第27話

 甘楽に捕まったのは、屋上の踊り場だった。汐里の動画をおともにして昼食を摂っているところに、ひょっこりと現れたのだ。顔を顰めてしまったのは許して欲しい。すぐさま動画を止めて、アプリを落とした。

 甘楽は静々と隣に腰を下ろしてくる。午前中、甘楽から汐里に声をかけることはなかった。それは、汐里が少しも取り合わない態度でいるからだろう。意地悪しているわけでも、忌み嫌っているわけでもなく、いつも通りであるだけだ。

 だが、やらかした自覚がある人間はそう思えるわけもない。


「怒ってた?」


 と、言うように、ビビって声がかけられなくなっていた。

 これだけで、悪気がなかったことは分かる。勉強会をした仲、として身近にでも感じていたのかもしれない。フランクに尋ねただけに過ぎないのだろう。汐里からすれば、そんな軽々しいものではなかったわけだが。


「阿万野はそんなに短気じゃないよ」

「じゃあ、泣いてた?」


 へこんでいた、よりも分かりやすい吐露に切り込んでくる。より一層、顔を顰めてしまった。

 悪気はないのだろうが、その悪気のなさが甘楽の欠点になっている気がする。それとも、泣いていたかどうかを尋ねるのを不躾、と思ってしまう俺が神経質なだけだろうか。汐里に肩入れしていることは分かっているから、公平な判断は下せそうになかった。

 だが、肝心なのは汐里のことなので、悪いがここは自分の心に素直にいかせてもらう。甘楽を責める気はないけれど。


「……蛍ちゃん?」

「泣いてはないけど、へこんではいたし、驚いてめちゃくちゃだった」


 表面上はかろうじて平常に見えた。けれど、内心は俺が予測しているよりも、ずっとめちゃくちゃだっただろう。大袈裟に響くくらいがちょうどいい、と思ってしまったのは根性が悪かったかもしれない。


「……励ましてあげられたの?」

「なんで?」


 甘楽の質問に、勢いはない。そうであるから緩く聞こえているが、探りを入れてくる甘楽の性格から外れてはいなかった。詳細を教えるつもりはない。冷たいかもしれないけれど。


「阿万野さん、復活してたみたいだから」

「俺に魔法は使えない」


 見えているだけだろう。万全なわけがない。万全なら、汐里だって甘楽に頑な過ぎる態度を取ってはいないはずだ。心配りのできる子であるから、一言くらい乱暴な退室の謝罪くらいしている。それがないのだから、胸中の折り合いはついていないはずだ。


「ビックリさせちゃったよね」

「怖がってたよ」


 身バレの怖さってのは、体感しなきゃ分からない……だろう。俺だって、分からない。ただの想像でしかない。それでも、つらさは分かるから、俺は当てつけのように言ってしまった。


「ごめん」

「俺に謝ってもしょうがないだろ」


 こんなところに来る時間があるなら、汐里を捕まえればいい。汐里なら、教室で弁当を食べているはずだ。俺を見つけるよりも簡単だろう。


「だって、阿万野さん、またどこかに行っちゃったんだもん。もしかしたら、蛍ちゃんとここにいるのかと思ってきたの」

「……なるほど」


 特別棟に行ったのか。確かに、いくら甘楽と話す覚悟をしていたとしても、教室で詰め寄られたくはないだろう。これに寄られたら面倒なのは、よく分かっている。現在進行形で。


「そんなに怖がってた?」

「あぁ」


 再確認はいるのか。そうは思いつつも、相槌を返さない道はなかった。何段構えにしたって足りないくらいだ。


「確かめたかっただけなんだけど」

「もっと時と場所を考えられなかったのか?」

「だって、気になっちゃって」

「好奇心は猫をも殺す」

「……悪いとは、思ってる」

「……含みがあるように聞こえるが?」


 深入りしたいとは思えない。だが、このまま流すわけにもいかなかった。汐里に対する含みを捨て置くことはできない。


「……、だって、嘘ついてたでしょ、二人とも」

「は?」


 急展開に、思考が止まる。横を向くと、甘楽はこちらをじっと見ていた。じっとりとした視線は、こちらを責めるようだ。何故、こちらがそのような視線に晒されなければならないのか。責めたいのはこっちだった。


