第88話 空から

 第一王女マイア殿下に迫られながら、緊張感の漂う時間を過ごしてしばらく。


 突然、馬車は動きを止めた。


「馬車、停まりましたね……」


「恐らく魔獣を見つけたのでしょう。これからリベルお兄様が戦闘を始めます」


「狩りってやつですね。見学はできますか?」


「ええ、もちろん。周囲には多くの騎士がおりますので遠慮なくどうぞ」


 そう言ってマイア殿下は馬車の扉を開けてくれる。


 先に僕が馬車から降りてマイア殿下の手を引く。これくらいは男爵として当然のマナーだ。


「ありがとうございます、ヒスイ男爵。よかったらこのまま手を握っていてもらえますか?」


「そ、それはさすがに……万が一のこともあるので」


 申し訳ない気持ちを抱きながらもマイア殿下の手を離す。


 彼女は残念そうに口元を尖らせた。


 その直後、先頭の馬車から声が聞こえてくる。


「アイン、マイア! お前たちは下がっていろ。魔獣が出た。俺とヒスイ男爵が対処する」


 馬車から降りた第一王子リベルは、腰に差していた鞘から剣を抜くと、好戦的な目をこちらに向けた。


 僕はやれやれとため息をつく。


「そういうことなので、僕はリベル殿下と共にいきます。くれぐれも危険な真似はしないでくださいね」


「時々ヒスイ男爵はわたくしのことを子供だと思っていませんか? いくらなんでも暴れたりしませんよ!」


「それは失礼。マイア殿下にもしものことがあったらと思い……無用な心配を謝罪します」


「え? そ、それってわたくしのことを心配してくれたってことで……」


「ヒスイ男爵! まだかね!?」


 なにか言おうとしたマイア殿下の台詞に、リベル殿下の声が重なる。


 完全にかき消されていた。


 マイア殿下の表情がみるみる内に暗くなった。


 目が据わっている。


「お兄様……大事なところだというのに余計な……!」


「ま、マイア殿下? リベル殿下がお呼びなので僕はいきますね」


 嫌な空気を察知した僕は、ぺこりとマイア殿下に頭を下げてからその場を立ち去った。


 急いでリベル殿下のほうへ向かう。


 そのタイミングで茂みの奥から数体の魔獣が姿を見せた。


 どれもクレマチス男爵領で見たことのある魔獣だ。魔獣はあまり種類が多くない。


 バジリスクほどの個体ならまだしも、雑魚はだいたい似たような外見をしている。


「やっと来たか、ヒスイ男爵」


 後ろに並ぶ僕へリベル殿下が嫌味を言った。


「バジリスクを倒したという君の力量を楽しみにしていたんだがね。もしかして、緊張や不安を抱いているのかい?」


 ふふん、と鼻を鳴らしてリベル殿下の饒舌は続く。


「たしかに君は強い。それは認めよう。そこそこの才能だ。いずれ俺が追い抜くが、いまは俺より強い。だからあまり失望させないでくれ。まぐれでもバジリスクを倒した猛者、なんだからね」


「あはは……善処します」


 やたら口うるさい人だなぁ……。


 俺、この人とは仲良くできないのかもしれない。


 向こうからバリバリ敵意を飛ばされたら、こっちだって印象が悪くなる。


 誰だって優しく温かい人と付き合いたい。アイン殿下とか、マイア殿下とかね。


「よろしい。では俺の戦闘でも見ていたまえ。あの程度の雑魚なら瞬殺だ」


 言い終えるなりリベル殿下は地面を蹴った。


 前方に並ぶ魔獣に近付くと、おもむろに剣を振る。


 前の戦いのときは冷静じゃなかったが、今回はしっかり剣術をアピールしていた。


 隙なく、油断なく魔獣を狩っていく。


 魔力を使っているのか、あっという間に討伐は終わった。


 ドヤ顔でこちらに戻ってくる。


「どうだったかな、ヒスイ男爵。俺の力量も相当だろう?」


「は……はい。さすがリベル殿下ですね。僕もすぐに抜かれちゃいそうです」


「ありえないわね」


 俺の言葉に反応したのは、目の前にいるリベル殿下ではなかった。


 頭上に浮かぶ三人の女神のひとり、戦の女神アルナだ。


「あんな雑魚を相手にいくら強がったところで虚しいだけ。低レベルがすぎるわ」


 ダメだよアルナさん。いくら僕にしか聞こえていないからって、僕には聞こえているんだ。


 本人を目の前にそんな感想を聞いてしまったら、リベル殿下の顔がまともに見れなくなる。


 だが、アルナの言葉が聞こえていないリベル殿下は表情をよくした。


「そうだろうそうだろう! 俺は子供の頃からペンドラゴン公爵にしごかれてきたのだ。そんな俺が強いのは当然のこと。師にも才能があると言われているんだ。数年後には俺がペンドラゴン公爵を超えているかもしれないな!」


 それはありえない。


 僕が見たペンドラゴン公爵は、雰囲気だけでも強者のそれだった。


 ぶつかれば僕のほうが強いだろうが、少なくともそれだけの圧を目の前の殿下からは感じない。


 自慢話もいいけど、せめてもっと死ぬ気で頑張らないとね……。


 偽りの感情を貼り付けて笑う。リベル殿下はおだてるに限る。


「それはそれは。王国の未来は安泰ですね」


「まあな!」


 胸を張る殿下。


 ちょっと微笑ましくなってきたところで、——急にを感じた。


 リベル殿下や周りの者たちからではない。もっと遠くの……それにこの反応は……。


 咄嗟に僕はを向いた。


 するとはるか彼方に、小さな黒い点が見えた。


 点は次第に大きさを増していき、どこかで見たことのあるシルエットに変わる。


 誰かが叫ぶ。




「ど……ドラゴンだ! ドラゴンが出たぞ!?」

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