第六章

第28話

 俺が確認すべきだったのは、姫凪の真意や先の行動についてではなかった。

 姫凪がどこから汐里とヌルさんを結びつけるに至ったのか。それが問題だったのだ。そんなことにも気がつかないほどには、俺も度を失っていたのかもしれない。しかし、それでもなお、確認すべきだったのだ。

 隣のクラスから尋ねてきた女の子二人組が、汐里の席の前に立っている。この状態を予期、もしくは回避するためには、やはり確認が必要だったのだ。であれば、こうした状況になっていたとしても、もう少し冷静な対処ができていた。

 まだ人の残る放課後の教室で、ぴりぴりと静電気が走るような気持ちになることもなかっただろう。

 汐里の肩が上がって、背筋ががちがちに硬化していた。隣の姫凪も、顔を強ばらせている。俺だって、汐里の背を見つめたまま動けない。

 誰一人としてまともな反応ができていない中で、二人の女の子は何とも平然。それどころか、興味が隠せない晴れやかな顔で君臨していた。

 注目度は低いだろうが、人は残っている。そして、隣のクラスからの来訪者というのは、どうしても目につくものだ。わずかな生徒が、ちらちらとこちらを一瞥していた。状況は悪い。

 彼女たちがスマホを手にしているのを見れば、何の尋問かなんて考えるまでもなかった。昨日までなら、まだ分からなかったかもしれない。だが、今日となれば、もう候補はひとつしかなかった。

 姫凪が割り込もうとばかりに腰を浮かしているが、一歩が踏み出せるわけではないようだ。汐里と姫凪は、まだ仲直りをしていない。朝に交渉決裂して以来だ。そのわだかまりが、一歩を躊躇わせるのだろう。

 そんな立場の姫凪が動くよりも、俺が動くほうが自然だ。いや、自然か? 動画主として話を聞こうとしたら、無関係な男友達が出てくるのは自然なのか? 疑問は大いにある。俺は十分関係者だろうが、彼女たちにしてみれば知らないものだ。乱入されても、空気読めって感じだろう。

 ……それでいいのか。

 我に返るように思う。そうして場の空気をぶち壊してあやふやにしてしまえるのならば、それに越したことはない。それがただ会話に加わるだけでこなせるのだ。上々ではないだろうか。俺は椅子を鳴らして立ち上がった。


「貴方がヌルさん?」


 俺の乱入を予期したかのようなバッドタイミングで、問いかけがスマホとともに突きつけられる。音は出ていないが、動画が開かれていた。画面の配置だけで、それがヌルさんのものだと分かる。俺の目は節穴ではなくて、だからこそ絶望感も強い。

 石像と化している汐里を横にして、俺は鞄を片手に汐里の机の横側に進む。汐里の身体がバネ仕掛けのように揺れて、不安に濡れた瞳がこちらを向いた。彼女たちの怪訝な視線も感じていたが、俺が捉えていたのは汐里のものだけだ。

 へにょりと下がった眉尻に、垂れ目に泣きぼくろ。複数が重なって、悲壮感が強く映る。これは俺の欲目であるのかもしれないけれど。助けてやらなければ、と庇護欲が刺激された。


「汐里、帰ろう」


 彼女たちなど見えていないかのように口を開く。汐里は驚いただけのようだが、彼女たちは不快感を丸出しにした。分かりやすいことだ。


「……あんた、何?」


 複数人であることは、強気でいられる理由なのかもしれない。


「……帰る約束をしてるクラスメイトだけど」

「クラスメイト?」


 わざわざ約束をして、こうして割ってくる。ただのクラスメイト、というのが苦しいのは分かっていた。

 だが、そこに主眼を置くつもりはない。既に交際の噂は出始めているのだ。じたばたする気はなかった。目を細めて曖昧にした俺に、彼女たちは探るような目つきになる。


「……私たち、阿万野さんに話があるんだけど」

「……汐里の友達?」

「ううん」


 俺が声をかけたのは、汐里のほうだ。首が左右に振られる。彼女たちを見ると、攻撃的な視線が待っていた。雲行きは怪しいだろう。だが、とにかく今は汐里をここから引き剥がすのが先決だった。


「じゃあ、約束してた俺のほうが優先でいいだろ? 話があるのは一緒なんだ」

「……それって今じゃなきゃダメなの?」

「そっちこそ、今じゃなきゃダメなの?」


 俯瞰すると、何の対峙なのか摩訶不思議だ。汐里の取り合いをするにしても、どうして女子二人を相手取ることになるのか。不思議な気持ちではあったが、譲る気もなかった。


「すぐ終わるんだけど」

「……」


 しつこい。だが、時間稼ぎにはなったようだった。

 教室の生徒数は減っている。俺と彼女たちが対立構造になったことで、二次被害を恐れたのだろう。喧嘩の場面に居合わせたいとは思わないものだ。それも男女の揉め事など、興味も湧くが、同じくらい面倒くさくて関わり合いになりたくはない。

