第69話 同格の貴族

 久しぶり……と言えない程度に実家へ帰った僕は、家に残されたアルメリア姉さんに、『リコリス侯爵令嬢』になるための書類を渡した。


 いわゆる養子になるために必要なものだ。


 追いかけてきた両親や兄たちにそのことを伝えると、見下してきた妹が一気に出世したのを気に食わない兄グレンが、床を蹴って僕に殴りかかる。


 それを、前と同じように受け止めた。


「やれやれ……また僕に殴られたいようだね、グレン」


「くっ! 侯爵と知り合いだからって調子に乗るなよヒスイ! 俺はクレマチス次期男爵だぞ!」


「それがどうした? こんなちっぽけな田舎の次期男爵様が、子供相手に暴力を振るってるけどそんなに偉いの?」


「ヒスイ!」


 もう片方の手で僕を殴りつけようとする。


 兄グレンの拳は、一般的な成人男性のそれだ。多少ガタいがよくて強力ではあるが、武の極地とも言える魔力を扱える僕には遠く及ばない。


 すでに何度も実戦を繰り返した僕にとっては、グレンの攻撃は欠伸が出るほど遅かった。


 右頬を捉えた彼の一撃を、首を左に傾げるだけでかわす。


 グレンの拳が、虚しく空を切った。


「挑発したのは謝るよ。けど、暴力はいけない。次期男爵なら尚更ね」


「黙れ! 三男の末っ子がどこまでも調子に乗りやがって……!」


 腕を引いたグレンの顔が、トマトみたいに真っ赤になっている。


 額には薄っすらと青筋が浮かび、全身で怒りを表していた。


「なんと言おうがアルメリア姉さんは王都に連れていく。これは国王陛下から許可を得た公式なものであり、侯爵が望んでいることでもある。男爵には拒否する権利も阻む権利もない」


 あえて次期、の部分を強調して言ってみる。


 あらあら、ものすごい怒ってるよ。


「ひ、ヒスイ……!!」


「落ち着け、グレン。それよりヒスイに聞きたいことがある」


 殺意すら乗ったグレン。ぷるぷると小刻みに体を動かしてなんとか怒りに耐えていた。


 そんなグレンに父の声がかかる。


「お父様! コイツはあまりにも生意気です! 反省させる意味も込めて罰を与えねば……!」


「それは後にしなさい。いまは確認が大事だ」


 おおう。父親のくせに止めないのか。成人済みの長男が、十五歳にも満たない三男に罰を与えろとか言ってるんだぞ。


 母親も止めようとしないし、改めて腐ってるなこの家は。


「僕になにか質問でもあるんですか、男爵」


「今日のおまえはずいぶんと……いや、まあそれはいい。ヒスイ、アルメリアがなぜ侯爵の養子に? おまえが何かしたんだろう?」


 じろりと鋭い視線が僕に刺さる。


 それが聞きたいことか。あまりにもくだらなくて答えに困るな。


「そうだよ。僕が侯爵と陛下に頼んだ。……と言えなくもないかな」


 実際には、ウチの家庭環境と次女を想う心を知ったリコリス侯爵が、裏で動いてくれていたんだけど。


 僕のせいと言えば僕のせいでもある。そこは素直に認めよう。


「なるほど……勝手に家を出ていったと思ったら、王都で侯爵や陛下と知り合うとは……」


 ふむ、と考えるような仕草をする父。


 そんなに考えても、今さらアルメリア姉さんの行動を制限することはできない。


 すでに彼女は侯爵令嬢だ。いくら男爵であろうと、最高位貴族の令嬢に指示を出すことはおろか、制限などは一切かけられない。


 僕はどこまでも強気にいくぞ。


「おまえの自由を許してやるのも今日までだ。さっさと帰ってきなさい。百歩譲ってアルメリアの件は認めてやる。だが、お前はダメだ。グレンの話によると、お前はアザレアと同じく魔力が使えるそうだな。その力を活かして、領地に巣食う魔獣たちを狩るんだ」


「…………は?」


 コイツ……じゃなくて、父はなにを言ってるんだ?


 すぐに理解できなくて首を傾げる。直後、父が深いため息をついた。


「何度も同じことを言わせるな。アルメリアは他家の令嬢になったが、おまえはウチの子だ。家のために働くのは当然のことだろう? 優秀な人間を産んだ両親に感謝してほしいくらいだ」


「なるほど」


 ダメだ。コイツらと話してると脳がバグる。


 なんで僕が、ろくに育ててもくれなかった家族のために働かなきゃいけないんだ。こうなると解っていたから力を隠していたというのに。


 まあ、いまの僕には関係ない話だが。


「お断りします」


「……なに?」


 父の視線がさらに鋭くなった。


 たしか父は魔力持ち。アザレア姉さんのほうが強かったけど、それでも一般人よりは強い。


 そのせいか、多少はオーラがあった。


「逆らうな。おまえは黙って私の命令に従っていればいい。まったく……反抗的に育ったものだ」


「そりゃあそうですよ、お父様。まともに育てられた覚えがありませんからね、僕は」


 くくっ、と喉を鳴らして笑う。いつまでも僕が、あんたに操られる程度の子供だと思っているのか?


 いまほど国王陛下に感謝したことはない。爵位を授けてくれてありがとう。


 堂々と、父に反抗できる。


「なにを——!」


「ヒスイ男爵」


 ぴしゃり、と父の言葉を遮った。


 全員の視線が、吸い込まれるように僕へ向く。背後からアルメリア姉さんの視線も感じた。




「僕はもう、ただの無能な子供ではない。いまは、国王陛下より男爵の位を授かった貴族だ」

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