第25話

「……でも、何を言われるか分かんないよ。興味がない人たちにしてみたら、何でもないでしょ?」

「何でもないなら、無関心でちょうどいいじゃん」

「……そうかな?」


 どうしたって過去の感情が邪魔をするのか。汐里はもやもやとしている。まぁ、俺自身、安っぽい慰めを口にしている自覚もあった。こんなもので感情が解れるのなら、悩んですらいないだろう。無力感に苛まれる。


「そうだよ。それに、甘楽はそこまで性格悪くない」

「それは、そう、だね」


 特定の人物。その点では、汐里にも納得の猶予があるらしい。甘楽の印象が悪くなくてよかった。


「まぁ、ちょっと……好奇心が強過ぎて、ガンガンに攻めてくることはあるけど」

「……大丈夫なの? それは?」

「仲良くしているっての黙ってくれてるから平気だろ?」

「まぁ、確かに」


 実例があってよかった。そうでなければ、甘楽の行動力を諌められると伝えることは叶わなかったはずだ。

 俺だって、実例がなければ正直信じられない。散々っぱら絡まれた経験のほうが記憶に焼きついている。あの勢いを思えば、早晩バレるのでは? と心配するものだ。道すがらの対応も厳しくなっていただろう。甘楽には悪いが、優先順位は確実にあった。

 特に、今は汐里が第一だ。憔悴している想い人を放っておける男がいるだろうか。


「それに、もし嫌な評価をされたとしても、汐里には高評価をしてくれるファンがいるだろ?」

「……うん」


 響いていないことがもどかしい。うまく言えない自分が不甲斐ない。いい評価よりも、悪い評価のほうが印象に残る。そういうものだ。そんなときに転がっている無関心ほど役に立たないものはない。どうすれば、汐里を元気づけられるのか分からなかった。

 もどかしさに髪の毛を掻き乱してしまう。その仕草を目にした汐里は瞼を伏せてしまった。打ちそうになった舌打ちを口内に留める。


「分かってるよ。分かってるんだよ、蛍君」


 そう答えるように急かしたようで、自分の愚物っぷりに腹が立った。


「分かってるよ、汐里」


 汐里が分かっているのなんて分かっている。分かっていて、それを塗り固めるにも足りない励ましができないことが悔しい。


「うん」

「なぁ」

「ん?」

「俺が、何度だって、何百回だって、何億回だって、嫌なこと言われた分以上に、もっともっと褒めるから。大事だって大切だって、……好きだって、言うから、楽しそうに企画していた趣味のものをなくそうだなんて言うなよ」


 手立てがなかった。愚直なこと以外に、何も持っていない。

 縋るように伝えるしかなかった。こんなものが何の役に立つのか。俺の称賛で生きていけるのなら、汐里はあまりにも低燃費で、そんな都合のいいことがあるわけがない。分かっている。分かっていたって、自分にできることを打ち明ける以外のカードは持っていない。

 好きだ、という声は震えてしまいそうで、ぐっと喉を詰めて俯いた。汐里を見ていられなかったのだ。


「……ありがとう」


 しんと静まり返った教室に、一粒の雫が垂れたようだった。それはじわじわと広がって、心までに染み入ってくる。

 感謝だ。それを噛み締めて、ようやく顔を上げられた。こちらを見ていた汐里は、へにゃりと笑顔を浮かべている。思わず、目を擦ってしまった。


「蛍君からパワーがもらえるなら、少しは頑張れるよ」

「俺が、できることなら、なんだってする」

「それ、言っちゃダメなんじゃなかった?」

「いいんだよ。汐里のためなら、何だってするよ」


 強く言い切る。汐里は困った顔になったが、表情が動くだけでもずっといい。そして、その顔がしかと目視できていることの安堵は計り知れなかった。


「……趣味を否定したくない」

「うん」

「蛍君と一緒に楽しめるようになった大事なものだもん」


 心臓が掴まれる。

 趣味の中に、自分が介入できているなんて、感無量だった。ずっと、俺がそうだったのだ。ヌルさんとしてではあったけれど、俺の手帳や文房具の趣味にはずっと動画の存在があった。

 汐里の存在が欠かせなくなった。

 それを同じだと言ってくれる。これほど嬉しいことがあるだろうか。励ますターンで、どうしてこちらが歓喜を促されているのか。気持ちを軽くしてやりたいのはこちらだというのに。


