第11話憧れから同じ地平へ
「ええ、でもやっぱり麗様が私なんかの友達になってくれるなんて詐欺なんじゃないの⁉ もしかしてこれはあたしの妄想? 夢?」
「まだ言ってるの? 意外と普通の人だって、ほら」
伊勢崎さんには、先に空き教室で待ってもらっていた。
僕は未だにブツブツ言っている水口さんの背中を押しながら、ついにドアの前まで来た。
いつまで経っても水口さんはドアを開けようとせず、あー、とかうー、とか言ってるので、僕は乱暴に空き教室のドアを開けた。
伊勢崎さんは、他に誰もいない教室で、窓際の席に腰かけ外を眺めていた。
まるで空の向こう側を見通そうとしているみたいに、目を細めて遠くを見ている。血色のいい唇はキュッと締められている。その美しい顔には、幾ばくかの憂鬱が乗っているようだった。
その光景は、まるで絵画みたいに美しく見えた。
隣で、水口さんが息を呑んだ。その音にハッと意識を取り戻す。少し呆然としていた。
気を取り直して、僕は声を張り上げた。
「伊勢崎さん、連れてきたよ」
僕の声に反応して彼女が振り返る。憂いを含んだ表情は霧散して、いつもの不敵な顔に戻る。
そして伊勢崎さんは、少しだけ前髪を弄りながら席を立った。……最近気づいたことだが、伊勢崎さんは動揺していると前髪を弄るらしい。おそらく、伊勢崎さんの気弱な本性を見ている僕だから気づいたことだろう。
彼女が迷いのない足取りで近寄ってくる。僕の隣で、水口さんが気恥ずかしそうにもぞもぞと身動きをした。
内心とは反してふてぶてしい顔のままで、伊勢崎さんが目の前まで近寄って来た。
「あ、その、水口です……」
控えめな声は、少し震えていた。僕に強い口調で接していた時とは別人のようだ。
それを聞いた伊勢崎さんは、彼女を安心させるように少しほほ笑んだ。
「ボクの我儘に付き合わせてしまって申し訳なかったね」
「い、いえいえそんな、とても光栄なことで、本当にあたしなんかで良かったのかななんて……」
「そんなに自分を卑下しないで。可愛らしいお顔が台無しだよ」
伊勢崎さんは、少しだけ身を屈めると、水口さんの視線の高さに自分の目を合わせた。二人の視線が交錯する。そして、伊勢崎さんは頬を緩やかに上げて、目を優しげに細めて、花が咲いたみたいな笑みを見せた。
「はうっ……」
水口さんの顔が、急激に真っ赤になっていく。
「……伊勢崎さん、この前の二の舞になるよ」
この前、というのは伊勢崎さんが水口さんの鞄を拾ってあげた時のことだ。またあの時みたいに水口さんに倒れられても困る。
伊勢崎さんはピタリと動きを止めると、ススと元の体勢に戻った。
「んんっ……どうにもボクは困っている女の子は放っておけないみたいだ」
伊勢崎さんはしまった、とでも言いたげに、額に手を当てた。相変わらず、大仰なセリフや立ち振る舞いがよく似合っている。
「大して身構えないでほしいんだ。ただ、ボクと交友を結んでほしいというそれだけなんだ」
少しだけ、口調が変わった。大仰な物言いは鳴りを潜め、伊勢崎さんはいつになく素に近い状態で水口さんに語り掛けた。その様に、水口さんが目を見開いた。
「なんでもない話を一緒にしてほしい。気が向いた時に、一緒に遊んでほしい。ふとした時に、隣にいてほしい。……本当に、それだけなんだ」
切なげな表情は、本当にただ友達が欲しいだけの普通の女の子に見えた。
「それだけで、いいんですか……?」
「それが、いいんだ」
水口さんが、伊勢崎さんの目をじっと見つめる。沈黙が落ち、遠くで鳴いた鳥の声が良く聞こえてきた。それは、なんだか祝福のようにも聞こえた。
やがて、水口さんが口を開く。その瞳は、わずかに潤んでいるように見えた。
「私でいいなら、よろこんで!」
伊勢崎さんに負けず劣らず魅力的に、水口さんは笑った。
