第32話

 並んで戻った俺たちへ、視線がまとわりついてくる。それを無視して、二人で机まで一直線に進んだ。

 噂を詳細に把握できていないので、どう見られているのかを明確に掴み取ることも、想像することもできない。

 いや、概ね仲直りを想像されていることは分かる。ただ、その本気度などが分からないし、何か他の要素から推理されているのかも分からなかった。分からないことだらけのことに拘泥したところで、手に負えない。

 だからこそ、俺たちは相談した事柄だけを頭に残して席へと着いた。昼休みはもう終わる。授業間際。それを狙ったのだ。チャイムによって声をかけづらくする意味でも。噂している面々に俺たちの状況を見せつけるためにも。それはうまくいったようだった。

 隣席の姫凪も、周囲と同じように目を向けている。これは、隠さなくなったのかという驚きだろうが、それでも周囲へ同じような感情を与えられただろうと予測できる反応で助かった。

 普段仲良くしていないクラスメイトの心を、表情から察するのは難しい。しかし、姫凪なら一応読み取れる。その読み込み部分が、作戦がひとまず順調に滑り出したことを知らせてくれた。


「汐里」


 昨日から、姫凪の前では名前呼びになっている。それを教室の片隅で実行した。汐里はこちらを振り向いて、安気に首を傾げる。その緩やかな態度は、慣れているように見えた。お互いに、こうして会話をすることに。


「これ」

「うん。じゃあ、放課後ね?」

「ああ。楽しみにしてる」


 そう言って、汐里にくだんのしおりを渡す。汐里も当然のこととばかりに、それを受け取った。いつもはひっそりとこなしているやり取りだ。それを初めて知る視線が集まっている。

 一番鋭いのが隣席なのは、いかんともしがたかった。最初から仲間に引き込んでおけばよかった、と思ったが、それだと作戦が成立しない。姫凪が絡んでくるところも含んだうえのことだ。

 秘密にしておきたかった気持ちがないわけではない。二人だけの秘密を抱えておきたかった。だが、今はもうその段階は過ぎたのだ、と頭の沸いた言い訳を組み立てて落とし前をつけていた。

 そうして、意味深に蒔いた種は放課後に見事に咲く。汐里がこちらを振り向くよりも先に、机の端に姫凪が立っていた。ぬっと現れた影を見上げると、見下ろしてくる目が据わっている。

 どれだけ友人への独占欲を抱いているんだ、こいつは。想い人に勘違いされるぞ。どこにいるか知らんが。

 言いたいことはあったが、こうして食いついてくることを前提にしているから飲み込むしかない。


「どうした?」


 それにしたって、剣呑な顔にぶつかると怯みそうになるものだ。捻り出した言葉に、姫凪は顎を上げてこちらを睥睨していくる。横柄な態度だ。頬が引きつりそうになったところで、汐里がこちらを振り向いた。


「蛍君?」


 汐里が俺をそう呼ぶ。それはまだ露呈させていなかった。その親密性が、周囲に広がる。食いつきのよい姫凪のおかげで、放課後は始まったばかりだ。クラスメイトはまだほとんどが残っている。

 その中で、噂を知っている人がどれくらいいるのか。仁王立ちの姫凪は目立つので、こちらを見ているからって判別はできない。

 ただ、一掃するためにはこの注目が必要だった。汐里も同意したのだから、もう躊躇うつもりはない。提案しておいて、本当にいいのか、と何度も確認したのは俺だ。


「行こうか」

「蛍ちゃん」


 黙ったままだった姫凪をスルーしようとしたところで、制止をかけるかのように呼ばれた。


「なんだよ、姫凪」

「どうしたの?」

「何が?」

「……大人しくしているんじゃなかった?」


 気恥ずかしいから、黙って交流を持っていた。最初のときにそういう話をしている。それを取り出してきた姫凪に俺たちは揃って苦笑いをした。

 反応まで打ち合わせたわけじゃない。半分以上アドリブ任せにするしかなかった。肝だけを外さないように気をつける。他人が介入することを考えれば、その辺りが落とし所だった。

 そのため、意図したことではなかったが、そっくりになった反応は良い具合に姫凪に火をつけられたようだ。

 この場合、姫凪が想像以上にチョロいということもあるだろう。鋭い部分、しつこい部分が多量にあるにもかかわらず、どうしたって印象はそこに落ち着いた。


「隠したって仕方がないだろ。噂になってるし」


 明言すると、周囲からの目線が揺れる。

 その中で、南野と目が合った。向こうもそれを察知して、苦い笑みになる。それから、そうすべきだろうとばかりに、南野はこちらへやってきた。

 自身が起点になっているという自覚があるのか。放置できないという人の良さなのか。それとも、知らないだけで姫凪と何か関係があるのか。南野が釣れれば上等、とは思っていた。だが、それにしたって、うまく行きすぎていた。順調過ぎると、逆に不安になってくる。

