第16話 自由な選択

 魔物を素手で倒した。


 最後の一撃はヘッドロック。気道を絞めただけじゃない。首の骨をへし折って殺した。


 ぴくりとも動かない魔物を一瞥してから、離れたところで待つコスモス姉さんを見る。


「……まあ、怖い、よね」


 コスモス姉さんは震えていた。


 当然だ。


 目の前で気持ちの悪いバケモノを、弟が素手で殺したのだから。今年で六歳になる弟が。


 アザレア姉さんのことを知ってても恐ろしくなる。


 もしかしたら嫌われるかもしれないな……。


 そんな不安を抱えながらも、僕はコスモス姉さんのもとへ戻った。


 すると、


「——ヒスイ!」


「おっと」


 近付いた僕のもとに、コスモス姉さんが飛び込んでくる。


 辛うじて倒れずに済んだ。フーレで慣れていたおかげかも。


「こ、コスモス姉さん? 大丈夫? 怖くなかった? というか、僕のこと怖くないの?」


「弟を怖がる姉なんていないわよ! それより、あんなバケモノと戦って平気なの!? どこか怪我してない!?」


「え……あ、いや……大丈夫だよ。怪我してない。ほら、どこにも血なんてついてないでしょ?」


 胸元で泣きじゃくる姉に向かって、冗談っぽく笑う。


 が、コスモス姉さんは泣きやまない。「なんであんな危険なことを~!」と説教が続いた。


 フーレたちも、コスモス姉さんの怒声に口を挟めない。


 けど……。


 よかった。コスモス姉さんはあの光景を見ても僕を愛してくれるらしい。


 彼女の口から出てくる言葉は、そのすべてが心配と不安。


 何よりも僕の身を案じてることがわかる。


 だから。


 僕は何度でも彼女に謝る。自分と同じくらい華奢なその体を抱きしめ、コスモス姉さんが泣き止むまで待った。


 落ち着いて話せるようになったのは、それから三十分ほど後のことだった。




 ▼




「……それで、あれはなんなの? なんでまだ五歳のヒスイが、あんなバケモノを倒せたの?」


 涙を抜いたコスモス姉さん。


 赤く腫れた瞳をこちらに向けて尋ねる。


 普通に考えて、「ただの身体能力さ!」と言い張るには無理がある。


 結構な動きもしてたしね。


 ゆえに、僕は正直に彼女へ秘密を打ち明けることにした。


「実は……僕にもアザレア姉さんと同じ力があるんだ」


「え? アザレア姉さんと同じ力? た、たしか……【魔力】っていう?」


「うん。その魔力を使って魔物を倒したんだ」


 あまりにもざっくりな説明だが、まだ七歳のコスモス姉さんにはそっちのほうが理解しやすいだろう。


 その証拠に、コスモス姉さんは小さく「なるほど」と漏らした。


「どうりであんなに速く動けたのね。それに、素手で倒しちゃったし……」


 ちらり。


 コスモス姉さんの視線が、遠くで倒れる魔物へ移る。


「そうだね。正直、魔力がなかったら簡単に死んでたと思う。それくらい、【魔力】っていうのは強力なんだ。アザレア姉さんを見てたらわかるでしょ?」


「ええ。この前、村の近くに生えてた木をばったばったと斬ってたからね。同じ力を持ってるなら納得だわ」


 しきりに姉さんは、「すごい」とか「強い!」とか僕を褒めてくれる。


 けど、本当にすごいのはこの力を授けてくれた三女神だ。


 あくまで僕は、それを受け入れられる器があっただけ。


 無性にむず痒くなる。


「でも、なんでお母様やお父様にまで隠してるの? グレンなんてろくに【呪力】って力を使えてないんだし、ヒスイがクレマチス男爵家の跡取りにだって——」


「それが嫌なんだ」


 予想通りの言葉に、きっぱりと拒絶を伝える。


「……イヤ?」


「うん。僕はあの家に縛られたくない。成長して、もっと大きくなったら……この領地を出ようと思ってる。王都にでもいって、自由に過ごすんだ」


「自由……」


 思わず口から出た言葉。


 言う必要も予定もなかったはずなのに、こみ上げた激情が無理やりそれを音にした。


「そっか、自由……。うん。いいと思う。あんな家、私だって早く出たいと思うもの。でも、いいね」


「……姉さん?」


 急に、コスモス姉さんの顔色が変わる。


 喜びから、哀しみに。


「私には無理な選択だよ。なんの力も持っていない私には、ヒスイみたいに自由を選べない。いつか、成長してどこかの家に嫁ぐのが決まり」


「……姉さん」


 なにも言えなかった。


 コスモス姉さんの言うとおりだったから。


 彼女は貴族の令嬢だ。最底辺で貧乏だけど、貴族に変わりない。


 であれば、嫁ぎ、家のために他家との繋がりを作るのが役目。


 それすらまともにできないであろう僕とは、根本からして違うのだ。


 ——助けたい。


 素直にそう思った。


 いますぐコスモス姉さんの手を取り、どこか遠くへ行く。フーレたちがいればきっと生活には困らないだろう。


 ……でも、ダメだ。


 幸せになれる確証がない。幸せにできる保障もない。


 僕についてくるより、どこかの貴族の家に嫁いだほうが幸せになれるかもしれない。


 むしろ、最後には結婚するんだ。彼女の人生を、弟である僕がめちゃくちゃにはできない。


 いまは不安でも、成長すれば受け入れられる可能性はある。


 誰も彼もがクズばかりじゃない。まともな人だっている。そういう人に、僕は姉さんを幸せにしてほしい。


 僕の人生は僕のもので、コスモス姉さんの人生はコスモス姉さんのものだ。


 安易にそれを変えてはいけない。あくまで選ぶのは本人。


 迷い、焦る。答えが出ず、お互いのあいだに沈黙が流れた。


 どちらとも気まずい空気を流して、——しかし。


 振り払ったのは僕でもアザレア姉さんでもなかった。


 ずっと背後で見守っていた、三女神がひとり。


 フーレだった。




「コスモスちゃんも選べるわよ~、自由に。だって、コスモスちゃんにも才能あるんだし!」


「「……え?」」


 寒空の下、森の中。


 僕とコスモス姉さんの視線が、同時にフーレを貫いた。

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