第26話
「汐里?」
どういうつもりか。それを問うてもどうしようもないことは、分かっている。聞いたところで、まともな対応もできないだろう。それでも、疑問を含めるのを除去することはできなかった。
声で気付いたように、手が止まって視線がこちらを向く。自分が何をしているのか自覚がないような目線には、思わず苦笑が零れる。これが自分を対象にしている行動でなければ、微笑ましく思えていたのだろうか。
「どうしたの?」
「髪」
「え?」
本当に気がついていなかったらしい。言われて、視線が俺の頭上へと移動する。それから、ぴくんと身を揺らして、手が引かれた。汐里の周囲の空気がそわっと揺れる。
「これは、あのね」
引いた手が空中でわきわきと無意味に動いた。頭を撫でることが特別かどうかはお互いの関係値による。自分たちの間では、どういうものだろうか。考えてみても、答えは出ない。
ただ、汐里にとっては、焦ることだということだけが確かだ。
「なんだか、ふわふわしてて、触り心地がよさそうだなぁって」
俺は怪訝を抱きながら、自分の髪に触れる。言うほど、ふわふわはしていない。セットしているから、一部は束になっているってところまである。汐里が上の空になって夢中になるような手触りはなかった。
「幻滅したか?」
「どうして?」
さも当然のように首を傾げられて、こっちが首を傾げてしまう。
「ふわふわじゃないだろ?」
「ふわふわだったよ? 綺麗な金色だよねぇ」
「ちゃんと定期的に染めてるからな」
「なんで金髪?」
「やってみたかったから」
「……蛍君は、好奇心のままに生きてるよね」
「そんなに行き当たりばったりで、その場限りで生きてるみたいな楽天家なつもりないけど」
「そうじゃなくてね、」
否定しながらも、適切な語彙が見つからないのか。んー、と考えるような感嘆詞が挟まる。しばしの間を置いて、汐里はおもむろに口を開いた。
「好奇心に飛びつけていいなぁって」
「汐里だって、好奇心の塊だろ?」
その幅は狭いのかもしれない。俺のように無節操に飛び込んでいるという感じはなかった。けれど、文房具というカテゴリー内においては、その限りではない。
「文房具は手軽だったから、そうなってるだけだよ。外に出て行ったり、新しいことをしたり、そういうことはあまり得意じゃないの」
「へぇ」
意外、というほどではなかった。確かに、クラスでの過ごし方を見ていれば、どちらかと言えば内に視線が向いていると言われるほうがしっくりくる。
動画投稿している、というほうがよっぽど意外性があるのだ。それがヌルさんでないにしても、驚きがあった。
「でも、文房具では能動的だよな。それほど夢中なんだなぁ」
「楽しいもん」
表情が晴れ渡る。
心の底から、よかったという気持ちが溢れ出た。俺の力ではないだろう。文房具に熱を上げている、汐里が元々持っている輝きだ。それでも、自分の中にある力で立ち直れるのならば、それに越したことはない。
「俺も楽しいよ」
「他にやりたいことはないの?」
「今は限定品とか気になってるやつがあるから、実店舗に行ってみたい文具店があるくらいかな……革手帳も見てみたいけどなぁ」
「高価だもんね」
「そうなんだよなぁ。それにいかにも、って雰囲気で店にも入りづらい」
「分かる。私も革製品にはまだ手を出せてないから」
「万年筆はやってるよな?」
「お手頃なやつだけどね。上を見たら、きりがないし。ガラスペンもやってみたいけど、インクがたくさん欲しくなっちゃいそうで躊躇うんだよね」
「ガラスペンって割りそうで怖いし、使いこなせる気がしないし……俺は万年筆のほうが興味あるな」
「高いやつ?」
「馬鹿みたいだけど、重厚なやつ」
「馬鹿だなんてことないよ。かっこいいもん。私だって、綺麗だからガラスペン欲しいなって思ってるし」
「そういうもんか?」
「シールとかマステとか紙モノとか、他の何にしても自分の好きな柄やデザインを選ぶでしょ?」
「確かに。汐里はクローバー、好きだよな」
「なんか可愛くて、惹かれちゃうんだよね。蛍君は何か惹かれる柄とかないの?」
「俺? んー、わりと動物柄好きだな。ぞうとかライオンとかわにとかペンギンとか、種類も豊富だし、ついついって感じ。汐里はクローバー以外の植物に興味ないの?」
「あるよ? お花は可愛いもん。あじさいとかもいいし、ミモザとか……葉っぱだけのデザインもいいし、春夏秋冬で作られてると全部欲しくなっちゃう」
「あー、分かる。春夏秋冬って気になるよなぁ。植物とかに限らず揃えられるとテンション上がる」
「付箋とかは集めてないの?」
「付箋は普通のやつ。百均の細いカラフルなの」
「目移りしないの?」
「んー、使いやすいしなぁ」
「蛍君は使いやすさ重視?」
「重視ってことはないよ。でも、やっぱりコレクションって感覚はないな。使うこと前提」
「私だって可愛いから使いたくって買ってるけど、気付いたらコレクションになってるんだよね。コレクションページを作っておいてあるのになぁ」
「もったなく感じることはあるな。この間のマステもあんまり使えてない」
「私も」
和やかに笑いを交わす。トントン拍子の会話に、抱えていた緊張感や無力感が落ち着いていた。汐里もそうであろうか。そうであればいい。
文房具談義は楽しい。こうして俺たちは時間を積み重ねてきた。それは、動画があったからだ。汐里が消そうとしたものが始まりだった。だからこそ、それをなくしてしまう道を進ませずに済んで良かった。
大切にして欲しかった。全面的に受け入れられたわけじゃないだろう。まだ恐怖だってあるし、まごついている部分もあるはずだ。だけど、こうして会話ができるだけの気持ちは戻ってきている。そして、俺はその相手になれた。それだけで意味があったと思える。
一限分。汐里との文房具談義を楽しんで、俺たちはきちんと授業に戻った。授業に集中できていたかどうかは、この場合考えないこととする。
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