「だって、付き合ってるんでしょ?」

「……」


 ああ、やっぱりそれが流布されてるんだな。その感想は思ったよりもすらりと滑り落ちてきた。そして、動揺もない。

 だが、甘楽の視線による居心地の悪さは改善しなかった。


「……なんだよ」

「私が聞いたときは違うって言ったよね? だから、友達として応援したのに。仲睦まじくデートしてたって南野君が言ってた」


 口が軽い。思った以上に口が軽い。秘密だって言ったじゃねぇか、と愚痴りたい。

 だが、南野と甘楽は同じグループだ。常にべったりしているような気はしないが、それでも同一グループだった。知られているのもやむを得ないと思えるほどには、そもそも信用はしていない。


「それで?」


 投げやりな返しになったのは、呆れが大きかったからだ。もちろん、自分の尻拭いであるのだから、仕方がないとも思っていたが。


「だから、ちょっとビックリさせるくらいはいいかなって……」

「何の八つ当たりだよ」

「だって、嘘はダメだよ!」

「……あのな、南野に外で絡まれて、俺たちが全力で拒否したところで信用してもらえると思うのか」

「そっちが嘘ってこと?」


 甘楽の空気が一気に弛む。こんなにも簡単に信じるものか、と思いはした。思いはしたが、ここでごねられれば面倒なのは俺だ。余計なことには口を噤んでおく。


「適当に逃げただけだ」

「じゃあ、二人は仲のいい友達ってこと?」

「そうだな」

「今度こそ、本当に?」


 再確認を繰り返すのは、慎重と言えば聞こえがいい。だが、甘楽に限って言えば、鬱陶しさになっている。

 こらえたほうが身のためではないだろうか。思いこそすれ、注意しなかったのは汐里とのことが優先されていたからかもしれない。……もっと単純に面倒くさかっただけかもしれないが。


「本当に。付き合ってない」


 断言すれば、甘楽ははーっと深い息を吐き出した。ぺたりと身体を折ってまで脱力するほどだ。何をそんなに重々しい態度を取ることがあるのか。


「じゃあ、デートは?」

「普通に出かけてただけ」

「二人で?」

「しつこいぞ」


 それは汐里の情報ではあるが、ヌルさんとのこととは関係がない。それに付き合うつもりはなかった。当然、ヌルさんのほうに取り合うつもりはないし、水を向ける気もない。


「それだけ仲がいいなら、動画のことも知ってたの?」

「だったら?」

「……阿万野さんは、蛍ちゃんにはそれを明かしたの?」


 バツが悪い部分だ。苦笑いをするしかない。この点においては、俺の失点だった。どれだけもう気にしていないと言ったって、過去はなくならない。


「なんで、私のときにはあんなに慌てたのかな?」

「……教室でやるからだろ」

「趣味なんだよね?」

「好きなことには胸を張れても、広められることはまた違うだろ?」

「私、広めたりしないよ?」

「教室で聞けば、甘楽が広げようとしなくたって、周りだって耳にするだろうが」

「聞いただけなら動画探せなくない?」

「それでも、ビビるって話をしてる」


 突然切り出されて、そんなことに頭は回らないだろう。驚愕に支配されて、まともなことは考えられないはずだ。


「……謝ったら、許してくれるかな?」


 悪いと思っているのは、事実なのだろう。甘楽は湿った声で囁いた。消沈しているのをいい気味だと思うほど悪趣味ではないし、甘楽を虐めたいわけじゃない。


「阿万野だからな」

「……どのタイミングだったら、怖がらせないかな?」

「放課後の教室なら、人もいないだろ?」

「分かった。そうしてみる」


 汐里からも歩み寄る気があると知っている。お膳立てしてやれば、後はもう二人の問題だ。いや、最初っから二人の問題である。俺が間に入っているのがおかしい。


「でも、なんであんなに怖がったんだろ?」

「身バレは怖いだろ。匿名で活動してるのを突き止められるんだぞ」

「そうじゃなくてね。それは悪いと思ってるし反省もしてるけど、あれだけちゃんとした作品を作れるのにあんな隠すみたいにビビり散らかさなくてもいいんじゃない?」

「……まぁ」


 その点では甘楽に同意だ。ビビらなくったって、汐里の作品たちは輝いている。何も物怖じする必要なんてない。その点においては、甘楽の感覚はズレていなかった。


「素敵だよねぇ。あんなに綺麗にロゴを描いたり、ページを作ったりするの魔法みたいだし、しおりも可愛かった……あ、そうか。蛍ちゃんが拾ったってしおりがそれだったの?」


