第10話見上げる彼女は大きくて

 さて、清香を伊勢崎さんと合わせれば僕のやるべきことは終わりだろうか? 

 そうではない。伊勢崎さんはクラスに馴染みたいと言っていた。であれば、友達が一人できただけで止まっていてはいけないだろう。

 

 一応、次の目途はついている。……少し、気は乗らないが。

 休み時間の教室で彼女に話しかけると、すさまじく怪訝な顔をされた。けれど案外いい人だったらしく、ほとんど面識のない僕の願いも渋々聞き入れてくれた。決戦は放課後。僕の見立てが、彼女なら伊勢崎さんの友達になれるだろうという推測が正しかったのか、確かめる時だ。



「それで、話ってなに?」

 

 一人屋上に呼び出された水口さんは不機嫌そうな様子を隠そうともしないで僕に問いかけてきた。やはり伊勢崎さんのファンである彼女は、自らの慕う伊勢崎さんの近くをうろつく僕が気に食わないらしい。

 僅かに気圧される。

 

 しかし僕の見立てでは、彼女が一番可能性があるのだ。諦めるわけにはいかない。僕は言葉を紡ぐ。


「その……これから言う僕の頼みを聞いて欲しいんだ」


 僕の言葉を聞いて、険悪な表情を浮かべた水口さんの表情が一層険しくなった。


「なんでアンタの言うことに従わなきゃいけないわけ? 麗様に付きまとう羽虫のアンタに」


 とげとげしい様子は取り付く島もない。どうやら僕のことが憎くてしかたないらしい。


「でもこれは、どうしても聞いて欲しいことなんだ」


 目を真っ直ぐに見つめて言う。口調も真剣に改めた。僕の態度に、水口さんも少しだけたじろぐ。


「……なに」

「どうしても聞いて欲しいことなんだ。僕のことが憎かったとしても、これだけはどうか叶えて欲しい」

「なによ……あ、まさか……!」


 水口さんは急に全て納得がいった、というような顔をした。


「人気の無い屋上、真剣な表情、熱っぽい言葉……これは、これはまさか噂に聞く……?」


 唐突に、水口さんの顔が紅潮していった。


「イメチェンして高校生になったから、そういうことを期待してなかったわけでもないけど……これは、これはまさか……」


 早口で何かブツブツと呟いている。……とんでもない勘違いされている気がする。さっさと要件を伝えよう。


「実は、伊勢崎さんと友達に──」

「ごめんなさい! あたしには好きな人が……え? とも、だち……?」


 ようやくすれ違いに気づいた水口さんは、もう一度顔を真っ赤にした。


「うわああああ! やっちゃったやっちゃったやっちゃった! 終わった……完璧な高校デビューしたのに、これでまたクラスの端でいじけてる陰キャに逆戻りだあ……」

「いやあの……」

「ああ、見ないで見ないで、憐れで惨めなあたしを見ないで……」

「いや、別に言いふらしたりしないって」

「本当に……?」


 恐る恐るこちらを見上げる水口さんは、今までの気の強そうな顔からは一転、ひどく弱弱しく見えた。心臓が少し跳ね上がる。


「ほんとうほんとう。ていうか僕がそんなこと言っても信じられると思わないし」


 水口さんはクラスにも友達が多かったはずだ。信用されていない僕の言葉なんて簡単には信じられないだろう。


「ふー、よかった」


 弱弱しい印象から一転、晴れ晴れした笑顔を見せる。

 なんだか、この一瞬だけで僕の中の水口さんの印象が大きく変わった。怒っている顔や気の強そうな顔ばかりを見ていたので、怖い印象が強かったが、本当は色々な顔をするんだな、と僕は意外に思った。


「それで、なにを言いかけてたの?」


 強気な態度をとるのはやめたらしい。常よりも穏やかな表情で、彼女は要件を問いただしてきた。


「水口さんに、伊勢崎さんの友達になってくれないかなって」


 僕の言葉を聞いた途端、彼女の形のいい眉が大きく吊り上がった。ああ、これはいつものつんけんしている彼女だ。僕はなんだか懐かしい気持ちすら覚えた。


「はー⁉ なんであんたなんかが麗様の友人を募ってんの? 何様のつもりなの?」


 キイキイと、彼女は僕を詰った。さっき狼狽えてた人と別人に入れ替わっただろうか? 


「いやそれがさ、伊勢崎さん立ち振る舞いが普通の人と違いすぎて、みんな中々近寄りがたいみたいなんだよね」

「当たり前でしょ! なんたって麗様なんだから!」


 水口さんは胸を張った。なんで君が誇らしげなんだ。


「だから、僕みたいな普通人間が代わりに友達を募ってるってわけ」

「ふーん……それで、私が麗様の友達に、ね。……いや無理無理無理!」


 口調が変わった。ああ、これは弱気の水口さんだ。


「そもそも私と麗様じゃ立つステージが違うっていうか! なんていうの? あたしが地を這いつくばって生きているとしたら、麗様は背中の羽で優雅に空中を飛んでいるみたいな!」


