第43話 リコリス侯爵家
パカパカと馬車が走る。
馬車の中と言うのには広すぎる室内で、正面に座ったローズが口を開いた。
「まさか、隣の領のクレマチス男爵子息だったとは……これも何かのご縁ですね、ヒスイ様」
現在、僕は彼女の所有する馬車でリコリス侯爵家——つまり彼女の家に向かっている。
特に用事もなかった僕は、彼女からの問い、名前を答えてから馬車に乗った。
乗ってからずっと、ローズは嬉しそうに笑っている。
「様、だなんて敬称はいりませんよローズ様。僕は男爵子息。ローズ様は侯爵令嬢なのですから」
控えめに見積もっても、月とスッポンだ。
「命の恩人には礼をもって尽くすのがリコリス侯爵家の教えです。ヒスイ様がいなかったら、今ごろ私はあのバジリスクの腹の中にいたでしょう」
「それは……」
絶対に嘘だ。
そんな教えがあるとは思えない。
だが、実際に彼女の命を救ったのは僕。
そのお礼のひとつとして親切に接してくれるというのなら、それを妨げるほうが不敬だったりするのかな?
仕方なく彼女の呼び方は諦める。
「しかし、クレマチス男爵家の子息であるヒスイ様が、どうして王都に? ご家族もご一緒ですか?」
「いえ、王都には僕ひとりで来ました」
「おひとりで? なにか目的が?」
「ちょっと家族と喧嘩しまして……逃げるように王都へやってきたんです。もしかすると勘当されるかも。だから、僕のことは敬わなくてもいいですよ」
勘当されたらいよいよただの平民だ。それも両親のいない孤児。もはや平民以下である。
「そんな……バジリスクを倒せるほどの実力を持つあなた様が勘当されるなどと……」
「僕は力を家族に隠しています。それに、末っ子の三男なんていないのと同じ。だから十分にありえる話かと」
「なるほど……」
ふむ、とローズはひとりで考え始める。
人差し指を唇に当てて、じっくりと思考を巡らせていた。
しばしの沈黙が馬車の中に漂う。
およそ一分ほどで、ローズは再び顔を上げた。
「それは実に好都合ですね。きっとリコリス侯爵家は、ヒスイ様のお力になれると思います!」
「……え? どういう意味ですか?」
「詳しいお話は、父であるリコリス侯爵からお聞きください。悪い内容ではないと思いますので」
そう言って両手をパン、と鳴らすローズ。
この話はこれで終わりと言わんばかりに、今度は異なる話題を広げた。
馬車が彼女の邸宅へ到着するまでの間、僕はずっとローズの先ほどの言葉が気になった。
▼
馬車に揺られること数十分。
ようやくリコリス侯爵邸に到着する。
ずいぶんと大きな屋敷だ。庭も花が咲き誇っている。
あまりにも荘厳な光景に、底辺男爵家の末っ子は圧倒された。
「り、立派な家ですね……」
「実家のリコリス侯爵領にある家はもっと広くて大きいですよ。今度一緒に行きましょうね!」
「は、はぁ……」
もう格の違いをこれでもかと見せ付けられた。
まともな返事が返せず、彼女の背中を追いかけながら適当に答える。
そして扉を開けて中に入った。
真っ先に、老齢の執事が彼女を迎える。
「おかえりなさいませ、お嬢様。本日のお買い物はずいぶんと終わるのが早かったですね」
「途中で客人を見つけて連れてきたの」
「客人?」
「大事な大事なお客様よ。丁重にもてなしてね」
そう言われた執事の男性が、後ろに続く僕の顔を見た。
全身をあますことなく確認すると、小さな声で、「もしや……?」となにかに気付く。
そのまま特に会話を挟まず彼女と一緒に一階奥の部屋へと向かった。
扉の前に着くと、コンコンとローズが扉をノックする。
「だれかな」
「ローズです、お父様」
「ローズか。入っていいよ」
「失礼します」
まさかの初っ端から侯爵のもとへ突撃をかますローズ。
心の準備が完全にできていなかったから、バクバクと心臓を鳴らしながら僕も入室したローズに続く。
「やあローズ、買い物に行ったんじゃ?」
「こちらのお客様を見つけたので、お父様も会いたいかと引き返してきました」
「お客様? 君は……」
ちらりとローズと同じ髪色の男性が、リコリス侯爵が、視線を僕に向ける。
お互いの視線が交差したあと、くすりと笑ってローズが答えを出す。
「バジリスクから私を助けてくださったヒスイ様です」
「ああ! 君が娘を助けてくれた子か! たしかに緑色の髪をしているね!」
バシン、と机を叩いて侯爵が椅子から立ち上がる。
スタスタと僕の前までやってくると、
「いやぁ、本当に若い。その歳でバジリスクを倒せるとは……才能とは恐ろしいものだね。とにかく、ありがとうヒスイくん。私の娘を助けてくれて」
と言って、侯爵と握手する。
ぶんぶんぶんぶん、と痛いくらい腕が振り回された。
「でもよかった。ヒスイくんが見つかって。これで陛下に君を会わせられる」
「……は? へ、陛下?」
なんだかものすごく聞き捨てならない言葉が聞こえた。
オウム返しで侯爵に訊ねると、娘と同じような表情で笑ってから侯爵は言った。
「ああ。国王陛下がずっと君と会いたがっていてね。どうか一緒に王宮まで同行してくれないかな?」
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