第30話

「どういうこと?」


 前置きも枕も一切ない。直截な問いかけに頭を悩ませる。その間が姫凪をより不機嫌にするのは分かっていた。分かっていたが、それだけの理由でどうにかできるのなら、間を作ることすらしていない。考えていても、能力は伴わないものだ。


「蛍ちゃんが関わってるなんて、一度も言わなかった」

「聞かれなかったからな」

「あれだけ阿万野さんの動画のことを話してたのに?」


 それを明かされた途端、汐里の身が縮こまったのが気配で分かった。

 何の話をしたのか。姫凪はどういう結論に達したのか。今朝の自分の行動は姫凪にどう写っているのか。今朝は拒否したというのに、今はそれに応じていたことをどう思っていたのか。そうしたさまざまな感情で身の置き所をなくしているのだろう。これくらいの気配は読めるようになっていた。


「汐里の動画として話してたから、言う必要はないかと思って」

「どうしてそういうこというわけ? 蛍ちゃんって、友達のことなんだと思ってるの?」

「……友達であることと秘密を暴露するのは必ずしも一致しないだろ」

「詭弁だよ」

「待って……!」


 小さくなっていたはずだ。いや、振り返れば今だって、汐里は背中を丸めていた。


「蛍君は甘楽さんには虚偽報告してないよ」


 ぽそぽそと喋る汐里は、会話から状況を察したのだろう。少なくとも、俺が姫凪に自分のことを投稿主と告げたりはしなかった、と。


「どういうこと?」

「……私と一緒にやってるってほうが、嘘なの」

「なんで」


 理解できないのだろう。汐里が怯えているのを直に目にしたわけじゃない。俺が嘘をついてでも場に割って入ろうとした気持ちは分からないだろう。

 それに、これは俺の汐里への贔屓があってのことだ。そうしたものが絡まっている。理由は一口にまとめられなかった。


「心配してくれたの」


 俺が戸惑っている間に、汐里が口を開く。読まれきっているのは苦いが、間違ってもいないので否定もできない。


「……それだけ?」


 元々、疑り深い性質だ。簡単に納得してはくれない。それくらいは読めていた。読めていたが、直面するとやはり面倒くさい。放っておくのも七面倒臭いのだから、厄介極まりなかった。


「色々あるんだよ。汐里のことだ。俺から言うつもりはないし、姫凪がそれを追及する立場にもないだろ? それに、そもそも君らはまだ仲違いしたままのはずだ。他に言うことがあるんじゃないのか」


 眉をくいと釣り上げて元に戻し、姫凪を促す。その一点は、姫凪にとって痛点となっているようだった。傷つけたのは本当なのだから、部は悪かろう。


「……ビックリさせて、ごめんね」


 跳ねっ返りの強さを潜めた姫凪は素直に謝って、汐里に頭を下げた。インナーカラーの赤が見えなくなるので、真っ黒な髪は生真面目に見える。汐里は手のひらを身体の前に突き出して、わたわたと動かした。


「いいの。私もごめんね。感じ悪く逃げ出したりして。彼女たちを教室から連れ出してくれてありがとう。他に広まるのを防げたのは助かるから……」

「そもそも、私が引き金の一端になりかけてたし、いいの。それくらいは、させて」

「助かったよ、ありがとう」


 汐里は小さく笑う。わだかまりが解けて、安心したような。そういう顔だ、と読めたことに驚きつつも、こちらも肩の荷が下りた。

 これで、後は彼女たちが本当に善良であれば問題はない。そうした油断がよくなかったのか。収束したか、と言うタイミングで、話題はもたらされるものらしい。それも思わぬ方向から。


「……そういえば、蛍君って甘楽さんのこと、名前呼びするようになったの?」

「は?」


 面倒だと思ったし、何を考えているのか分からなかった。だが、姫凪がそれを言うのは、まだ分からないでもなかったのだ。俺と汐里の仲の良さに拘泥していたところを見るに、友達に並々ならぬ思い入れでもあるのだろう。悔しがるほどには。それを掌握することはできないが、姫凪なら納得はできたのだ。

 しかし、汐里にそんなような発想が備わっているとは予期していなかった。まじまじと凝視してしまう。汐里は普通のことを言っている。そんな顔で言葉を続けた。


「だって、今朝まで甘楽って呼んでたよね?」

「……昼休みに話したんだよ」

「だって、阿万野さんの様子が気になったから! 探してたら蛍ちゃんが見つかったから、そこで話を聞いてもらったの」

「それで、名前呼びになったの? 私の話で??」


 心底、不思議な顔で首を傾ける。そうしたいのはこっちのほうだ。それほど気になるものだろうか。名前呼びなんて、気持ちがなくともできるというのに。などと、失礼なことを思いながらも、苦笑で応じる。


「だって、阿万野さんだけズルいんだもん」

「私だけ?」

「蛍ちゃんに先に名前呼びされてたのは、そっちでしょ?」

「それはそうだけど、甘楽さんは甘楽って呼ばれてても、仲良さそうだったじゃない?」

「だから、名前呼びでもっと親密になりたかったんだよ。阿万野さんだけ抜け駆けさせないもん」

「抜け駆けとか、そんなんじゃないよ。それに、それを言い始めたら、甘楽さんのほうが先じゃん」

「ちょっと待て、何の話だ」


 二人がナチュラルに応酬するものだから、危うく間に挟まれたまま流しそうだった。

 触らぬ神に、と言うやつで、何でもかんでも首を突っ込むものじゃない。既に疲れている。これ以上、要らぬ諍いに首を突っ込みたくなかったし、二人のことだと思っていた。だが、どうにも不穏当だ。何の話をしているのかさっぱり分からなかった。