 実際、まとわりつく湿度のある空気からは、さっさと逃げ出したいくらいだ。自分から作り出しておいて、一抜けできるわけもない。するつもりもなかったが。


「ごめん、待った?」


 停滞していた空気に、リズミカルな声が割り込んできた。調子っぱずれな音は、いささか張り切り過ぎている節は否めないがありがたい。俺の後ろから顔を出した姫凪は、わざとらしいほど型で取ったような笑顔をしていた。

 怪しい。怪し過ぎる。だが、それは普段の姫凪を知っているから思うことだ。汐里は目を瞬いていて目尻をひくつかせていたが、彼女たちは更なる闖入者という点しか気に留めていなかった。


「待ってない、というか待たされるみたいだな」


 目線を彼女たちに投げると、姫凪がようやく気付いたとでも言うようにそちらを見る。それもまたわざとらしくはあるが、姫凪の明るく軽薄にも見える姿が役立っていた。忘れがちだが、姫凪は南野と同グループなのだ。他のクラスの生徒であったとしても、カーストトップとは影響力がある。


「なに? なんか問題でもあったの?」

「そうじゃなくて……」


 二人組の強みはあっても、カーストには逆らえないものらしい。だからといって、引いてしまうということもなかったが、明らかに語尾が失速した。


「聞きたいことがあったんだけど」

「ここじゃないとダメなの?」

「え?」

「だって、ヒメたち用事あるんだもん。でも、今がいいなら移動しながらとか、そういうのでもいいじゃん」

「それはいいけど」

「じゃあ、どっか静かなとこ行こうよ」


 にこりと微笑んで誘導する姫凪には、感謝しかない。俺であれば、邪魔するという野蛮な方法しか実践できなかっただろう。ここまで滑らかに事態が動いたことに、どこかでほっとしていた。

 そうして、俺たちが離席しようとしているのが分かったからか。耳を澄ませていたのであろう生徒たちも意識を飛ばしたようだった。

 ここまで終始無言を貫いていた汐里の背を叩いて、離席を促す。汐里は挙動不審のままどうにか立ち上がった。がたんがたんと椅子が鳴る。憔悴と動揺の具合が手に取るように分かって、椅子を引いてやる。

 動きすら錆び付いているかのようなものだから、思わず手のひらを差し出した。自分でもこんなことをするとは、意外性しかない。エスコートなんて、脳内辞書にだって存在しないはずだというのに。よくやれたものだ。

 自分でも思ったことは、汐里も姫凪も思ったらしい。目を丸くしているのを見て、途端に冷水を浴びせられたように腕を引こうとした。しかし、それよりも先に汐里のしなやかで華奢な指先に触れられる。

 思えば、その手を繋いで歩いたのは昨日のことなのだ。一日でこんなにも展望があるとは思いもしなかった。不測の事態だ。俺だって、様子がおかしくなる。汐里の手を取って、椅子から立ち上がらせた。その先も手を繋ぎ続けるには、俺の勇気は続かない。

 姫凪から注がれる視線にも戦いた。姫凪のご機嫌伺いをしないといけない理由が分からないが、敵に回られたら面倒極まりない。余計なことに意識を割いている場合ではなかった。

 そして、無事に椅子から立ち上がれた汐里は、どうにか自力を取り戻したらしい。


「ありがとう、蛍君」


 先に名前呼びを隠すのをやめたのは俺だ。それは場を撹乱する意味合いがあった。破れかぶれだなんて言うつもりはない。だが、やけくそ込みだった。それに歩調を合わせてくれる汐里には、くすぐったくなる。

 いつもだって呼ばれているくせに、今になって感慨を覚えるとは。


「行こう」

「認めなきゃダメかな?」


 道中にそっと囁かれて、苦笑いを零す。否定も肯定もしなかったのは、状況次第。もしくは汐里次第であるからだ。俺が指示を出すべきことではない。

 そりゃ、俺はいくつか汐里の企画に影響をもたらしたこともある。贅沢が許されている、と思うところがあるのだから、優位性を覚えているところもあった。それをファンの指示と呼ぶのであれば、そうだろう。

 だが、その心の向かう道を決めるつもりはない。作戦会議なら付き合わないでもないが、ダメだダメじゃないだという決めつけに、俺は関われないのだ。

 汐里もそれは分かっているのか。俺が答えないことに困り顔こそすれ、食い下がることはなかった。彼女たちの目があったために、遠慮しただけかもしれないが。

 場を主導するのは姫凪だ。どこに行くつもりなのか。人波を抜けて、歩を進めていく。そうしてたどり着いたのは中庭だ。

 俺たちがそこに何の用事があると言うのか。その問題はあったが、人目を忍ぶにはお誂え向きだった。いつも人がいないというわけではない。だが、放課後に居残っているものはいない。たまに演劇部の練習場となっていることはあるが、今日はそのたまの日ではなかったようだ。

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