 しかし、自若とした態度を崩すわけにはいかない。開き直る、というスタンスに決めたのだから。


「でも、そうじゃないって言ってたでしょ」


 噂の内容を明確に口にしていない。交際の話になっていると分かるのは、噂を知るものだけだ。そして、知らぬ生徒はぽつぽつと帰り始めていた。そのくらいの塩梅がベストだろう。気になるやつだけ残っていれば、それでいい。


「……状態は変化するもんだよ」


 言った途端、姫凪がむっと眉間に皺を寄せる。どこまでを予測しているのか。それとも、嘘をついたこと。騙し討ちになったことを怒っているのか。どちらにしても感情を煽っていることは確かだった。


「どういうこと?」

「そういうこと」


 何ひとつ明らかにしない言外の会話だ。あやふやで不明瞭。うやむやなまま成立しているように見せかけて、本当に成立しているのかは定かではない。雲を掴むような会話だった。

 姫凪はそれが不満なのか。勝手に類推している内容が不満なのか。俺では埒が明かないと思ったのか。険しい顔を汐里に向ける。口には出さなかったが、どういうこと? と尋ねるようだった。汐里もそれを感じ取ったのだろう。


「そういうことだよ」


 とても煽り力が高い。そう思ったのは、俺だけじゃないようだ。

 言い換えの復唱。追従。そうしたものが姫凪の神経を逆撫でしたのが分かった。汐里にはそこまで悪辣な思惑はなかっただろう。だが、効果は抜群だった。

 そして、姫凪が口を開こうとする。その間際に、南野の合流が間に合った。そこで口を収めてくれる姫凪ではなかっただろうが、そこは南野が先んじて潰した形だ。


「噂になってるって?」

「……発信源じゃ?」

「俺じゃないよ。マジで。……甘楽のことは悪かった」


 ここで半端に嘘をつく理由はないだろう。南野は悪気なく漏らすほどに粗忽ではあるが、故意に辱めてやろうだとかいう陰湿さを持ってはいない。

 俺が知らないだけと言えばそれまでだ。だが、そんなやつがここで首を突っ込んでくるとは思えなかった。より悪い方向へ転がして、ここで外聞を殺してやろうとまで執念深く性悪であれば話が別だが。

 そこまで根性が捻じ切れていないことは、友人関係を見ていれば分かる。その範疇でさえも性格を偽っていたのならば、もうどうしようもない。自分たちの見る目がなかった、と諦めるしかなかった。


「俺たちが話してるところに、ふらっと現れたんだよ。意図して言いふらそうとしたわけじゃないけど、それは本当に悪かった」


 そして、南野は言葉を重ねる。それを聞いていれば、真摯なのは伝わった。


「……いいよ。仕方ない。俺たちだって、普通に出歩いてたしな」


 それも、南野たちと別れた後は、手を繋いだままの時間がしばらくあった。そこを目撃されていれば、南野たち以外が噂の出所になっていることもありえる。

 姫凪が遭遇してしまったことも、南野たちにはどうしようもないことだ。それが言い訳でないとも言い切れないが、姫凪が南野に意見しないのだから心配せずともいいだろう。姫凪がそうした事実を指摘するのに躊躇うとは思っていない。


「堂々とすることにしたのか?」

「まぁ、ここまで流れちゃったらな。疚しいことはないし」


 な、と汐里にアイコンタクトを送る。これくらいなら、打ち合わせなしでも問題はない。案の定、汐里はこくんと頷いて笑みを浮かべた。


「仲良いよなぁ、本当に」

「……動画の友達でしょ?」


 突っ込んできた姫凪に、南野が苦笑する。

 それは、どういう意味合いか。南野は俺と汐里の交際を疑っていないのだから、信じていないのかという視点か。何とも掴み所のない顔つきだった。どこか見守るような気配すらある。


「だから、動画込みで付き合ってるんだろ?」


 こんなものは言葉遊びだ。どこからどのように取ることもできる。かつ、いくつかの噂を結びつけるものだ。想像力を働かせて、物語を作り出して納得しやすい。

 実際、姫凪も都合の良い取り方をしたのだろう。唐突に納得したかのような顔つきになった。南野も付き合っていることを知っているものだから、へぇという顔になる。

 オールラウンドな答え。というよりも、人の想像力に任せた物言いでけむに巻いたと言う。突き詰められれば、いくらだって隙はあるし、齟齬も生まれるだろう。

 拙い手法だと分かっていたが、噂を当人にぶつけることに、いくらかの卑しさは持っているものだ。納得できるそれっぽい言葉がもたらされれば、それで好奇心は満たされて熱も下がる。

