第21話
何を言おうとしたのか。薄く開いた汐里の口からは、一音が零れただけだ。そして、そこに横たわった間を埋めるかのように、外側から予期せぬ言葉が詰め込まれる。
「香具?」
ぎくりと身が強ばった。目だけが発生源を撫でて、そこに立つ南野の姿を目視する。汐里の後ろ側に立っている南野は、まだ汐里を汐里だと認識していない。そっと身体を入れ替えて、二人の間に入ったのは無意識だった。
「何だよ、デートか?」
「……南野こそ、デートか?」
「俺は友達と遊びに来ただけだよ。何をそんなに威嚇してんの。別に取ったりしないけど?」
「……モテるんだろ?」
「なんだ、嫉妬か? 浮気とか奪略愛とかに興味はねぇよ」
「それはいい趣味だな」
「常識を確認されなきゃいけないと思われているのは心外だな」
すくっと肩を上下させるのが、やけにさまになる。さすがにそんなに軽率だとは思っていない。ただ、汐里から意識を逸らしておきたかっただけだ。そのためには、大仰な言い方をするくらい、俺には何のダメージもない。
俺がこの場をこのまま収めようとしていることを、汐里も分かっているのか。背中に庇った身体は身動ぎすることなく、大人しく陰に隠れている。背中のシャツを緩く握ってくるのを大人しくと呼ぶかどうかは、この際横に置いておく。
「それで、彼女は見せてくれないのか?」
「……見なきゃいけない理由があるか?」
デート。彼女。
繰り返される関係性に肯定の返事をするには躊躇いがあった。かといって、否定して回るわけにもいかない。今それをすると、話がややこしくなるということもある。ただ、そう勘違いされることを満更でもなく思っている自分もいた。
「そんなに隠されると気になるだろ、っと」
そういえば、バスケ部だったか。それを思い出したのは、俺のディフェンスが突破された後のことだった。
肩越しに覗き込まれた背中には、汐里が縮こまっている。汐里だって、そこまで強引に覗き込まれると思っていなかったのだろう。こうなってしまったら、逃れられそうにはなかった。
南野の瞳が真ん丸に見開かれる。
「阿万野さん?」
「……どうも」
どうしようもなくなった汐里は、俺の影から出て隣に並んだ。まだシャツを握っている手のひらは離されていない。変に近いのが勘違いを加速させている気がした。
「へぇ、付き合ってたんだな」
意外そうな態度に他意はなさそうだ。
教室での俺たちは変わっていない。甘楽にはバレていたが、甘楽が分かったのは距離が近かったからだろう。心理的にも。それ以外にはバレていなかったのだ。だから、意外性があるのは分かる。
「そういうんじゃない」
「否定することないだろ。阿万野さん、可哀想だぞ」
「いや」
南野の指摘は、とてもまともだ。彼氏の思想として、何も間違っていなかった。ただ、前提が違うのだから、汐里が可哀想ということはない。
「ふーん。お似合いじゃん」
「あ、ああ」
どもった相槌は流されただけに過ぎなかった。だが、肯定してしまった自我に炙られる。耳が熱かった。
「はー、熱々なんだな」
何でそんな言い方をされるのか。そんな姿を見せた覚えもない。よく分かっていなかったが、南野の視線を追って真実にぶち当たった。
そこには耳を赤くした汐里がいる。恐らく、俺だって同じような状態だ。お似合いと言われて、二人揃って赤くなる。そりゃ、南野のような感想が出てきてもおかしくはない。
そうした振る舞いを考えなくしてしまったことで、更に火がくべられる。ふつふつと湧き上がる感情を捻じ伏せることは難しくて、思わず額を押さえてしまった。
汐里もすっかり俯いてしまって、その毛先を指先で弄って気を落ち着けようとしている。恥ずかしがる癖を目視してしまったら、余計に胸がざわめいた。
「悪い悪い。でも、へぇ。香具はそういう子が好みだったんだな」
「……放っておいてくれ」
「甘楽と仲良いし、ああいう子が好みなんだと思ってたのに」
「甘楽は関係ないだろ」
「あー、阿万野さんに勘違いされちゃ困るな……って、席近いし、知ってるか。しかし、本当に全然分かんなかったなぁ。いつの間に?」
「別に」
「なんだよ、反応鈍いなぁ。阿万野さんのどこがよかったの?」
「いいだろ、どこでも」
「言えない? 言いたくない?」
テンション上がってんな。それを察する力くらいはあった。あったが、絡まれている身でそれを許容できるほど器はでかくない。
何より、汐里にいたたまれない思いをさせているのがバツが悪かった。南野とは別段友達というわけではないけど、南野に気付かれてしまったのは俺だ。
「南野に言う義理はないってだけ」
「じゃあ、二人だけのときはイチャイチャしてるわけだ。さっきもベタベタしてたもんな。イチャついてるカップルがいるなぁと思ってたら、お前だったし」
「ベタベタって……」
「頬触りながら喋ってただろ。一瞬、キスしてんのかと思った」
「キッ」
俺も言葉を失ったが、汐里はもはや絶句だった。俯いているので表情は分からないが、泣きそうな顔になっていそうなのは想像できる。首筋まで真っ赤だ。俯いているものだから、うなじまで赤くなっていて目の毒だった。
つっと目を逸らすと同時に、再び汐里を匿うように一歩前に出る。
「するわけねぇだろ。もう、いいから。友達が待ってんじゃないのか」
「ああ、それなら大丈夫。待ち合わせこっちだし、みんなこっちに来るからさ」
ひくりと頬が引きつった。
来なくていいんだが? と、口に出そうになるのをどうにか飲み込む。ここまでも釣れない態度を取ってはいただろうが、直接言うのに問題があるくらいの理性はあった。たとえ、どんなに遠慮したい状況であろうとも、だ。
「そっか。じゃあ、俺たちはそろそろ……」
「南野ー」
「あ、香具君じゃん」
二人の男子はクラスメイトの
こちらへ近付いてくるクラスメイトの影を見ながら、
「行くわ」
と南野へ断りを入れて、汐里の肩を押す。
「なんだよ。デートじゃないなら、合流するのもよくない?」
こいつの押し引きのタイミングはおかしい。デートじゃないと信じてくれるなら、もっと早く切り上げてくれればよかったものを。というか、これだけからかい倒した後に意見を切り替えられる意味が分からなかった。
「……遠慮しとくよ」
南野の整った眉が持ち上がる。やっぱり、と言う感想まがいであることが透けている。それを読み取る勘は冴え渡っていたが、考慮して動く余裕はなかった。
ぐだぐだしていれば、傷口が広がるのは分かりきっている。刻一刻と近付いてくる嵯峨山と和泉の足音が、そのカウントダウンだ。
そして、汐里が使いものにならないことも分かっている。ここで矢面に立たせるつもりはなかった。勇敢でなくても、張る見栄の持ち合わせくらいはある。
俺は汐里の手を取って握り締めた。汐里の瞳がこちらを見る。南野の眼力も感じていたが、そちらは視界の隅っこだった。
ごめん、とこの場だけのやりざまであることが通じるように、汐里と目を合わせる。アイコンタクトはどうにか通じたのか。それとも、ただの反射を俺が都合よく解釈したのか。とにかく、手が握り返されたのを合図にして、その手を引く。
「デートだから放っておいてくれよ、南野。秘密な」
守ってくれるかなんて誓いを立ててもらっている場合じゃない。一方的に言いつけて、俺と汐里はその場から撤退した。
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