第24話
「……あのね」
ただ、滑りは悪い。出だしから次を紡ぐまでに、いくらかの時間を要した。
「馬鹿にされたことがあるの」
一拍を置いて意味が脳内に染み渡り、短気な怒りが湧く。どこに馬鹿にする要素が、と面倒なファンのような反論だ。どこにぶつけていいか分からないし、汐里に当たってもしょうがない。
アンガーマネジメントってわけでもないが、一呼吸を置いた。汐里は俺の葛藤など気がつかずに、そろりと事情を解説していく。
「まだ動画を上げたりするよりずっと前だよ」
「あ、うん」
心情が透けていたらしいと気がついて、慌てて相槌を打った。人の心情を慮る余裕が戻ってきたのはいいが、据わりがよくない。
「中学のときに、クラスの子に手作りしてるアクセサリーが見つかったの。三つ葉のチャームみたいなやつ。プラ板で作ったやつで、まだまだ拙かったけど、自分では気に入ってたの」
連ねていく表情はよろしくなかった。つらい思い出であるのなら、とは思うが、口にしてくれるのならば吐き出してしまえばいいと思い直す。
「でもね、ダサいって、安っぽいって言われて、大袈裟だけど、とっても嫌だったし、傷ついたし、悲しかった」
「大袈裟なんて思わないよ」
趣味の品への反応は、他人にしてみれば大袈裟なものと判断されることもあるだろう。だが、作ったものにすれば大切だろうし、真面目なものだ。俺の趣味だって、遊びではあるが本気でもある。趣味活動とはそういうもので、貶められれば傷つきもする。
否定した俺に、汐里は侘しそうに笑った。
「ありがとう。そう言ってくれるだけでも、慰められるよ」
「慰めだけで口にしてないからな」
「分かってるよ」
その信頼が育まれていることがくすぐったい。だが、念押ししておきたいくらいには本気だ。適当なことを言うつもりはなかった。
「でも、そのとき、私を慰めてくれる人はいなかったし、寂しかった」
「うん」
「それでね、だから、直接評価されるのはとっても怖い。その子たちは悪気なかったんだと思うし、その後もわざわざあげつらったりするようなこともなかったけど、でもやっぱり趣味だって胸を張れなくなっちゃった」
悲しいことだ。目を眇めてしまう。汐里は頬を腕に預けて、横を向いた。こちらを見ないのは、強がりだろうか。
「それでね、匿名なら、いいかなって思ったの。もっと色々言われるかもしれないとも思ったけど、でも、匿名ならあんまり気にならなかった」
「ごめん」
ぽろりと零してしまった謝罪は、あまりにも出し抜けだっただろう。自分でも驚いたくらいだ。
汐里が腕から顔を上げてこちらを見た。それでも、背中は丸まったままだったが。
「何が? どうして?」
焦ったように首を傾げられて、こちらまで焦る。突発性というのはこれほど焦燥に駆られるものか。
「暴いて、ごめん」
「蛍君のせいじゃないでしょ……?」
「今回のことじゃないよ」
直前のことに目が向いているのだろう。俺がやったことだって、甘楽がしたことと大差ない。匿名なら、と繰り返されて、その重要性が骨身に染みた。自分が大罪を犯したであろうことも。
「もう気にしてないよ」
「もう、だろ」
「そりゃ、最初はビックリしたし、何を言われるか不安だったし、言いふらしたりしないかなって不信感もあったけど、蛍君はそういう人じゃなかったもん」
「ただ、ファンだっただけだ」
人が良いように取ってくれている。ただそれは、汐里のことを慮った行動だったのかと言われると、自信はない。
ヌルさんに迷惑をかけるのは嫌だな、というのが最初の感情だったように思う。汐里のことを考えなかったわけじゃない。身バレの恐怖に思いを巡らせて焦ったのは本当だ。
だが、ヌルさんの秘密を守らなくては、という感情のほうが大きかった。汐里のことを知らなかったのだから、どうしてもそうした幅はある。とはいえ、こうして話を聞くと、やっぱり落ち度がひどくて谷底に落っこちそうだった。
「だから、よかったんだよ。きっと」
それは今が良好だから言えることだろう。結果論の話だ。あの時点では、何がどう転がるかなんて分からなかった。汐里個人を尊重するようになるかなんて想像もできない。
「ファンだったから、蛍君は褒めてくれたし、黙っててくれたでしょ? 私も安心できた」
「……警戒心が解けたんだったら、いいけど」
汐里がいいと言うのだから、俺が捕らわれることではないのだろう。腑に落ちているのかと言われると、強引さは否めないが。
「だからね、蛍君に言われたときはビックリして一晩中ハラハラしてたけど、でも話してからは安心してたの。でも、今日のはまたちょっと違うでしょ?」
「そうか?」
当事者としては、安易に頷けなかった。汐里を恐怖させてしまった、という点では何も変わらない。しかし、汐里はそれを退けるように深く頷いた。
「蛍君のときは、ぽろっと零れたって感じだった。私に詰め寄って確認しようとしたわけじゃなかったでしょ?」
「もちろん」
