第17話
「う~かわいい~~!」
呻くように漏らした甘楽が机に突っ伏して足をじたばたさせる。情緒ブチ壊れてエラーでも吐き出したのか。
汐里は小口を開けて、甘楽を見下ろしていた。分かる。俺も同じ気持ちだ。唖然としている汐里が可愛いというのも甘楽に同意だが。
こちらも見下ろすと、甘楽がぐわっとゾンビのように起き上がってきた。唖然としている汐里をよそに、俺のほうへと乗り出してくる。勢いのよさに思いっきり上半身を逃がしてしまい、背もたれに体重がかかった。がたりと椅子の脚が揺れる。
「この子は守らなきゃダメだよ! 変なこと教えちゃいけないんだからね!?」
「お、おう」
何度だって思ったことをぶつけられて、顎を引く以外の道がない。勢いには慄いているが、感情は重なっている。
汐里はますます呆然として俺と甘楽を見ていた。握っていたはずの主導権を一瞬で奪われたこともだろうが、意味不明な主張に俺が即座に頷いたことも混乱に拍車をかけているのだろう。
「ちゃんとしなきゃ私がもらっちゃうからね!」
「何の話してんだよ!?」
トップスピードで駆け抜ける甘楽に振り落とされそうになる。というか、この場合振り落とされてしまったほうが楽な気がしてきた。
「こんなキュートなの? 無垢過ぎない? そりゃ、蛍ちゃんなんてあっという間にほだされるよね」
「おい。ほだされるってなんだ。俺はちゃんと自分の意思で仲良くしとるわ」
うんうん一人で納得する甘楽に眉を顰める。
概ね、流されるままにここまできたような気もするが、汐里と関わっていたいのは汐里から持ちかけられたからってだけじゃない。それこそ、ヌルさんだからっていうのも違う。汐里が汐里だから、自分から付き合っているのだ。
「特別視するのも当然ってこと!」
どうやら、甘楽の中では俺の行動に勝手に道筋がついているようだった。それ自体はありがたいので、余計なことを言いたくはない。言いたくはないが、突っ込みどころは山のようにあった。
確かに、特別視はしているし、それは否定しない。しないけれど、さも当然に言われると反駁したくなるし、何も本人の前で言うことはないだろうと頭を抱える。呆然としている汐里の視線が不安定にこちらに向くのを視界に留めていたが、答えている心の余裕はない。
耳が燃えそうだった。
「あ、わ、わた、わたし、あのっ」
我が意を得た甘楽を前にして、上擦った声が意見を試みようとしていたが、とても音になっていなかった。
特別視なんて分かっていたのではないか。俺が熱心に応援していると知っているはずだ。結びついていなかったのか。聞いたことがないほど上擦った声は高く震えていた。
「蛍ちゃんに何か嫌なことされたら私に言うんだよ、阿万野さん!」
「え、あの? は、い?」
ただでさえ言語野に支障をきたしていた汐里は、もう何に返事しているのか分かっていないのではないか。そもそも、甘楽は俺のことを獣か何かと思っているのか。
そこじゃないな、と思いつつも、展開についていくだけで精いっぱいだったし、声に出すことはできなかった。
「でも、仲良しなのはいいことなのに何で二人とも秘密にしてるの?」
頓珍漢な理論から、急転直下に現実的な疑問に戻ってこられる。落差に気分が悪くなりそうだった。胃の中がミックスされて、吐き気がする。
秘密にしなければならない理由は、俺の口からは絶対に明かすことはできない。そして、できれば汐里にも明かしてほしくはなかった。それはヌルさんのことを自分だけが知っていればいいなんて、ファンらしからぬ独占欲じゃない。
どちらかといえば、汐里の秘密を他人に明け渡して欲しくない。友人としての嫉妬心だった。特別視、と言われた言葉が、実直さを伴って身を襲う。想像以上の実態に、熱いだけだった身体が爆発しそうになってきた。
挙げ句の果てに
「恥ずかしいからっ」
などと、汐里が口走るものだから、むず痒さが増幅させられる。今すぐここから逃げ出してしまいたい。
「???」
とてつもなく感覚的な話でしかないだろう。甘楽は理解不能とばかり首を傾げた。クエスチョンが頭上に浮かんでいそうだ。
「蛍君は、目立つし、私はあんまりだから、なんだか気恥ずかしくって、だから」
恐らく、汐里も感情の正体を掴みきれていない。その中から、ひとまず上辺にあるものを取り出しているようだった。何故だか、俺はそれを掴んでいる。分からない、ということだけが共通認識として繋がっているような気がした。羞恥心も共有していたかもしれない。