 水口さんは結構卑屈だった。なんだか親近感が湧いてきた。


「でもみんなそんなこと言うから、伊勢崎さん全然友達いないままだよ。本人も困ってるよ」

「うっ……」


 水口さんは吊り上がっていた眉をキュッと下げて、困り果てたような表情をした。


「……まあまずは、本人と話してみたら? 水口さん眺めるばかりで全然伊勢崎さんと話したことないんじゃないの?」

「それは確かに……」


 水口さんの眉は困ったようにつり下がったままだった。屋上に、しばらくの沈黙が下りる。僕は黙って彼女の答えを待った。

 

再び、水口さんの口が開く。その雰囲気は、先ほどまでと違う真剣さを感じた。


「渡辺、だったよね。少しだけ、あたしの話を聞いてくれない?」

「まあ、構わないよ」


 少しだけ躊躇する様子を見せていた彼女だったが、やがて静かに話し始めた。


「──初めて麗様に会った時、あたしは運命の出会いだと思った」


 あまりにも真剣な口調で、僕は口を挟めなかった。


「入学式の朝だった。あたしは慣れないローファーで通学路を歩いていた。そして、足を挫いた」


 その時の痛みを思い出したように、彼女は表情をゆがめた。


「おわった、って思った。何を大げさなって笑うかもしれないけど、あたしはその時本気でそう思っていた。入学式の日に遅刻してくるなんて、おかしな奴だって笑われると思った。そのまま、また中学の頃みたいにみんなに笑われるキャラクターになると思った」

「……」


 彼女の言葉には、その時に感じていた心の痛みがそのまま籠っているようだった。


「頑張ってダイエットして、ぼさぼさだった髪を整えて、化粧水とかを使って、新しいあたしに生まれ変わるんだって決意したのが、全部無駄になった、って思った」


 高校生になるというのは、自分を変える貴重な機会だ。同級生が変わって、属する社会が変わる。自分を見る人の目も変わる。それは、納得いかない日々を過ごしていた者たちにとって、またとない機会だ。その感覚は、僕にも分かる。


「目の前が真っ暗になった気がして、このままずっとうずくまっていたいと思った。──でも、そんなあたしの目の前に、麗様が現れた。情けなくへたり込んだあたしに、麗様は手を差し伸べてくれた、歩けないと分かったから、麗様はあたしをおぶって学校まで届けてくれた」


 言葉に熱が籠る。その熱は、憧れなんて一言で片づけることができないほどの切実さがあった。


「ヒーローがいるなら、多分この人みたいな人だと思った。あたしを抱きかかえて歩く姿が、何よりもかっこよく見えた。この人よりも魅力的な人なんていないと思った。あの時、あたしにとって麗様は、神様みたいなものになった」


 宙に視線を漂わせて語り続けていた水口さんは、急に焦点を僕の顔に合わせた。


「……ああ、長々と語ってごめん。要するに、あたしにとって麗様は友人なんて対等な存在には感じられないってこと」


 特別な人間への、憧憬に似た感情。僕にも覚えのあるものだった。もっとも、僕の場合は嫉妬の方が大きくて、みっともない醜態を晒したわけだが。しかしながら、僕は今まで赤の他人だった水口さんが、急に自分に近い人間に見えてきていた。

 気づけば、僕は他人にあまり話していない過去について、水口さんに語っていた。


「──僕も、昔はそうだったよ。凄い人に、特別な人に憧れてた。ああなりたいって思って、叶わなかったから嫉妬していた。僕の場合、雲の上の存在みたいに感じていたのは幼馴染の清香だったけど」

「清香……えっと、同じクラスの星さん……?」

「そう。僕にとって、彼女は何でもできる人の象徴みたいなものだからさ。羨ましく、憧れで、でもそれよりも妬ましくて、ちょっと距離を置いてた。でもさ、高校生になって、そういう雑念を一旦置いておいて改めて相対すると、分かることがあったんだ」

「それは?」


 水口さんは、僕の言葉の先を切望しているようだった。


「少なくとも僕と彼女は、同じ地平に立っている……ってことかな。さっき君は伊勢崎さんのことを背中の羽根で空を飛んでいるみたいって表現したよね」

「うん」

「でもそれは、多分下から見ようとしているから、そう見えるんだと、僕は思う」


 上手く言えないけれど、少なくとも伊勢崎さんは、僕らの手の届かないところまで羽ばたいていってしまうような人には見えなかった。僕らと同じ、地面の上を歩く人間だ。


「でも、麗様は……」

「君の中にある理想の伊勢崎さんじゃなくて、今を生きている伊勢崎さんと、話をしてみてほしいんだ。僕が言ったことが正しいのかどうかなんて、その後で判断すればいい」


 理想像なんてものは、その人と直接接していない期間が長いほど膨れ上がっていってしまうものだと思う。きっと水口さんは、伊勢崎さんを眺めている時間が長いあまり、何か勘違いしていると思った。

 

 僕の言葉を難しい顔をして聞いていた水口さんは、やがてゆっくりと頷いた。


「……わかっ、た。あなたの言うことは、なんだか信用できる気がする。──きっと、あなたは私と同じ、地を這って生きている人間だからかな」


 ひどい言い草だな、とは不思議と思わなかった。むしろ、納得した。僕もそう思っていたところだ。


「ハハッ、そうかも。そういう意味で、多分僕と君は似た者同士だ」

「全く嬉しくないけどね」

「僕もだよ」


 不格好でいびつな笑顔で、僕らは互いに見つめ合った。

 今この瞬間、彼女は、誰よりも僕のことを理解している気がした。

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