 実質、周囲からの目線も、肩透かしを食らったような空気が流れた気がした。


「紛らわしい言い方だなぁ」

「まぁ、その辺はいいだろ?」

「勘違いしそうになったけど??」

「姫凪は思い込み激しいのをやめろ」


 初手から俺たちのことを疑っていた相手だ。この機会に忠告しておく。姫凪が分が悪そうに、へらっと笑ったことで空気が弛んだ。

 おかげで、三角関係の噂も弛んだと信じておきたい。正直に言うと、その点は挽回の仕方が分からない。俺たちが穏和に交流しているところを見せるしかないだろう。この場でどうにかするというよりは、これから先の行動が左右する。


「それは蛍ちゃんが悪い」

「人のせいにしないでくれよ」

「じゃあ、阿万野さんも」

「ええっ」


 突然、矛先を向けられた汐里が慌てる。典型的な狼狽に、姫凪が楽しそうに笑った。これは三角関係の噂を打ち消すためにはラッキーかもしれないな、と頭の片隅で思う。実に打算的だった。


「汐里に絡むなよ」

「贔屓じゃん」

「そりゃ、するだろ。絡むなよ、甘楽」


 まぁまぁと気を落ち着かせるように、南野が姫凪の肩を叩く。姫凪はむんと膨れてそっぽを向いた。

 南野はやれやれと首を左右に振って、甘楽の頭を撫でる。何気ない仕草だが、咄嗟にそれができるスマートさが絵になっていた。ただ、それだけイケメンである南野の励ましでも、姫凪の機嫌は回復しない。

 いつもはチョロいくせに、こんなときばかりは執拗さのほうが勝つようだ。気分次第っぷりが凄まじくて、苦笑するより他にない。


「とにかく、そういうわけだから、何か聞かれたときは頼むよ。南野」

「なるほど。分かった」


 勘が良い人間というのは、取っつきやすくて助かる。軽やかに頷いた南野には感謝しかなかった。

 これで、後はもう勝手に収束するし、南野に丸投げできるだろう。噂は本人がどうにかするより、第三者が抑えたほうがうまくいくものだ。そのうえ、南野はこの件に無関係とも言い切れない。きっとそれなりに払拭に手を回してくれるはずだ。


「そういうわけも何もないと思うんだけど」

「……姫凪も誤解にあったら解いておいてくれよ」


 姫凪がどの情報を取捨選択したのかは確認しない。結局、曖昧な結論でしかないけれど、着地点はこの辺りにしかなかった。これ以上を望むなら、俺は感情の覚悟をしなければならないだろう。そして、そこに至るには、まだ覚悟が足りなかった。


「分かったよ」


 まだ機嫌は回復しきっていない。それでも、渋々の肯定が返ってきた。姫凪だって、人でなしじゃない。南野ほど火消しをしてくれるとも思わないけれど、誤解を解いてくれるくらいには歩み寄ってくれるだろう。


「じゃ、行くか。汐里」

「あ、うん」


 当事者でありながら、受け身であり続けてもらっていた。汐里が頷いて席を立つ。俺もそこに続いた。何故か姫凪までついてこようとしたのは、南野が引き止めている。


「じゃあな」


 昨日と同じようについてくるつもりだったのかもしれない。確かに、話したいことはありそうだから、その道もありえただろう。

 だが、この噂に関しては誰が相手であっても、このままうやむやにしてしまうつもりだ。挨拶をすると、姫凪も観念したように、ん。と短い相槌を寄越した。説明をやめるのだから、雑な反応に文句を言えるわけもない。

 俺と汐里が並ぶと、他のクラスメイトの視線がぱっと散った。

 どれくらいの解釈をされたのか。それは分からないが、南野が知っているという印象は与えられただろう。南野に尋ねてくれれば、真実は明るみに出る。後はもうなるようになれだ。少なくとも、現状の半端な状態を回避できればそれだけで上等だった。

 そうして、俺たちは教室を出る。思えば、汐里とこうして並んで教室を出るのは初めてのことだ。

 そうか。こうして周囲に認識されるのだ。秘密の関係ではなくなった。けれど、二人だけが抱えていることはきっとある。それを不意に理解して、なんだかくすぐったい。そんな瞬間に汐里と目が合って、互いにふっと笑みが零れた。

 これだけパブリックにしておいて、やはり二人だけで共有している感情がある。それはあえて秘密だとしなくたって、なくなりはしない。この噂が出てからずっと胸の底に揺蕩っていたものが霧散するような気がした。

 言葉にして確かめることはない。俺たちは二人並んで先へ進んだ。

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