第35話 ロクデナシ

 知り合いの村娘ユーリに、家の前で出待ちされていた。


 可愛い女の子に「遊ぼう」と誘われるシチュエーションが、どれだけ贅沢なものかを、前世の記憶を持つ僕にはわかる。


 前世では冴えないというか、平凡な一般人だった僕に、こんな甘酸っぱい感じの友人はいなかった。


 それゆえに、たまには生き抜きも大事かと彼女の提案を受け入れる。


 受け入れようと口を開きかけた時、いま、一番会いたくなかった男の声が聞こえた。




「ようヒスイ。そんな所でなにしてるんだ?」


「……グレン、兄さん」


 兄グレンがこちらに向かってくる。


 今年で二十五歳ほどになる長男グレンは、すっかり180センチを超える巨体になった。


 昔から体付きだけはよかったが、まさかそこまで伸びるとは計算外だぞグレン。


 僕なんて十四歳を過ぎたのにまだ170あるかどうかだ。


 せめて170くらいは欲しい。理由は、前世でもそれくらいあったからだ。


 まあ、それはともかく。先ほどは探知できなかったはずの兄を見つけてゲッソリする。


 僕の探知範囲はお世辞にも広いとは言えない。神力の訓練で重点的に習っているのは、怪我や病に対する治癒術だ。数メートルから数十メートルほどしか生き物の気配を探知できない。


 家を出るまえにはまだ、兄グレンはギリギリ僕の探知外にいたんだろう。


 運が悪いと言わざるを得ない。


「兄さんこそどうしてここに? いまの時間は書斎で仕事か、村のどこかで開拓じゃないの?」


「ちょっと抜けてきたんだよ。かなり労働したからな。休憩だ」


「サボりか」


 小さな声で、ぼそりと目の前の少女ユーリが呟く。


 そのとおりだが、君は村民なんだしあまり無礼なこと言わないほうがいいよ。その証拠に、兄グレンの目付きが鋭くなった。


 兄グレンは、自らの男爵家次期当主という肩書きに、一種の誇りのようなものを持っている。


 お前が手に入れた爵位ではないけどな定期、と心の中で呟きながらも、貴族らしいと言えば貴族らしいかと結論を出す。


 ただ、そのせいで兄グレンは村民に対する扱いが雑だ。自分のほうが偉いから凄い! と言わんばかりに威張り散らす。


 仕事も最近では若干サボり気味で、呪力による活躍がなければ見限られるレベルのクソ野郎だ。むしろ呪力にあぐらをかいて調子に乗ってると言ってもいい。


 できることなんてほとんどないくせに。


「なんか言ったか、ユーリ。お前みたいなクソガキは、しっかり次期当主である俺さまを敬わなきゃダメなんだよ。俺は、次期当主様だからなぁ」


「まだ当主じゃないじゃん。あたしはヒスイのほうが当主に向いてると思う」


「ユーリ!」


 ダメだよそういうこと言っちゃ。


 こんな片田舎の、辺境の、ちっぽけな領主の息子が相手でも不敬だ。


 兄グレンはなにもしていないが、貴族の子息であることに代わりはない。ユーリは村民で平民。下手すると殺されても文句は言えない。


 気持ちは十分にわかるけど、少しくらいオブラートに包んでほしかった僕は慌てて叫ぶが、すでに言葉は口から放たれた。


 ぴくぴくと青筋を浮かべる兄グレンに、今度は声をかける。


「ま、まあ兄さん。落ち着いてよ。たかが子供の言葉。冗談に決まってるし、まともに取り合ったりしないだろう? 兄さんは次期当主さまで、誰からもそれを求められているんだから」


 ——嘘だ。ぶっちゃけ嘘だ。


 村民で兄グレンを支持する者などほとんどいない。甘い蜜を吸わせてもらっているヤツだけだろう。


 常識のある村民は、横暴で身勝手、そのくせ大して役に立たない兄グレンを嫌っている。


 正直な話、嫌みったらしい同類のミハイルも同じだ。だから僕が一番人気がある。


 けど、それでもさすがに子供に手をあげたりしないよね? という顔で兄グレンを見上げた。


 昔はともかく、いまはもう二十を越えた立派な大人だ。子供の言葉を受け流すくらいの度量はあると思いたい。


 僕の予想は、なんとか正しく叶った。


「……ふん。まあ、そうだな。無知で学を知らんガキの戯言など、次期領主である俺さまには届かん」


「ホッ」


 筋金入りのバカでなくてよかった。


 お前も村民と大して変わらない学の無さだけどな? いや、学べる環境にあってそれでも知能が低いのは、むしろマイナスなのでは? とは言わないでおく。


 だが、兄グレンは筋金入りのバカだった。


「——しかし」


「え?」


「次期領主である俺さまをバカにした罪を、少しは償わないといけないだろう? 貴族さまに楯突くのは、立派な不敬罪だからなぁ」


「い、いや待ってよ! だからそれは……」


 いまそれを許してやれって話をしてたんだろ!? お前はなにを聞いてたんだバカ!


「黙れヒスイ。末っ子で無能なお前の意見など聞いていない。そこで手でもこまねいていろ」


 そう言うと兄グレンは、無理やりユーリの腕を掴んで、近くの、人気のないところへ行こうとした。


 慌ててそれを止める。


「兄さん! ユーリになにをするつもりだ!」


「当然、報いを与える。こいつも年頃の女だしな。少しくらい味見をしてもいいだろ? くくく。悪いな、ヒスイ。あとでお前にも回してやるよ」


「…………兄、さん」


 コイツは、一体なにを言ってるんだ?


 僕の中で、これまで抑えていた何かが外れる音が聞こえた。


 それが何かは、すぐにわかった。


 強い————怒りだ。

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