第19話 小さな自分

 食事が終わる。


 僕は午後にもやるべき事があるので、コスモス姉さんを自宅に送ってから訓練を始めた。


「ねぇ、フーレ」


「んー? なに?」


「コスモス姉さんの訓練はいつから始めるの?」


「うーん……お姉ちゃんはいつでもいいよ。逆に、コスモスちゃんはいつからできるんだろ」


「僕より忙しいからね。今度、それとなく予定を聞いておくよ」


「はあい」


 手を上げてフーレが答える。


 コスモス姉さんは女性だ。基本的に、令嬢は他家に嫁ぐことができる。


 子息も女性が主人を務める家にいけなくもないが……三男ではかなり厳しい。


 当主はやはり、男性が務める場合が多いのだ。


 我が家のアザレア姉さんくらい才能があれば話は別だが、そんな才能の持ち主は稀有。


 大体が長男に家督を譲っている。


 話は逸れたが、コスモス姉さんはそれゆえに忙しい。他家へ嫁ぐための教育があるのだ。


 三女だろうとそれは変わらない。いなくてもいい僕とは根本的に扱いが異なる。


「あ、そこはもう少し量を抑えてね」


「うん」


 だが、僕は僕。もう過去のヒスイじゃない。


 これからは幸せな未来が待っている。幸せな未来を掴み取る。


 そのためにも、何より訓練を頑張らないといけない。


 今日もフーレとアルナの熱心な指導を受け、着実に成長していく。


 旅立ちまで、あと約十年。




 ▼




 翌朝。


 日課の訓練のために家を出る。


 裏口からこっそりと森の中へ入ろうとしたところ、普段は見かけない人物に声をかけられた。


「…………ヒスイ?」


 びくり、と肩が震えた。


 どこか無機質に響くその声は、顔を見なくても誰のものかを連想させる。


 ゆっくりと振り返ると、そこには……。


「あ、アザレア……姉さん」


 長女アザレア・ベルクーラ・クレマチスが立っていた。


 右手に木剣が握られている。


「こんな所でなにをしているの?」


「えっと……ちょっと遊びに……」


「早朝から? それに、そっちは森よ。危ないわ」


「へ、平気だよ。この辺りにはあまり魔物は出てこないから」


「よくない。あまり私に心配をかけさせないで。近くにいたら守れるけど、離れていたら守れないのよ?」


 そう言ってアザレア姉さんは僕に近付くと、木剣を地面に置いてから腕を伸ばす。


 僕の背中に腕を回して、ぐいっと引き寄せられた。


「ああ……ヒスイ。大事な大事な弟。本当は王都の学院なんかに行きたくない。ずっとずっと、あなたが幸せに暮らせるようにしたいのに……」


「あ、アザレア姉さん……?」


 どうしたんだろう。声色から、寂しさを感じる。


 それに……。


「王都の学院って?」


「……そう言えば、ヒスイには伝えていなかったわね。今年の春、私は王都に行くの。そこで、【ノースホール王立学院】に通わなくちゃいけない」


「ノースホール王立学院……?」


 初めて聞く名前だった。


 ごく潰しと言われる僕には、そういう情報も回ってこないらしい。


「ええ。王都にある教育施設よ。才能のある貴族や平民が集められるの」


「才能のある……」


 恐らく、【魔力】【神力】【呪力】のいずれかに覚醒した者たちを集めているのだろう。


 それらの能力は、常人とは一線を画す。


「私の場合は【魔力】ね。その学院で魔力の使い方を学び、三年後に領地へ戻るか国に仕官するか。まあ、今のところはクレマチス男爵領に戻る予定だけど」


「え!? な、なんで? アザレア姉さんほどの才能なら、きっと王国は喜んで迎え入れてくれるよ? 裕福な生活だって……」


 意味がわからない、と僕は目を見開く。


 すると、アザレア姉さんは優しく微笑んだ。


「私個人の未来になんて意味はない。そこにヒスイやアルメリア、コスモスがいないとダメなのよ。どれだけ贅沢を尽くそうとも、この心は満たされない。家族がいない生活は、きっと耐えられないわ。だから、私は戻る。みんなのために」


 強く、強く抱きしめられる。


 ……ヤバい。泣きそうだった。


 まさかアザレア姉さんがそこまで家族想いの人物だとは思ってもいなかった。


 同じ立場だったら、僕は家族を優先できたのか?


 否。


 現在進行形で、僕は家族を見捨てようとしてる。


 アザレア姉さんから優しさを貰う資格などなかった。


 酷く自分が矮小な存在に思える。


 哀しくて、辛くて、気まずくて……僕は彼女を抱きしめ返すことができなかった。




 ▼




 早朝の訓練があるという姉の背中を見送る。


 自分より遙かに立派な背中だ。


「僕は……どうすればいいんだ?」


 その問いかけに答えてくれる者はいない。


 時折、頬を撫でる風だけが虚しくどこかへ音を運ぶ。




 季節は巡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る