 勝手に結びつけられて納得される。こういうところだけ勘がいい。苦笑いすると、また勝手に納得してくれたようだ。言葉以外から気取られるのは、いつもなら面倒くさい。だが、今だけはその性質に助けられていた。


「それ、本人に言ってやってくれ」

「え?」


 俺の中では話は繋がっていたが、甘楽は俺と汐里の出会いの話に移動しているつもりだったらしい。目を見開かれて、ますます苦笑いになってしまった。


「素敵だって、伝えてあげてくれ」

「そういうのって、他にもたくさん言ってもらえてるんじゃないの? 私がわざわざ言っても意味なくない? ていうか、怖がらせておいて急に褒め出すとか、何か求められてるんじゃないかとか勘繰られない? 阿万野さんって、色んなこと気にするほうでしょ?」


 そこまで汐里の性格を読めていて、どうしてあの暴挙に及んだのか。返す返すも残念な子だ。


「自信ないみたいだから」


 事情を明かすつもりはなかった。そこには、汐里の体験が含まれている。個人情報を雑に取り扱うつもりはない。甘楽は不思議そうな顔をしている。


「意外」

「そうか?」


 汐里は大きな顔をしたりしない。どちらかと言えば、ひっそりと咲く可憐な花という印象だ。自信を持ってくれないことは悲しくはあるが、意外性はない。意外だと零すほうが意外で、こっちのほうが不思議に思ってしまった。


「んー、なんていうか。動画を上げるってそれなりに自信があるんだと思ってた」

「どっちかっていうと、趣味を共有したいって感じだったな」

「なるほどね〜そこに私みたいなのが乱入しちゃったから問題なんだねぇ」


 本当にどこまでも残念だと思わざるを得ない。ここまで分析できるのに、考えなしだ。ため息も零れようというものだった。


「分かってるなら、ちゃんと謝っとけばいいだろ。汐里は誠実な態度を許してくれないほど狭量じゃない」

「……しおり?」


 復唱に謎を浮かべる。甘楽はぎゅっと眉間に皺を寄せた。またぞろ険のある表情に、こっちも渋くなる。今回のことでこちらに非を擦りつけられるようなことはひとつもないはずだ。


「やっぱ名前呼びしてたんじゃん」

「……まぁ、その辺は臨機応変に」

「仲がいいって知ってる私の前でも?」

「また交際疑惑が再浮上か?」

「だって、あんまりにも怪しいんだもん。秘密を共有してたんでしょ?」

「それだけだろ」

「でも、こうして知られたら慌てふためいて隠れそうとしてしまうくらいに秘密にしてることでしょ? 阿万野さんにとっては、蛍ちゃんが特別だったってことじゃん」

「仲がいいってだけだ。動画のことはなし崩し的に知ってしまったから、秘密にするために口止めも食らってる」

「……そうなの?」


 しつこいうえに勘で押し切ってくるところがあるくせに、やけに簡単に相槌を打つ。チョロ過ぎでは? と不安になったが、都合がいいので都合よく利用させてもらう。自分がここまで利己的だったことを初めて知った。


「交換条件で成り立ってる関係ってことだ」

「そうは言っても、名前で呼ぶ仲なんじゃん」

「何をそんなにこだわってんだよ。俺と阿万野の仲がいいと何か困ったことでもあんの? 甘楽に迷惑かけてるか?」


 この件に関して、甘楽の執着心は並々ならぬものがあった。一度納得して大人しくなったと思った後でのことで、煩わしさが倍加したようだ。

 文句はつらつらと零れて、多少の罪悪感が湧く。まるだ八つ当たりだ。八つ当たりする相手としては間違っていないだろうが、自制心のない行動には苦くなった。


「……悪い」

「……だって、悔しいもん」


 謝罪と甘楽の発言がぶつかる。だが、それで言葉を聞き逃すということもなかった。向こうも同じだったようだが、目線で先を促す。

 甘楽は両の指先を突き合わせて、視線を逸らした。悔しい。それは何か言いづらいことに繋がっているのだろうか。予想がつかなかった。


「ヒメだって、蛍ちゃんと仲良くしてるつもりだったんだけど」


 ぽつぽつと零される小声が、耳朶に残る。じっくりと転がしてみても、その意味を汲むことはできなかった。乙女心は分からない。それと汐里のことと、一体何の関連性があるのか。