自分でもやってしまった、と思ったのだから、よく覚えている。投稿者のプライベートを探るのは御法度だ。特定するなんて考えはなかった。
強く頷いた俺に、汐里もそうでしょうとばかりに頷き返してくれる。
「でも、さっきの甘楽さんのは違うでしょ?」
多少は、思うところがあるのか。違うと断言することに、気まずげな顔をした。けれど、確固とした口調で言い切る。その強さに同調したわけではない。ただ、言っていることには納得できた。
「なるほど」
と口の中で転がすように呟く。
「だから、とっても怖い。どうしよう。もう広まっちゃったかな? 動画、消しても」
「待ってくれ」
会話が成立していたし、理性的に聞こえていた。だから、動揺も収まったのだろう。そう思っていた。だが、ちっとも落ち着いていなかったことに気がつく。
そんなやけくそになってもらっては困る。慌ててストップをかけると、汐里はしょぼんと眉を下げた。
見られることすらも恐ろしいのだろうか。そう思いこそすれ、消すという意見には同意できない。俺はヌルさんのファンなのだ。
「消すのはやめてくれよ」
「でも、」
「ごめん。無茶を言っているのを分かってるよ。怖い思いをさせるってのも。でも、俺はヌルさんの動画が好きなんだ。アップされてるものを何度も見返してる。俺の楽しみなんだ。奪わないでくれよ」
「……そんなに?」
ヌルさんのことを取り沙汰すると、汐里は照れる。俺だって直接的に気持ちを伝えるのは照れくさい。そんなものだから、今までここまで正式に熱中していることを伝えたことはなかった。節々から漏れ出ていたような気もしているが。
汐里は目を真ん丸に見開く。心なしか、背筋が起き上がってきていた。だからって油断できないことはたった今判明したが、それでも目に見える姿勢の印象というのは強い。
「そんなにだよ」
「……じゃあ、非表示は?」
「意味ないじゃん」
「URLから飛べるようにするから。限定公開にしておく」
「……好待遇過ぎでは?」
自分から消さないで欲しいとけしかけておいて言うものじゃないだろう。だが、それは一人のファンにするには夢のような対応だ。ころっと零してしまっても仕方がないだろう。
「消しちゃダメなんでしょ?」
うるっと瞳が揺れた。相当動揺しているな、と言うことに気がつく。
「落ち着いて」
「落ち着いてるよ」
「落ち着いてないよ、まだ。自分の大事な作品を取り扱ってる動画だろ?」
「……そうかもしれないけど、自分を特定されないことのほうが大事だもん」
「……俺だけじゃなくて、他にも動画を楽しみにしてくれる人はいるだろ?」
汐里のチャンネルはとても盛り上がっている話題のチャンネルってわけではない。投稿主として食っている人たちからすれば、底辺と呼ばれるほどの細々としたチャンネルだった。
けれど、毎回ひとつふたつはコメントがつくし、SNSでの発信にもリプがつく。それくらい熱心な視聴者が多少なりともいるのだ。
「……荒らされたら、その人たちだって嫌な気持ちになるよ」
「そこまで短絡的なやつはいないと思うけど」
「でも、空気変だったじゃん」
「あれは俺とのこともあったと思う」
「ほんと?」
俺も咄嗟には、すべてが汐里のことを知ったものかもしれないと思った。だが、それにしたって回るのが早すぎるし、どこから出回ったのかも分からない。甘楽が動画のことだけを確認するために、あんな手段を用いるかどうかも怪しかった。
そして、決定打は俺が退室する際に交わされていた、喧嘩? といい囁きだ。
確かに、汐里は俺を押しのけるように駆け出している。そこだけを切り取って掲げているのかもしれない。だが、俺たちはそうしてすれ違うほど仲が良いことを周囲に悟られていなかった。
甘楽は例外であるが、他の生徒には本当にバレていなかったのだ。クラスメイトの領分を越えることはなかった。
だから、あの言葉が出てくる時点で、何か俺とのことが噂になっている。汐里が出て行った後も、俺の周りの視線が消えなかったこともその証左だろう。
ある意味で言えば、楽観的なのかもしれない。汐里のことではないと認めようとしていないだけなのかもしれない。ただ、こればかりはそれなりに自信がある。
頷いてやると、汐里は脱力任せに再び腕と顔が仲良しになる。いつも姿勢のいい汐里がこうも長い間崩れているのだから、その心情は察するにあまりあった。やはり、ちっとも冷静でないようだ。
もう取り違えないように、俺は訝しむくらいの慎重さで汐里の状態を見極める。
「だから、それほど神経質にならなくてもいいと思う。それに、汐里のものは素敵だよ」
重要なのは、後半部分だ。起こってしまったを取り消すことはできない。だから、前向きになれるように。大きなお世話だろうし、簡単に割り切れるものでもないだろう。そう分かっていても、励まさずにはいられない。
何より、自分が認めているものだ。大丈夫だと太鼓判を押しても押しても足りないほど、褒め倒してやりたい。
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