第29話

 無言のまま連なって、姫凪の案内でひとつのテーブルセットにつく。目の前に彼女たちが。俺を挟んで汐里と姫凪が。

 本当は、端に座るつもりだった。だが、両隣を完璧に抑えられてしまったのだ。逃げるつもりはないが、こうして道を塞がれると気持ちが怯む。

 尋問対象は汐里のはずだと言うのに、何故俺がこんな心情に陥らねばならぬのか。深いため息が零れそうになるのを、どうにか肺の中へと押し戻す。吐いてしまったら、ただでさえ曇りがちな空気が更に鈍くなりそうで嫌だった。

 ただ、俺がこんな小さな配慮をしたくらいで、気詰まりした空気が霧散することはない。空気の重さは最悪だった。どうしたら、こんなにも薄暗くなれるというのか。

 そして、その明暗を感じ取っているのは俺だけらしい。後は汐里くらいなものだろう。少なくとも、彼女たちには感じ取れないものであるようだ。

 淡々とした調子で、再度スマホをこちらに向けてきた。その画面は変わらずヌルさんの動画が煌々と映し出されている。陽の光のせいで見づらくなっていたが、それが何の枷になるというのか。視聴者である俺ですら認識できるのだから、制作者が分からないはずもない。

 移動中でいくらか戻っていた汐里の顔色が一気に失調した。紙のような白さには、こっちの手のひらまで冷えていくようだ。


「これ、阿万野さんだって本当? このしおりを使ってるのを見たって子がいるんだけど……」


 俺が気付いたのと同じ道筋を辿っていることを察した。

 あのしおりは手作りで、一目瞭然な代物だ。もちろん、すべて真似すればそっくりそのまま作れる。だが、そんなことはないだろうと、俺だってそう考えて特定したのだ。だから、その決定を下した経緯は分かる。

 汐里は拳を握り締めたまま俯いていた。唇がわずかに震えている。


「しお」

「そうだとして、何かありましたか?」


 敬語は緊張からか。それとも、拒絶の象徴か。俺と文房具談義に花を咲かせて少しは持てたであろう自信も、即効性があるわけもない。

 彼女たちは瞬きを繰り返して、汐里をじっと見ていた。それだけで何を考えているのか分かるのならば、初めからこんなことにはなっていない。


「そうだったら、すごいなって話」

「こういうのってコツはあるのかな、と思って」

「やってみたいけど、簡単かな? とか。そういうの」

「興味があるだけ?」


 口を出したのは、褒められたは褒められたで、汐里が挙動不審になりかけていたからだ。とても会話していられる心境ではなさそうだった。余計なお世話だろうとも、会話から外され続けておくのは得策ではないと建前をくっつけておく。

 彼女たちが俺を見る目は怪訝なままだった。


「それ以外に何かあるの?」

「聞きたかっただけなんだけど」

「ていうか、クラスメイトさん出しゃばってこなくていいじゃん」

「彼氏なの?」

「彼のことはいいじゃないですか」


 最初の一歩で警戒されてしまっているようだ。辛辣な物言いに、汐里がフォローに入る。

 自らのことには口を開くのに時間がかかるというのに、俺のこととなれば明瞭で即決だった。人のために頑張れる子であるのだろうと感想を抱きながらも、面映ゆいような思考回路も生きている。図々しいことだ。


「だって、横入りしてくるんだもん。私たちは阿万野さんに聞いてるんだけど」

「そうそう。ヌルさんってことでいいんだよね?」


 汐里はまだ断定的に頷いたわけではない。彼女たちもそれを確認しなければ気が済まないようだ。

 違えば情報が手に入らないのだから当然だろうが。それにしても、このしつこさは女子の共通点なのだろうか。偏見甚だしいだろうが、姫凪に散々やられているのだ。そんな偏見を抱きたくなるくらいには、既視感があった。

 明確な返事の要求。汐里は口重たくなる。ふぅと小さく吐き出された息が、細かく震えていた。テーブルの角辺りを睨みつけている。

 俺に囁いてきて、まだ数分しか経っていない。認めるべきか。認めざるべきか。判断を下すには早急だ。

 逆側から、姫凪が俺の身体越し汐里を凝視している。それもまたプレッシャーになっているのではないか。そう探ってしまうほど、汐里の反応は芳しくなかった。

 彼女たちも、徐々に怪訝を通り越して渋面になりつつある。この長い黙考時間は、忌避感を与えるほどのものだ。汐里だってそれが分かっているから、ますます顔色が悪くなる。悪夢のような坩堝に陥っていた。

 そして、汐里の口が開かれるよりも先に、彼女たちが追撃を寄越そうとするほうが早い。その動きを目視していた瞬間に


「あのさ」


 と、無意識下で舌が回っていた。考えがあってのことじゃない。先見は何も見えていなかった。出たとこ勝負。行き当たりばったり。見切り発車であるから、次の言葉が出てこない。

 かなり不快感を煽る態度であるだろう。それこそ、彼女たちが言うように出しゃばりと言われても仕方がない。


「……チームなんだ」


 どうにか捻り出せたことは、あまりにも拙かった。そのうえ、頓狂な発想だ。自身すら何を言っているのかと焦ったが、汐里も瞠目している。

 逆隣の姫凪は、俺の服を引く始末だ。発言に一貫性がないことを突き止めたいのだろう。しかし、そっちに気を回している時間はない。服を引くよりも苛烈な問いかけが、眼前から突きつけられている。視線の鋭さは今までの比ではなかった。それほど不愉快なことを口にしたかと慄くほどだ。