「ヒメのほうが蛍ちゃんと仲良しって話をしてるの」


 拗ねたような声明とともに、横っ腹から腕に絡まれる。それを言い合う理由が分からなくて、疑念ばかりが渦巻いた。

 それに、友人の親密さなど、他人と比較するものではないだろう。御託でも綺麗事でも、そうした気持ちが浮かんだ。

 腕を引き剥がそうと逆側の腕を動かそうとしたところで、その自由が奪われた。きゅっと腕を握り込んでいるのは汐里で、それ以外があるわけがないと分かっていても驚きは隠せない。手を繋いだことはある。だが、こうまでくっつかれるのは初めのことだ。

 汐里自身、自分らしからぬ行動で加減ができていないのだろう。ぎゅうぎゅう抱きしめてくるものだから、豊満な胸が腕に押し付けられていた。弾力のある感触が、他のすべての感覚を奪っていく。


「私だって、仲良しだもん」


 頬を膨らました汐里は、姫凪に対抗するかのように漏らした。やはり、らしくはないと自覚はあるのだろう。対抗の言葉は細やかだった。だが、そうであるがゆえに、鼓膜に残って消えない、ということはある。

 姫凪との仲を否定するつもりはない。他のクラスメイトに比べたら、十二分に仲良しだ。

 だが、汐里がそう言うのは、訳が違った。


「わ、わかったから、離れてくれ」

「分かったって、どっちに?」


 突っ込んでくる抜け目がない姫凪に、ぐぅと喉が鳴る。

 衝撃度に違いはあるし、その差はあった。だが、それは友情の話から少し外れた差だ。それをそのまま口にするつもりはなかった。仮に伝えるときがきたとしても、今この場を選ぶことはない。決して。


「……友達を比べるつもりはない」

「分かったって言ったのに? 分かってないじゃん」

「どっちとも、仲良いだろ」

「阿万野さんとはこそこそ仲良くしてたのに? デートしたり」

「だから、それは」

「……甘楽さんにそういう話したの?」

「聞かれたから、答えただけだ。南野から聞いたんだろ」

「付き合ってるって言ったんでしょ? 阿万野さんもそれに乗っかった」

「あんまり知られたくなかったから、蛍君が助けてくれたんだよ。ただ、それだけ」

「満更でもないと、肯定しないんじゃない?」


 やはり風向きはおかしい。俺は再び置いてけぼりを食らっていた。どういう話の流れなのか、読めない。

 汐里がそこで唇を引き結ぶ流れになるのも、掴みきれていなかった。そして、汐里は黙ったまま、やられっぱなしではいない。今や、縮こまっていた姿は消え去っていた。それはいいことだが、人の腕を抱きかかえたままであることはほどほどにして欲しい。


「蛍君はいい人だもん。否定するところないでしょ?」


 それはちょっと大言じゃないか。あまりの全肯定に怯む。

 姫凪は目を細めて汐里を見つめていた。俺の存在を忘れているのではあるまいか。間に挟まっている必要性を感じない。そして、腕を解放して欲しかった。


「だからって、彼女でもいいなんて思うかな?」

「……甘楽さんは、そんなこと思わないってこと?」


 汐里の切り返しがいいところにヒットしたらしい。姫凪がぐぐぐと唇を歪める。

 そういえば、姫凪には好きな人がいるはずだ。想い人がいるのだから、他の男友人に恋人の振りなんてされたくはないだろう。

 俺は納得できたが、汐里は少し不愉快な顔になった。俺への評価がおかしい。俺から汐里へもおかしいので、そこまで気にしていなかったが、第三者が挟まるとよく分かる。苦くなりながら、助け舟を出した。


「いいから! とにかく、そういうのはいいから、朝のことが解決したなら、もういいだろ。帰るぞ」


 漕ぎ出した船は泥船だった。もう少し、ろくな舵取りができなかったのか。我が事ながら思わずにはいられなかったが、意味が分からない展開を器用に立ち回れる手腕はない。

 汐里も姫凪も、微苦笑になった。それでも、口論に終止符を打てただけ、戦果だろう。


「ほら、離れろ。二人とも」


 正直に言って、気になって仕方がないのは汐里のほうだった。物体の大きさやら近さやらの問題である。感情の問題もあるかもしれない。とにかく、そこに差はあったが、離れて欲しい気持ちに差はなかった。

 汐里はすぐに我に返ったように身を引く。引き際の良さがいつも通りを感じさせて、ほっとした。そして、いつもしつこいほうは、往生際が悪い。解放されたほうの腕で引き剥がしてやると、不満たらたらで離れていった。

 彼氏だと誤解されたくなかったら慎めよ。


「行こう」

「帰るの?」


 そういったのは、名残惜しさ全開だった姫凪ではない。そう言った汐里の瞳はすっと特別棟のあるほうへ流れていた。意図はすぐに分かる。けれど、姫凪をどう収めればいいのか分からない。情けなく苦笑して頷くと、汐里もすぐに頷き返してきた。


「甘楽さん、部活は?」

「入ってたっけ?」

「美術部だよ。幽霊だから、問題ないけど」

「問題しかないだろ……」

「いいの?」

「阿万野さんだけ仲良く帰るのズルいからいいの」

「またそれか」

「何? なんか文句ある?」


 その主張が罷り通る状況に文句はある。それは姫凪だけではなく、汐里にも言えることだ。つまり、二対一。ただでさえ分が悪いし、タッグを組んだ女子に勝てるとは思えなかった。

 そもそも、汐里単体でも勝てないし、姫凪単体でも手を焼いている。


「ないない」


 おざなりに切り上げて立ち上がると、後ろから不満の声が上がった。それには取り合わずに、中庭を横断していく。汐里も姫凪も意味の分からない議論を繰り広げながら、後をついてくる。その日の帰途は、とんだ気疲れとなった。

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