「汐里が大事にしてくれたら、俺も嬉しい」

「うん」

「だから、きっと大丈夫だ。何があったって、俺は絶対に汐里の味方だから。だから、趣味は楽しんでいてくれよ。俺にプレゼントしてくれたみたいに、堂々としててくれ」

「プレゼントしてあげてるとか、そういうつもりはなかったよ?」

「それでも、俺なら受け取ってくれるって分かってただろ? 自分の作ったものに少しは自信、持ててたんじゃないの?」


 自分でも気がついていなかったのか。汐里は小さく目を見開いている。そりゃ、自信満々じゃなかったのかもしれない。自製の品であることに特別性を抱いていなかったくらいだ。

 俺がどれだけ感動したのか。さっぱり気がついていなかっただろう。自信だとかそういうものとは違う。趣味を共有できる友達への動きでしかなかったのだろう。でも、それは自分のものを受け止めきれていなければ、踏み切れるものではない。

 必ずしもそうではないかもしれないが、多分、汐里はそうだ。少しの自信もなければ、自分の手の届くところに隠してしまっているだろう。たった数ヶ月の付き合いの俺ですら、その予測ができた。

 汐里にしてみれば自分のことだ。促せば、理解が広がっていったのか。すっと姿勢がよくなった。


「蛍君のおかげだよ」

「力になれてるなら嬉しいよ」

「本当にありがとう」

「どういたしまして」


 これくらい、どうということはなかった。というよりも、俺は自分のファン心に従って動いているだけに過ぎない。これだけでいいなんて、やはり低燃費と言わざるを得なかった。

 お礼をくれるのは、素直に嬉しいけれど。


「自信を持って対処できるかは分からないけど、落ち着くね」

「ああ。大丈夫か?」

「蛍君のおかげで」


 繰り返される言葉に、ようやっと肩の荷が下りる。ふっと笑いが零れると、汐里も笑みを浮かべてくれた。

 一切の憂いなく、ということではないだろう。自分がそれほどのパワーを持っている自信はない。だが、こうして成果が目に見える形で手に入ると、胸のつかえが下りた。

 汐里には笑顔でいて欲しい。単純な願いだ。


「俺だって、この趣味を楽しめているのは汐里のおかげだから、お互い様だな」

「ふふっ、そっか」


 こちらばかりが上げられていることを気にして、バランスを取ろうとしていることが気取られているのか。クスクスと笑いが弾ける。余裕を持てたことは何よりだった。

 その眩しさに目を細める。汐里は不思議そうに首を傾げた。長い黒髪がさらりと揺れる。起き上がっているからこそ見られる動きに、ほっとした。


「……元気、出た?」


 聞くのは野暮ではないか。そう思わないでもなかった。けれど、表面的な部分だけで理解した気にはなりたくない。

 それに、ここで感情を見逃したくはなかった。聞いたところで本音が語られると決まっているわけではないけれど。けれど、汐里がわけもなく誤魔化すとも思えない。少なくとも、俺のおかげだと笑ってくれる汐里が、それを選択する道は限りなく低いはずだ。

 だから、腹の底からの本音でないにしても、汐里の口からきちんと聞いておきたかった。


「うん。後でちゃんと甘楽さんとも話さなくちゃね」

「ついてく?」

「ううん。大丈夫」


 本当に? と目線で窺ってしまったのは、ここまでの狼狽っぷりを知っているからだ。汐里は眉尻を下げながらも頷く。


「話すだけだから。でも、もしへこむことがあったら、励ましてくれる?」

「いくらだって褒めるって言っただろ?」


 億回なんて現実味のない言葉を使ったのは大袈裟だと処理されているのだろう。だが、汐里が本気で求めてくれるなら、俺は実行に移せるくらい無敵な気持ちでいた。


「じゃあ、平気。頑張ってくるから、待っててくれる?」

「ここで待ってるよ」

「放課後ね? 次からは授業に戻らなくちゃ」

「あー……」


 一限中に戻ろうと言い出さないだけ、汐里にしては譲歩なのだろう。しかし、こうしてサボってしまうと、戻るのが憂鬱になった。

 汐里が身体を起こしたのと入れ替わるように、だらっと姿勢を崩す。頭上から呆れた目線が突き刺さっていた。それに反応する気はない。

 そうして、戻ることへの抗議のようにじっとしていると、髪の毛のてっぺんを柔らかく触れる手がある。驚いて顔だけを持ち上げた。

 汐里の手がふわふわと俺の髪を弄っている。その光景は、どこか夢のように思えた。自分からなら、何度かやっている。そのくせ、向こうにされるとむず痒さが先んじて、どうしたらいいか分からなくなった。

 汐里は手遊びのつもりなのか。触る手を止めることなく、時計を見上げている。それほど手触りがいいものではないだろうに。

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