第21話 アザレアの愛

 冬は過ぎて春が訪れる。


 厳しい訓練の日々を乗り越えたある日、両親から唐突にそれを告げられた。


「明日、アザレアが、我が男爵領を出て王都に向かう。出発は早朝だ」


 真っ先に兄ふたりが反応を示した。


「ははっ。ようやく姉さんも王都に行くんですね」


「きっとアザレア姉さんなら、素晴らしい成果を出してくるでしょう。ええ」


 兄グレン、兄ミハイルの順番でにやにやと笑いながら言う。


 その顔には、「これでやっとアザレア姉さんがいなくなる。ラッキー」と書いてあった。


 彼らからすれば、弟を庇う姉アザレアの存在は、目の上のタンコブだっただろう。


 これで晴れて、自分たちの行為を止める者がコスモスだけになる、と。


 アルメリア姉さんも近くにいる時は注意してくれるが、体の悪い姉さんだ。なにもされないと高を括ってグレンたちは無視する。


 今後は、より一層の苦痛を耐え抜かねばならない。


 まあ、僕にはアルナ仕込みの【魔力】がある。まだ【呪力】をまともに制御すらできない兄グレンでは、防御力を増した僕にダメージは与えられない。


 精神的苦痛さえ耐えれば問題なかった。


 やや落ち込むアザレア姉さんを一瞥してから、質素な食事を終わらせる。




 ▼




 食後。


 自室に戻ろうとした僕をアザレア姉さんが呼び止める。


「ヒスイ」


「アザレア姉さん? どうしたの」


「ちょっと私の部屋に来て。話があるの」


「? はあい」


 アザレア姉さんの背中を追いかける。


 彼女は長女で一家の期待を背負う【魔力】持ちだ。兄グレンと同じく専用の個室を与えられている。


 次女アルメリアも個室だが、彼女の場合は隔離の意味合いが大きい。


 この世界はまだまだ前世に比べて文化も技術も劣るからね。


 体調が悪いアルメリア姉さんが、どんな病をほかの家族に移すかわからない。だから、部屋をわけた。食事のタイミングすらもズラして。


 フーレ曰く、「アルメリアちゃんは体弱いだけだよ。べつに病気ってわけじゃない。まあ、熱を出したりしてるのを見たら、疑いたくなる気持ちもわかるけどね」とのこと。


 定期的にフーレに頼んで、または訓練と称して僕が【神力】で癒してる。


 ゆえに、本当に病気などはない。むしろどんどん健康になっているくらいだ。


 時間はまだまだあるから、アルメリア姉さんには元気になってもらいたい。あの人も穏やかで優しい僕の大事な姉さんなんだから。




「お邪魔します」


 そうこう考えてる内に、アザレア姉さんの部屋に着いた。


 アザレア姉さんの部屋は、クールで大人びた彼女らしいシンプルな内装だ。飾りもなにもない。ひたすら効率っていうか、過ごしやすさだけを求めた感じになっている。


「ベッドに座って。話はすぐに終わるけど、床に座ったらお尻を痛めるからね」


「ありがとう、アザレア姉さん」


 お礼を言ってからベッドに腰をおろす。


 なぜか姉さんは僕の隣に座った。目の前にイスがあるのに。


「……それで、話って?」


 早速、本題を切り出す。


「明日からのこと。私は、王都にある【ノースホール王立学院】に行かなきゃいけない。正直、ぜんぜん、まったく、これっぽっちも行きたくない」


「そんなこと言わないでよ。姉さんが王都にいける機会なんてそうそう無いんだから、もっと喜ばないと」


「ヒスイが一緒だったら嬉しかったわ。手放しで喜べた」


「あはは……それは、なんていうか……ごめんね」


 返答に困る言葉だ。


 僕だってできるならさっさとこの家を出ていきたい。


 ついでにアルメリア姉さんとコスモス姉さんも連れて、ね。


「ううん。変なことを言った。忘れて。私が言いたいのは、しばらくこの家には帰れないってこと。少なくとも、学院に入学したら三年間は王都を出られない。長期休暇には戻りたいとは思うけど、それも可能かどうか……」


「仕方ないよ。姉さんは選ばれた人間だからね。でも、心配しないで」


 アザレア姉さんの両手を握る。


 なるべく笑みを作って言った。


「姉さんは僕のためにこの家に戻ってくるって言ったけど、その必要はない」


「え?」


「僕も王都にいく。姉さんを追いかけて、必ずノースホール王立学院に入学する!」


「ヒスイ……気持ちは嬉しいけど、それは無理よ。王立学院は、何かしらの才能がないと……」


 姉さんの反応を見て、ニヤリと笑う。


 彼女が喋り終える前に、僕は自らの【魔力】を姉さんの体内に流した。


 基本的に、三女神が生み出したエネルギーは可視化できない。可視化させるほどの質量を操るには、相当な技術と才能がいる。


 前に、彼女たちが僕に力を与えてくれたようにするには、いまの僕では絶対に不可能だ。


 ゆえに、感じ取りやすいよう姉さんに【魔力】を流した。


 僕と同じ力が使える姉さんなら、それだけでこちらの意図を察してくれるだろう。


 その証拠に、姉さんは目を見開いて驚いていた。


「——こ、これは……【魔力】!? まさか……ヒスイにも?」


「うん。最近目覚めたばかりで、まだロクに操れないけどね。どう? これなら、僕にもその資格があるんじゃない?」


 もう十分かと手を離す。


 アザレア姉さんの様子を窺うと……。


「ええ……その歳ですでに【魔力】が操れるなら、十分すぎる才能だわ。すごい。ヒスイは、天才だったのね」


「あ、アザレア姉さん!?」


 急にぽろぽろと姉さんが涙を流した。


 滅茶苦茶びっくりする。


 僕が慌ててるあいだに、姉さんが動いた。


 両腕を背中に回し、強い力で抱きしめられる。


 く、くるちい……!


 【魔力】なしでもかなりの力だ。普段からしっかり鍛錬してるのが解った。


「嬉しい。嬉しいの。ヒスイが私を追って王都に来てくれることが。私のことを考え、想ってくれることが」


「ね、姉さん……」


 アザレア姉さんはずっと色々なものを背負ってきた。


 期待。嫉妬。羨望。妹弟きょうだい


 本当は自分の道だって歩きたいはずなのに、誰よりも自由がなかった。それでもいいと諦め、僕たちに愛情を注いでくれた。


 それが、今日、少しだけ解けた。


 珍しく感情に振り回される姉を見て、自分の考えは間違ってなかったのだと再認識する。


「僕、頑張るから。必ず王都に行くから、姉さんには待っててほしい」


「……そうね。待ってる。待ってるわ。いつまでも」


「焦れて戻ってこないでよ? ちゃんと王都で生活しててね?」


「ええ。わかってるわ。本当にありがとう、ヒスイ」


 ようやくアザレア姉さんが離れる。


 柔らかいやら痛いやら、圧迫感から解放された。ホッと胸を撫でおろす。


 ——その直後。




「大好きよ」




 再び、姉アザレアが近付いた。


 腕は伸ばさず、顔だけが近付く。


 咄嗟に後ろへ逃げることも叶わず————お互いの唇が重なった。


———————————————————————

あとがき。


家族同士のチューはよくあります。きっと。ええきっと。

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