「……汐里と俺で、やってる」


 躊躇ってしまったのは、汐里の手柄を奪うことになってしまうのではとよぎったからだ。

 とんでもないことを口走ってしまった。嘘にしたって、もう少しマシなことを言うべきだった。南野に向かってやった交際宣言と同じようなことをやらかして考えているのだから、成長がない。無様だった。それでも、一度取り出してしまったら、引くに引けない。

 挙げ句、俺の心配なぞどこ吹く風で、汐里がこくこくと何度も頷いていた。自分だけがやり玉に挙がらずに済む方法に、大賛成という様子だ。嫌悪されたり引かれたりせずに済んだことは構わないが、それはそれでどうなんだろうと思わずにいられなかった。

 服を引く力が強まっていることは勘弁して欲しい。


「二人で?」

「彼は企画を練るときにアイデアをくれるし、手伝ってくれています」

「へぇ」

「意外だね」


 口さがなかった。女の子ってこういうとき無敵だよな。そう思ってしまうのは、やはり偏見だろう。

 もう一人の無敵に引かれる服が伸びそうで、その手を払った。一瞥すると、姫凪はぎろりとこちらを見上げてくる。彼女たちより手強いかもしれない。そう思いながらも、今は目の前のことに集中する。

 頼むから、敵対してくれるな。姫凪に対して、何故こんな杞憂をしなくてはならないのか。心労が絶えない。


「そうでしょうか」

「阿万野さんがそういうことをやろうってするのもちょっと意外だけど、そっちのクラスメイトさんって文具に興味なさそうだし」

「悪かったな」

「好きなの?」

「じゃなきゃ、企画なんて出せないよ」


 これにスラスラと答えられたのは、事実無根ではなかったからだ。文房具に興味があるのも、企画に対して助言したことがあるのも。そして、その滑らかさが発言の補助をしてくれたらしい。彼女たちの様子から険悪さが消えた。

 そのことにほっとしたのも束の間。そこからは、怒濤の質問攻めにあった。

 やれ、しおりのコツは。マステの工夫は。手帳って便利? 勉強に使いやすい文房具って何? どこで買ってるの? ノートも綺麗? 他に手作りしてるものってある? それを動画で出す予定は?

 汐里は相変わらず、どもりどもりの対応だった。そこに俺が補足のような突っ込み入れながら弁明していく。汐里にとっては説明だっただろうが、俺にしてみれば嘘の上塗りであるから弁明だ。ただ、思った以上に違和感なく話を続けられていた。

 自分でも思わぬほどに、汐里との会話は動画と紐付いていたらしい。それは何だかズルいような、ミーハーめいているような気がして、自重していたつもりなのに。はたして、汐里はどう感じていたのだろうか。

 不安はわずかに地面から顔を出したが、そのそばから軒並み彼女たちに踏み荒らされた。咲く前に潰されて、目を向けている暇がない。機関銃の雨のような会話だった。

 その間、ずっと黙りっぱなしの姫凪が怖い。恐怖というわけではないけれど。けれど、この会話が終わったら、そこから次の断罪が始まるのが予測できる。この会話を続けているほうがいいのではないか。そう思うくらいには、疎ましさが凄まじい。


「それじゃ、私たちもう行くね。付き合ってくれてありがとうね。話聞けて嬉しかった。SNSフォローするから!」

「あ、あのっ」


 そこまでは受け身一辺倒。自分から言葉を発することなどなかった汐里の言葉に、彼女たちは動きを止める。


「あのね、あの、今日知ったことは秘密にしてもらえますか」


 何でもする、とは続かなかった。それを口にする危うさに気がついたのならば、それに越したことはない。実際はそんなことを言う思考の余裕もないのだろう。


「知られたくないの?」


 それは何の引っかかりもない。大した事柄でもないかのように零される。俺たちの間では、その知られないということは大切に扱われていた。さらりと零されると、ドキリとさせられるくらいには。


「はい」


 汐里は恐る恐る顎を引いた。彼女たちは、アイコンタクトを交わし合う。判断が下されるのを、処刑台に進むかのような顔で汐里が見守っていた。


「じゃあ、黙ってるね」

「話聞いてごめんね」

「あ、ううん」

「じゃあね」


 彼女たちの謝罪は軽かったが、何ともなしに汲み取ってくれたことは喜ばしいことだろう。

 そうして彼女たちが去っていくと、一気に力が抜けた。俺はテーブルに突っ伏して、汐里は背もたれにもたれかかる。長く零れた吐息の音は、二重だった。

 しかし、ここで事は収まってはくれない。一度払ってから触れることのなかった手のひらが、服を思いっきり引いてくる。その勢いは、自分のほうへ向かわせようという強い意志を感じた。

 渋々。本当に渋々、顔を持ち上げてそちらを向く。姫凪はむっとこちらを睨みつけていた。

 まさかと思うが、ずっとこうだったわけではあるまいな。だとすると、彼女たちはどう思っていたのか。考えたくなかった。

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