第212話 本気の愛情
「こんにちは、ヒスイ伯爵。謁見の後にいきなりすみません」
リビングにメイドを引き連れたマイア殿下が入ってくる。
恭しくカーテシーを見せた彼女をソファに座らせ、僕もまたぺこりと頭を下げて挨拶した。
「こんにちは、マイア殿下。急にどうしたんですか? 何か緊急の用事が?」
「お察しのとおりです。実は、どうしてヒスイ伯爵にお話がありまして」
マイア殿下の様子は真剣そのものだった。
謁見の間——王宮では話せない内容なのかな?
それとも僕を追いかける暇がなかったからこうして家を訪れたのか。
どちらにせよ、僕も真面目な表情を作る。
しばし見つめ合った僕ら。マイア殿下が口を開いて続けた。
「単刀直入に言います。ヒスイ伯爵! わたくしと結婚しましょう!」
「……はい?」
今、彼女はなんて言ったんだ?
「ありがとうございます! 二つ返事で了承してくれるなんて、さすがヒスイ伯爵ですわ!」
「いやいやいやいや! ちょっと待ってくださいマイア殿下! 今のはどういうことですか? という意味です! 決して受け入れたわけではありません!」
「そうなんですか? 紛らわしいですね……というか、意味も何もそのまんまです。わたくしはヒスイ伯爵を愛しています。今すぐ結婚してほしいくらいには」
「今すぐ⁉」
「冗談ですよ。わたくしは本気ですが、学生結婚はお父様がお許しになりません。ひとまず婚約者という形を取って、学園を卒業したら結婚しましょう」
「きゅ、急展開すぎてちょっと……僕は今のところ、結婚も婚約も考えていません」
「なぜですか? ヒスイ伯爵ほどのお方なら、引く手数多でしょうに。それと、わたくしのファーストキスを奪っておいてそんな」
「奪って⁉」
僕の記憶が正しければ、あの時、唇を重ねてきたのは彼女のほうだ。
しかし、実際にマイア殿下が「純潔を奪われた」みたいなことを誰かに言ったら、前世と違って証拠などなくても僕を罰することはできる。
命の恩人である僕にそんなことするとは思えないが、背中がぶるりと震えた。
「わたくしは心臓が張り裂けそうなほど緊張していたんですよ? 他に好きな相手でもいるんですか?」
「いや、そういう相手はいませんけど……」
「では結婚しましょう。わたくし、ヒスイ伯爵以外とは付き合う気はありませんので」
「大事な話を当人たちだけで決めるのはどうかと」
「お父様も賛成してましたよ」
「え」
あの娘に甘い国王陛下が⁉
嘘だ、と言いたいが、確かに謁見の間では特に否定的な意見は出ていなかった。
本当に陛下も僕とマイア殿下の結婚に賛成なのか?
言われてみれば、ドラゴンスレイヤーで数々の功績を挙げた僕と王女殿下の結婚。
普通に考えて悪くないとは思う。
でも僕は政略結婚なんてクソ喰らえ派だ。
前世の価値観もあるし、なるべく好きな相手と結婚したい。
「ぼ、僕は好きな相手と結婚したいので。今すぐには困りますし」
「わたくしのことは嫌いですか?」
「そんなこと! むしろ好きな……あ」
「うふふ」
思わず僕は反射的に答えてしまった。
マイア殿下の口角が弓のように曲がる。
「では問題ありませんね? わたくしはヒスイ伯爵をお慕いしております。ヒスイ伯爵もわたくしのことが嫌いじゃない。運命ですわ!」
「お、落ち着いてくださいマイア殿下!」
「わたくしは落ち着いています」
「だったら冷静になって!」
「わたくしは冷静です」
どこが⁉
どこからどう見ても聞いても普通じゃない。
完全に暴走一歩手前って感じだ。
「冷静だからこそ、本気でヒスイ伯爵を口説いているんです。わたくしにとっては今後を決める大事な話ですから」
「マイア殿下……」
彼女の言葉、表情からは本気の好意が伝わってくる。
マイア殿下は心の底から僕のことが好きなんだろう。それに目を逸らすことはできない。
だが、それでも僕は彼女の気持ちを拒絶する。
まだ婚約するのは早い、と。
「すみません。何度言われても僕は婚約できません」
「ッ。やっぱりヒスイ伯爵はわたくしのことが……」
僕が本気で彼女の好意を否定したため、マイア殿下が俯く。
ちくりと胸を鋭い痛みが突いた。
一応、補足しておく。
「決してマイア殿下が嫌いだとかそういうわけではありません。先ほど言ったように、僕はむしろ殿下が好きだと言えます」
「ではどうして? どうして頑なに拒むのですか?」
「僕はまだ子供です。自由を追い求めたい年頃なんですよ」
「自由?」
「ええ。夏休みに海を見に行ったり。友達と遊んだり。ゆっくりとベッドで寝たり。そういうなんでもないような日常を過ごしたい。結婚は、もう少し時間をかけて考えたいんです」
「…………なるほど。ヒスイ伯爵のお気持ちは解りました。わたくしも気が急いていましたね」
「理解を示していただきありがとうございます」
「はい。ではとりあえず、わたくしと一緒に夏休み、海へ行きましょう! ね?」
「え? あー……すみません。実はすでに予定があって」
「は?」
すっ。
マイア殿下の瞳からハイライトが消えた。
僕はびくりと肩を震わせる。
本気で恐怖を感じた。
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