 黙って続きを待つ俺に、甘楽は唇をわななかせながら続きを紡いだ。


「なのに、甘楽って呼ぶじゃん。阿万野さんと仲良くなった時期のほうが後でしょ? 仲良くしてるつもりだったのに、先を越されるの悔しいじゃん。私だって、もっと分かりやすく蛍ちゃんと仲良くしたいよ」

「……阿万野とは分かりやすくしてないだろ」

「わざわざ阿万野呼びに戻さなくたっていいよ」

「そこまで意図してない」

「汐里って呼べばいいじゃん」

「拗ねんなよ」


 何でこんなことを言っているんだろうか。混乱ばかりが飛ぶ。甘楽は分かりやすく頬を膨らましていた。


「じゃあ、姫凪ひめなちゃんって言えばいいか?」

「姫凪でいい」

「……分かった。分かったから。姫凪だって友達だし、汐里と比べてなんかない」

「そこまで言ってないじゃん」


 そうは言いながらも、甘楽……姫凪はあっという間に機嫌が直っている。やはり、チョロい。

 名前呼びなんて、それこそ無関係に呼べてしまうものだ。形だけであるのだから。汐里とそう呼ぶようになった経緯だって、別に友人関係がどうのという部分を取り沙汰したわけじゃない。もちろん、意味はあったけれど。

 姫凪と呼ぶにしたって、そのうち、という時間経過に任せるほうが、友人らしいと言えば友人らしいだろうに。


「蛍ちゃんの呼び方も変えたほうがいい?」


 だが、姫凪は強制イベントであっても気にしないらしい。上機嫌に首を傾げてくる。


「そんな呼び方、姫凪くらいしかしないから、そのままでいいよ」

「特別だもんね」


 ニコニコと告げる内容は、浮かれていると言ってもいい。汐里のことを忘れているんじゃないのか。そう釘を刺してしまいたいくらいだった。

 それに。


「俺の特別に価値なんかないぞ」

「誰のだって、特別は嬉しいものじゃない?」


 無邪気に首を傾げられて、それ以上無粋なことを言うのはやめた。

 自分だって、汐里にとってそういう存在であることを喜んでいる。特別だと口に出されたわけじゃないが、そうした立場にいることは態度から感じ取れた。何より、文房具談義のできるリアルの友人は、俺一人で間違いない。それは言葉にして確かめないだけで、特別と呼べるものだろう。

 そこは無条件に嬉しく、心地が良い。俺が姫凪にその感情を与えられるなんて自惚れてはいないけれど、当人の自己申告を撥ね除けるまでもないだろう。


「それじゃあ、これからはそう呼んでね」

「分かってるよ。姫凪は汐里と仲直りしてくれ」

「……阿万野さんがへこんでて可哀想だから?」


 やっぱり姫凪の考えていることは分からない。乙女心とは奇々怪々だ。

 はぁ、とため息を零した。概ね間違いではないが、肯定して姫凪の機嫌を損ねるのがまずいことは分かる。それに、理由は多層的なものだ。


「友人同士がぎくしゃくしてるのは忍びないだろ」

「……そっか」


 やっぱりチョロい。姫凪のこのアンバランスさは何なのか。もはや、その感覚を理解しようとは思いもしていない。弾むように頷いたので、言葉を間違わなかったことは分かった。それだけが分かっていれば十分だ。


「蛍ちゃんにそう言われちゃったらしょうがないよね」

「俺とは関係なく謝る気だっただろう」

「より一層、やる気になったってこと」

「……汐里に歩み寄ってくれるなら、それでいいよ」


 理屈も着想も分からない。姫凪は言いたいことを言いたいように言う。だったら、こっちからも言いたいことを言っておくだけのことだ。姫凪は少しだけ呆れたような冷えた目になったが、すぐに気を取り直したようだった。


「任せて」


 姫凪のテンションに振り回されるのは懲り懲りだ。そう笑ってくれるならよしとして、話を畳む。

 姫凪も満足したようで、軽快な足取りで教室に戻って行った。

 今度こそ、後は二人の問題だろう。どうか巻き込まれませんように。そう思ってしまったのがいけなかったのかもしれない。

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