見ると、余計に頬を膨らませた幼馴染の姿。

 ああ、今は目の前の清香をなんとかしなければ。


「えっと……」

「なに? 私と近づくのが嫌で嫌でたまらない正人」


 なんか伊勢崎さんと話してもっと不機嫌になってる気がする……。


「その、僕にとって清香は特別だから。だからむやみに近づいて傷つけたくなかったというかなんというか……」


 言ってから、僕は凄まじい羞恥心に襲われた。

 なんだこれ恥ずかしい。伊勢崎さんはよく普段からこんなセリフ吐けるな。

 

 恐る恐る、清香の反応を見る。『なにそれクッサ』とか嘲笑しながら言われたら、立ち直れないかもしれない。

 しかし僕の悪い予想に反して、清香は何やら顔を赤らめて止まっていた。


「~ッ! 行こっ!」


 清香はなぜか水口さんの手を取ると、雨の中を駆け出してしまった。

 後に残されたのは、呆然と立ち尽くす僕と、何やら満足げな様子の伊勢崎さんだった。


「星さんも可愛いところありますね。やっぱりニヒリスト気取っててもそういうところは普通の人ですね」


 清香の本性を知っているのに、伊勢崎さんは、そんなことを言っていた。



「ちょっと星さん痛い痛い! いくら恥ずかしかったからってあたしの手を引くことないじゃん!」


 振り返ると、なぜか水口の姿があった。私は少し考えて、無意識のうちに水口を連れてきたしまったことに気づいた。


「……顔は見ないで」


 赤くなった顔を見られるのが恥ずかしくて、少し目を逸らす。その様子を見た水口は少し笑った。

「なんだ、可愛いところもあんじゃん」

「私は常に可愛いですけど……?」


 水口の揶揄うような口調に、私は抗議する。そう、天才の私は、いつだって可愛い。


「いやそういうことじゃなくてさ、星さんってなんかいつも必要以上に感情を出さないっていうかさ、明るいんだけど、ふざけてる時もどこか俯瞰してるような冷たさがあった気がしたんだよね。でも、渡辺に嬉しいこと言われたときは、なんか本気のリアクションだった」


 水口は面白そうに言った。どうやら水口は、当初私が想定していたよりも観察眼に長けているらしい。少しだけ、意外に思う。


「好きなの?」


 率直な問いに、私は少しだけ言葉を詰まらせた。


「好きか嫌いかで言ったら好き。でもこの感情は、愛とか恋とかラブとか、そういう言葉で片づけたくない」

「じゃあなに?」

「need。『I need you』が一番しっくりくる」

「へえ、それって愛してるって意味じゃないの?」

「違う。それ以上に、必要なの。私には、正人っていう私の部品が必要なの」

「渡辺はあなたの所有品ってこと?」

「違う。正人は私にコントロールできないからいいの。真っ暗な私の人生の先でぼんやりと光る提灯を持っていてくれればいいの。それで最終的に一緒になってくれればいいの」

「うわあ、めんどくさ」


 水口は心底呆れた、という表情で肩をすくめた。


「ちょっと水口さん、聞いておいてその反応はなくない?」

「いやあ、でも多分めんどくさい性格した渡辺とお似合いだと思うよ」


 正人がめんどくさい? 私にはよくわからない感覚だ。けれどどうやら水口はそれを確信しているらしい。


「なんでもいいから、早く行こ。好きな人に服、見てもらいたいんでしょ」


 だから、好きとか愛とかそういうのじゃ……。しかし水口は、私の返事など聞かずに真っ直ぐにイオンに向かっていった。少しだけ釈然としない感覚を覚えつつも、私はその後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る