僕はその光景を見て、自分の直感が正しいことを知った。
──やっぱり、君たちは似た者同士だ。そして、僕とも。
普通の自分が嫌で、特別な人間になりたくて、それでも普通に友達を欲しがっている。どこにでもいる、普通の女の子だ。
「良かったね、水口さん」
なんだか気分が上がってしまって、僕は水口さんに話しかけていた。彼女の方も興奮しているらしく、感情の籠った答えが返ってくる。
「ええ! 渡辺のおかげね、ありがとう!」
想像よりずっと素直な言葉に、僕は動揺する。きっと、言いながら笑う彼女の顔がとても自然で魅力的だったからだと思う。
水口さんは、スキップをするような足取りで教室を後にした。
空き教室には、僕と伊勢崎さんの二人だけが残される。
遠くで、カラスが鳴いた。
「渡辺君」
伊勢崎さんの口調はいつの間にやら、気弱な彼女に戻っていた。……そして、どことなく不機嫌に聞こえた。
「随分水口さんと仲良くなってましたね。ちょっと前まで敵視されてましたよね?」
伊勢崎さんの言うことも最もだ。一週間前の僕なら、水口さんとあそこまで打ち解けられるなんて思いもよらなかっただろう。
「……案外、僕に近い人だったんだよね」
「え?」
「普通に悩んで、普通に努力して、普通に特別な人に憧れてたんだよ。だから、僕と似てる」
「その条件だと、結構誰でも当てはまるんじゃないですか?」
「案外そうでもないよ。……いや、そうじゃなく見えるよ。みんな簡単にそういうところを見せてくれない。誰だって、特別な人でありたいんだと思う。だから、普通に悩んでいるところを隠す。なんたって僕らは青春を謳歌する若者だからね」
伊勢崎さんは、僕の言葉に少しだけ呆れているようだった。
「……渡辺君は、結構めんどくさいことを考えるんですね」
「めんどくさい性格してる伊勢崎さんに言われたくないかな」
僕が苦笑すると、伊勢崎さんは頬を膨らませた。いつものかっこいい態度との差がすごくて、なんだかドキドキしてしまう。
「伊勢崎さんは、これで良かったの?」
「良かったです。渡辺君、ありがとうございます」
ぺこりと、伊勢崎さんは頭を下げた。いつもの優雅なお辞儀ではなく、体を縮めるような礼だった。
「……じゃあ、なんでさっきちょっと不機嫌だったの?」
僕が問うと、途端に伊勢崎さんは顔を真っ赤にした。端正な顔が紅潮する様は、凄まじい破壊力だ。あわあわと、早口で彼女は答えた。
「いやその、なんていうか渡辺君と水口さんが短期間ですごい仲良くなってるのを見て、ちょっとモヤモヤした気分になったっていうか……」
「嫉妬ってこと?」
伊勢崎さんのこれ以上赤くならないだろうと思っていた顔が、一層赤くなった。
「え、し、しっと⁉ いや全然、いくら助けてもらっているとはいえ、渡辺君に恋愛感情とかないですから! そういうのはちょっと恐れ多いというか!」
慌てふためく様子はいつになく動揺しているようだった。
僕は少しだけ、本当に少しだけガッカリした気持ちを隠して、苦笑した。
「いやいや。友達にだって嫉妬はするでしょ。別に恥じらうことでもないって」
「そ、そうですかね……?」
ちょっとだけ顔の赤みが引いた伊勢崎さんは、多少落ち着きを取り戻していた。
「でも、こういう感情も初めてです」
「……そっか」
それは良かったね、と言うのもなにか違う気がして、僕は口を噤んだ。簡単に言葉を出すには、僕の胸中に渦巻く感情は複雑すぎた。
──ひょっとしたら、僕は嫉妬に振り回された経験のなかった伊勢崎さんに嫉妬したのかもしれない。あの全身の水分を蒸発させるような嫉妬の炎の熱を、僕は未だに忘れられない。
少しだけ、僕は嫉妬を感じたことのなかった伊勢崎さんが羨ましくなった。
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