「だから、そっとしていたい、っていうか、そういうので……ご、めん」
最終的に謝罪にたどり着いた理屈は分からないが、気持ちは分かる。
とにかく理由をはしょってしまいたいのだ。すべてを詳らかにするには、感情がごちゃついてしまっている。仲の良さを外側からぐいぐいと押されて特別視を強調されたら、意識が絡み合って入り乱れた。それは汐里も同じだろう。
「ううん。謝らないで! ヒメこそずけずけ邪魔してごめんね」
そこまで鷹揚になれたきっかけはさっぱり分からなかった。色んなことがあり過ぎて、心当たりを探す余裕がないのかもしれない。甘楽はしつこかった過去を流し去って、さらさらと身を引くような言葉を使った。
こうも簡単に行くのであれば、もっと早く汐里と引き合わせていればよかったのでは? 自分本位な感情が芽生えるが、乱されているのも事実なのでプラマイマイナスくらいの心の疲弊があった。
「これからも友達として仲良くやっていきなよ! うんうん」
何の納得なんだ。掘り返したい気持ちも多大にあった。だが、その穴は墓穴というものだ。掘り返したことでいいことはひとつもない。
「う、うん?」
「大事な友達なんでしょ?」
友達を連呼されていたと気がついたのは、すべてが終わった後のことだった。
威圧的とも言える精力で、俺と汐里の間を顔ごと行き来させる。圧力に負けるかのように、お互いに何度も頷くことしかできない。それを確認した甘楽は、うんうんと頷き返してくる。深い納得を飲み下しているかのようだった。
「だから、友達として仲良くしてね。応援してるし、邪魔しないからね」
「あ、ああ?」
「じゃあ、私はこれで帰るね。今日は邪魔してごめんね。友達として勉強会頑張ってね」
何の催眠なのか。胡散臭いほどに繰り返される友達という文言に気がつないほどに、勢いに飲まれていた。甘楽の独壇場だ。
勉強したくないだけじゃねぇのか。茶化すような突っ込みすら、うまく言葉にできないほどだった。
甘楽はこちらをぶんぶん振り回してボロボロにしていることに気がついていないのか。言葉通りにさくさくと帰り支度を始めてしまった。その手早さは、勉強などやりたくなかっただけではなかろうかと思えるものだ。
そのまま、俺たちがフリーズから立ち上がるよりも先に身支度を調えた甘楽は、がたがたと机を元に戻してすっきりとした顔でこちらを見る。元気なことは何より、と考えていたのは現実逃避だった。
「じゃあね」
最後にひらりと手を振った甘楽は、軽やかな足取りで去って行く。残された焦土に興味はないらしい。それは願ったり叶ったりだったが、非常に大きなダメージを負った気がする。
おかげさまで、再起動が叶って最初に取った行動は机に突っ伏すというものだった。机を鳴らした音で我に返ったのか。汐里のほうからも、身動ぎする音がする。
「……バイタリティに溢れた人だね」
「……嵐みたいだったな」
「蛍君」
「なんだよ」
「特別だったの?」
その声はいつもよりもずっと潜められていて、鼓膜を優しく撫でるようだった。
流して欲しいところだが、色んなことが心に引っかかってしまっているのはこちらも同じだ。確かめて消化したい気持ちはよく分かる。
「……そりゃ、そうじゃん」
「そ、っか」
返ってきたのは相槌のみで、それだけでは感情が読めない。元からそんな能力はないにも等しいが、伏せているせいで情報の欠落が甚だしかった。
その状況を改善するために顔を上げると、汐里は赤く染めた頬を隠すように手で覆っている。俺はまたすぐに机と仲良くなった。
「も、もういいだろ。これ」
「そうだね。友達だもんね」
「おう。そうだよ。大事な友達だよ」
直前に甘楽が繰り返していたことが耳に残っていたのだろう。お互いに何度も繰り返して、感情を収めようとしていた。
それは甘楽が繰り返した暗示と何が違ったのか。そのとき、触れようとしなかったものの存在を認めていたのは、はたしてどちらが先だったのか。
そんなことにちらとも気がつかない俺たちは、甘楽の勢いに取り憑かれたように友達であることを繰り返す無駄な時間を過ごした。
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