第49話 まだまだ子供の扱い

 国王陛下から用意された、僕の屋敷の前に到着する。


 そこは、ノースホール王立学園から徒歩で通えるくらいの距離にある、巨大で立派な屋敷だった。


 見上げるほどデカい、それこそクレマチス男爵家の屋敷よりデカい建物を見て、僕は思わず口を開けたまま放心した。


 すると、そんな僕の耳に、聞き慣れた声が届く。


 女性特有の高い声色に、背後を振り向くと——。




「アザレア姉さん?」


 舗装された道の先、およそ十メートルほど離れたところに、もう五年以上も顔を合わせていなかった美しい女性、——アザレア・ベルクーラ・クレマチス男爵令嬢が立っていた。


 お互いに、「なんでアザレア姉さんがここに?」、「なんでヒスイがここに?」という表情を浮かべて固まる。


 しかし、それもほんのわずかな時間だけ。


 一歩、また一歩と肩を震わせながらアザレア姉さんが前に進む。


 僕はその場に縫い付けられたかのように動かなかった。


 ただ、彼女よりいろいろ知ってる僕のほうが、両腕を広げて笑ってみせる。


 その瞬間、アザレア姉さんはまるで弾かれたように走り出した。


 魔力は使わず、自分の脚力だけであっという間に十メートルの距離を踏破する。


 じんわりと浮かべた涙を見せて、彼女もまた両腕を広げて僕に抱き付いてきた。


 強い衝撃が前方から伝わるが、そこは男らしく踏ん張ってみてなんとか耐える。


 これまで必死に鍛え上げたマッスルは裏切らないのだ。


「ああ! ああ! どうして王都にヒスイが? まだ十四歳のはずなのに」


 嬉しいやら混乱してるのやらわからない、複雑な声音で彼女は、ぎゅうっと僕を抱きしめる。


 十五歳の頃、彼女が家を出たときですら他の姉妹より大きかった胸が、ここ数年でさらに大きくなっている。


 むにむにと、ありえないほどハッキリとその感触が伝わった。


 背丈だけは地味に追いついてきたが、それでもこの抱擁は慣れなかった。


 僕が大人になっていくように、アザレア姉さんもまた立派に成長していたのだ。


 ちなみにコスモス姉さんとアルメリア姉さんはわりと平坦だ。


 コスモス姉さんは絶壁で、アルメリア姉さんは平均くらい。


 だからよく胸のことをコスモス姉さんは気にしていた。


 彼女に抱き締められると、ほぼ柔らかい感触はしないので楽だった。


 ——なんて本人に言ったら、僕は間違いなく全身をズタズタに引き裂かれるだろう。


 女性にスタイル関係の話は禁句だからね。なんとなく、久しぶりにアザレア姉さんに会えてそんなことを思い出した。


 他意はない。


「実は……ちょっと嫌なことがあって家を出てきたんだ。そしたら、国王陛下に爵位と屋敷をもらった」


「なにがどうしたらそうなるの?」


 急にすん、と真顔になったと思われるアザレア姉さん。


 ぐいっと僕をわずかに後ろに押して、彼女の美しい瞳が眉間を貫いた。


 ありありと表情に、「説明しなさい説明しなさい説明しない」と書いてある。


「詳しいことは屋敷の中で説明するよ。というか、姉さんこそなんで屋敷の前にいたの? ここはそんなに人通りが激しい場所だとは聞いてなかったけど」


 学園に近い分、僕の屋敷は飲食店などからは遠ざかっていた。


 すでに学園を卒業してるはずの彼女が、こんなピンポイントなタイミングで偶然訪れたとは考えにくい。


「それが……所属してる騎士団の団長、——上司からここに向かうように指示されたの。行けばわかるって大雑把な理由でね。そしたらいきなり馬車がやってきて、その上ヒスイが降りてくるんだもの、びっくりしたわ」


「なるほど……これも国王陛下のサプライズか」


「それってどういうこと?」


「とりあえず中に入ろう。秘書官もいるし、立ったままだとたぶん、長くなるだろうから」


「……わかったわ。ごめんなさい、長々と拘束しちゃって」


「ううん。久しぶりにアザレア姉さんと会えて嬉しいよ」


「ふふ、わたしもヒスイと会えて嬉しいわ」


 いまだに彼女の中では僕は子供なんだろう。


 手を繋がれたまま、ほっこり笑顔の秘書官を連れて屋敷の中へと入る。


 すでに使用人たちは屋敷の中にいた。


 僕の情報は王都に来る前から出回っていたとはいえ、すごい根回しだ。


 どこまでも、「ヒスイは逃さない!」という気持ちが伝わってくる。




 恭しく頭を下げてくる執事とメイドたちに挨拶をすると、執事長を名乗る老齢の男性に連れられて、僕とアザレア姉さん、秘書官の女性は客室に通された。


 そこでアザレア姉さんに、これまでの顛末を教える。


 僕がグレン兄さんと喧嘩したこと。


 魔力でボコボコにしたこと。


 家を出て王都にやってきたこと。


 バジリスクを倒したこと。


 そのせいで爵位と屋敷、お金などをもらったことなど。


 全てを聞き終えると、理解するのに十分以上もかかった。


 ちなみに、あのあと、バジリスクは王家に献上した。充分に見返りは貰ったからね。今後もご贔屓に、という意味を込めて無料で渡した。




 メイドが淹れてくれた紅茶をぐいっと一気に飲み干して、しばらく瞼を閉じていたアザレア姉さんは、唐突にカッと瞳を見開く。


「さすがわたしの弟だわ! 天才ね!」


 それでいいのか、アザレア姉さん……。


 前からあまり細かいことは気にしないタイプだとは思っていたが、器量がデカすぎて改めてびっくりする。


 だが、その後、貴族うんぬんの話は置いといて、たっぷり彼女に甘やかされてしまった。


 ここ数年の寂しい記憶を埋めるように、たっぷりと長い時間を過ごす。


 一緒のベッドで寝よう! と言われたときは、さすがに顔が真っ赤になったが。

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