第71話 幸せにしたい

 パカパカと馬車が走る。


 窓辺から見える景色の中には、邸宅の前で肩を震わせる家族の姿が見えた。


 「戻ってこい!」「まだ話は終わっていない」とぎゃあぎゃあ叫ぶ声も聞こえるが、それらは全て無視して僕はくすりと笑った。




「これでようやくアルメリア姉さんも男爵領から出られるね。勢いで連れて来ちゃったけど、なにか忘れ物とかない? いまならまだ侯爵から預かった騎士たちに持ってこさせられるよ」


 対面の席に座るアルメリア姉さんにそう確認すると、彼女は首を横に振って答えた。


「いいえ、大丈夫よ。もともと私の私物はほとんどなかったし、本を少しだけ持ち運べたから」


「本? そう言えばアルメリア姉さんは読書が好きだったね」


 ちらりと彼女の手元を見ると、やや傷付いた数冊の本が握られていた。


 僕の記憶によると、アルメリア姉さんはいっつも本を読んでいた。父親が持つ書斎からこっそり僕が引き抜いてきた本だ。


 それを読むのが、病気で部屋に隔離された彼女の唯一の楽しみだったらしい。


「うん、大好き。病気が治ってからも外には出られなかったし、体は弱かったから読書は続けたわ。同じ本ばかり読んでいたけど、本の中は夢で満たされていた。本があったから私はこうして笑えるの」


 にこりと本当に笑ってみせるアルメリア姉さん。その笑顔の裏側には、たくさん傷付いてたくさん悲しんだ涙のあとが見える。


 一家のホープとして期待されていた長女アザレアとも、能力を開花させて独り立ちを選んだ三女コスモスとも違う。


 アルメリア姉さんは、誰からも期待されなかった。生きているだけの存在だった。


 まるで緩やかに腐っていく死体のように代わり映えのしない日々を過ごした。数冊の、僕が書斎から盗んだ本を見るだけの毎日。


 それはどれだけ苦しくて退屈な時間だったか。僕自身、アルメリア姉さんとはあまり関わらなかった。関わると、家族が目を付ける可能性があったから。


 ゆえに、今さらながら後悔している。もっとアルメリア姉さんと話をしておけばよかったと。


 グッと拳を強く握りしめて、せめてここから先は彼女に幸せな人生をプレゼントしようと決意する。


「アルメリア姉さんには好きなだけ本をプレゼントするよ。書店を買い占めるのも面白そうだね」


「わぁ……! ヒスイったら、そんなジョークを言えるようになったのね。昔は可愛かったのに、カッコよくもなったわ」


 アルメリア姉さんは本気にしていない。僕が王都で男爵になってる事を知ってもなお、財力だけは劣っていると思っている。


 ……いや、正確には、クレマチス男爵家での生活がそんな意識にさせているのだろう。あそこは極貧生活が当たり前だったし、僕が家を出てまだ一ヶ月ほど。


 信じられるほうがおかしい。


 だが、僕はにやりと口角を弓のように曲げて言った。


「本当だよ、アルメリア姉さん。僕は国王陛下に認められた男爵で、実は結構お金も持っているんだ。それに多分、国王陛下に頼めば本当にたくさんの本を贈ってもらえるだろうしね」


 国王陛下は僕に強い関心を寄せている。恐らく史上初の全属性持ちを手厚く保護し、国で囲いたいに違いない。


 僕も姉さんたちが過ごすこの国を守りたいと思うし、国王陛下からの頼みならバジリスクくらい乱獲してもいいが……であれば、僕が国王陛下にお願い事をするのも許されるはずだ。


 というか、国王陛下自身がそれを望んでいる節さえある。僕に恩を売っておけば、あとあと交渉が楽になるからね。


「え……えぇ? ヒスイったら、この短いあいだに一体なにをしたの? 国王陛下にお願いできるかもしれないだなんて……」


「まあ、色々あったんだよ……バジリスクを討伐したり、侯爵令嬢を助けたり、爵位を貰ったり、家を貰ったりね」


「ば、バジリスク? 侯爵令嬢? 家? なんの話かサッパリ解らないわ……」


 僕の話を聞いて、あわあわと混乱するアルメリア姉さん。それらの言動すらも清楚さを漂わせる彼女に、僕はプッと吹き出してしまう。


 くすくすと笑ったのち、笑みを続けて説明する。




「そうだね。王都へ着くのに時間がかかるから、その道中にでも教えるよ。僕が、アルメリア姉さんの知らないところでどういう扱いを受けているのか。あと、王都に着く前に決めておこうか。アルメリア姉さんの望みを」


 姉さんのお願いは全て叶えてあげたい。これまで苦労し、助けられた分まで幸せにしたい。


 その想いが、姉さんには重いとしても関係なかった。僕がそれを望む。姉さんにはなに不自由なく過ごしてほしいと。


 その気持ちが伝わったのか、依然、アルメリア姉さんは口元を押さえて慌てていた。


 侯爵令嬢になり、実家から飛び出し、僕の武勇伝を聞く。


 そんな情報を一日で処理しきるのは難しいだろう。珍しく焦るアルメリア姉さんの反応を見ながら、すでに僕の心は温かくなっていた。


 もっと困らせたい。もっと笑っていてほしい。もっと楽しみ、もっと喜んでくれ。


 歩く速度から走る速度に切り替わった馬車の中、多くの質問をするアルメリア姉さんと夜通し語り合った。


 王都に着く頃には、ほとんどの疑問が氷解していた。

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