第9話ラーメン屋

 清香の案内してくれた寺田ラーメンは駅前からやや離れた路地、人混みから身を隠すようにして存在していた。

 決して広くない店内。やや薄汚れた壁面に、少し古びた食券販売機がいい味を出している。昼過ぎにも関わらず、カウンター席は満席だ。


 ここ寺田ラーメンは知る人ぞ知る名店、らしい。清香はそう言っていたし、実際そんな雰囲気だ。

 店先から中の様子を覗く。ガタイのいい店主が一人でてきぱきと動き、客たちは脇目も振らずに麺を啜っている。一人、一人と食べ終わった客は満足げな顔で『ごちそうさま』と残して去っていく。

 

 繁盛している店らしく、僕らは少しの店先で待たされた。けれど客の回転自体は早いらしく、入店までさほど時間はかからなかった。

 僕らはちょうど空いたカウンター席に三人並んで座った。僕の隣に伊勢崎さん、その隣に清香という順番だ。


「どこでこんな店知ったの? 女子高生には縁遠そうだけど……」


 店先は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。多分僕一人で来たら入るのに少し躊躇していただろう。


「匂いが、さ。私を呼んだんだよね」

「匂い……?」


 清香の思い出深いエピソードを語るような語り口に、伊勢崎さんが反応する。

 伊勢崎さん、乗らなくていいよ。どうせこいつ適当なこと言うだけだから。


「そう、あれは行くあてもなく彷徨っていた十五の夜のこと……! 私は、運命に出会ったの!」


 盛大な作り話を始めた清香から目を逸らす。あれはまともに付き合っても疲れるだけだ。

 店主の手際を見ていると、ほどなくしてどんぶりが三つ、僕らの目の前に置かれた。


「豚骨三つ、お待ち」


 短く言うと、店主はすぐさま次の客の分を作り出した。目の前に置かれた豚骨ラーメンから、湯気と一緒に香ばしい匂いが漂ってきた。


「うわー、やっと食べれるー」


 清香が髪を掻き上げて耳に掛けた。白い首筋が目に入った僕は、なんとなく目を逸らす。


「いただきます」


 姿勢を正して手を合わせる伊勢崎さんの姿は、なんだか小さなラーメン屋にはひどく不似合いだった。


「……いただきます」


 僕も何となく挨拶して、早速麺をすする。食感はやや硬めか。ちじれ麺に絡みついた豚骨スープの旨味が、僕の舌をくすぐった。すぐさま、スープを一啜り。途端、暴力的な旨味が口腔を支配した。


「うまっ!」

「でしょう!」


 清香が嬉しそうに肯定した。伊勢崎さんも僕の隣でこくこくと頷いていた。

 今度は麺と一緒にチャーシューを食べる。……こちらも美味い。

 

 やがて、脳まで届くような旨味の洪水に、僕らは会話する余裕すら失っていった。

 箸を動かし、時折レンゲを握り、額に浮かんだ汗を拭う。

 気づけば僕らは、会話一つなくラーメンを啜っていた。


「ふう……ごちそうさまでした!」


 三人ほとんど同時に食べ終わり、店を出る。歩き始めると、お腹のあたりがやや重かった。

 清香が歩きながらしみじみと言う。


「交友を深めるって意味では、ラーメン屋は不向きだったかもねえ」

「まあ、喋る暇なんてなかったよね。お客さんまだ待ってたし。でも美味しかったよ」

「客が押しかけるだけあったね。麺とスープの織りなすハーモニーはまさしく至上の芸術と言って差し支えないだろう」

「ふんふん、楽しかったってことかな?」


 伊勢崎さんの大仰な言い方にも、清香は大して動じていなかった。慣れた、とも言えるかもしれない。

 僕は少し清香の方によって、小声で問いかける。


「清香、伊勢崎さんのことは分かった?」

「うーん、正直まだ分からないことも多いけど、まあ友達やれる程度には分かったかな?」

「そっか」


 なんでもないような言葉だったが、僕は少し驚いた。清香が分からない、と言うことは、かなり珍しい。特に人間観察においては、彼女はだいたいのことはすぐ分かってしまうからだ。

 

 清香でも、伊勢崎さんの演じる男らしい姿の奥にあるものは見えなかったか。

 僕はそのことが、残念なようで嬉しいような気もした。きっと、僕だけが彼女の本当の姿を知っていることが自分が特別だという優越感をもたらしたのだ。


「ちょっと早いけど、今日は帰ろうか。正人がボーリングでへっているし」


 ……そっちはバレてたか。


「伊勢崎さん」

「……なにかな」


 少しだけトーンの下がった声で、清香が彼女を呼ぶ。少しだけ、空気が冷たくなった気がした。


「これから、よろしくね」


 友好的なメッセージにも聞こえるそれは、しかし僕には何かの宣戦布告にも聞こえた。

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