第15話

「ない」

「じゃあ、狙ってるの?」

「何でだよ」


 汐里は美人だと騒がれている女子ではなかった。でも、そのおしとやかさは可愛くて、一度気付かれれば人気が出てもおかしくはない。だから、狙っているという発想が出てくるのも分からんでもないのだが、甘楽が頑なにそれを疑っている理由が分からなかった。

 そりゃ、俺が汐里だけを特別優先しているっていうのなら分かる。……実際問題、特別視はしているかもしれないが、今は教室でのやり取りを取り沙汰しているから横に置いた。

 教室で仲がよいのは、甘楽のほうがよっぽどだ。何を持って俺が汐里を狙っていると思っているのか。甚だ疑問だった。


「なんていうか、距離の取り方が?」

「はぁ?」


 半端な距離をよしとするのは、消極的ではないだろうか。とても、恋愛しようって距離感ではない。教室で必要以上に馴れ馴れしい態度を取らないように気をつけている。距離感は近くもなく遠くもない。玉虫色を絵に描いたようなもののはずだ。


「だって、友達でいいみたいなラフさもないし、かといって全力投球するには様子見? みたいな。少しずつ仲良くなってる感じあるし。苦手な勉強頑張ろうってわざわざ時間合わせて阿万野さんに教わってるんでしょ?」


 存外、勘だけで物申していたわけじゃないらしい。こうして解説を受けると、距離を縮めようと健気に恋する男という感じもする。実際にそんなつもりはないので、とんだ言いがかりなのだが。


「……そんなつもりもないけど」

「えー、絶対勘違いしてる人、他にもいると思うけどなぁ」


 甘楽は否定を受けてもなお食い下がってくる。本当に勘弁して欲しい。そんなに恋バナが楽しいのか。


「ほっとけよ」

「じゃあ、私も勉強会に参加したいって言ったらOKする?」


 それで俺の感情が試せているのかは謎だ。

 だが、それで甘楽の気が済むのならば、応じる手はある。特別棟への移動を抜きにして、教室で演じればいいだけだ。勉強会ならば、ヌルさんの件に触れられることもない。いい加減、甘楽の目をぼかしておきたいところだった。

 その辟易がぽろりと零れ落ちる。


「阿万野がいいなら」

「言ったからね? 後でダメだっていっても聞かないんだから」

「俺から言うことはないよ」


 そう言うと、甘楽はひどく満足げに笑った。

 ここまでご丁寧に解説されれば、仮に俺が汐里を狙っていたとしても、甘楽の申し出を断ることはしなかっただろう。そうして誤魔化す。付き合っていたとしても、言うつもりがないのが互いの意見であるのならば、協力し合うはずだ。

 そして、俺と汐里に色っぽい話はないが、協力制度は的確に作り上げられていた。

 甘楽が意気揚々と離脱していったと同時に、汐里に連絡を入れておく。甘楽が勉強会に参加したいということ。許可取りに行くだろうから、OKするなら教室でいつものようにしようということ。

 是非の指定はしなかった。そこは汐里の判断に任せる。俺が甘楽の様子にぐちぐちと言っていたのを知っている。答えは聞くまでもなく分かっているようなものだった。




 前と横だ。集まろうとするまでもなく、居残っているだけで勉強会のメンバーは勢揃いした。

 やはり、汐里は断らなかったらしい。そして、甘楽も宣言通り引くつもりはないらしい。そして、俺だって前言を撤回するつもりはない。そんなわけで、さまざまな思惑が走っているであろう勉強会が開催されている。

 汐里は机を移動させて俺の机とくっつけて、甘楽は誕生日席のように側面に机をくっつけた。三人で班を作るとなるとこうなるのは想像できるが、自習でここまで近付く必要があるのかは分からない。

 ……特別棟でも前後で机をくっつけているので、その利便性はよく分かっているが。


「いつもこんな感じなの?」

「勉強するだけだからな」

「味気ないなぁ」

「そのくらいじゃないと勉強しないだろ」

「蛍ちゃんと一緒にしないでよ」

「悪いな。反応を見てる限りそうとしか思えなかったもんで」

「失礼しちゃう! ひどいと思わない? 阿万野さん」


 勉強のために着々と文房具を広げていた汐里が、びくりと甘楽を見やる。

 甘楽が話しかけているところも見たことがないが、汐里が甘楽に接するところなんておおよそ想像がつかない。現実に会話しているところを見ているにもかかわらず、だ。タイプが違うよなと悪気なく思う。


「急に振るなよ、阿万野が困ってるだろ」

「なになに? 阿万野さんのこと分かってるアピール?」


 何を目的としたアピールなのか分からないし、それをする理由もない。だいたい、これくらいで汐里を知っているなどとは、鼻で笑う。他の人は絶対に知らない秘密を知っているのだから、この程度をアピールにする理由はどこまでいってもなかった。


「甘楽のそういう態度にビビるのが分かるムーブ」

「それはそれで問題があるんだけど」

「ごちゃごちゃ言わずに勉強しろよ」


 自分の口から出てくる文言として違和感が凄まじい。甘楽も意外性を覚えたようだが、汐里までも胡乱な目をした。日頃、勉強するように促されているのは俺のほうだ。お前が言うな、ということか。

 甘楽は不審な目をしながらも、筆記用具を並べていく。のろのろとした動きは時間稼ぎだろう。本当に俺と汐里のことを看破するためだけに参入してきただけらしい。

 後から取り出し始めた俺が追いつくのだから、その緩慢さは折り紙つきだった。そうして、準備を終えた後も、集中力は冴えないらしい。しょっちゅう手は止まっているし、こちらの手元を見ている視線の気配がある。まったく進んでいないわけではない。口が動くわけでも、忙しなく姿勢を変えるわけでもない。ただただ、集中力に欠けているだけだ。

 だが、その欠けた時間が回ってくる周期が早い。俺だって、それほど力があるわけじゃないのだ。その俺ですら目に余るのだから、その欠如っぷりは度外れていた。それに釣られて、こっちまで集中力が低下していく。

 これで甘楽が勉強を投げ出して邪魔してくるというのなら、文句のひとつでもいいようがあった。だが、自分のやる気のなさを辺りへ発散する横柄さはないらしい。自ら参加を申し出た立場だ。弁えているようで、そのために声もかけづらい中途半端な態度になっていた。

 そもそも、汐里との時間に他者が介在しているというだけで、意識は分散してしまう。そのうえで、その相手の空気が落ち着かないのだ。これで平常通りに集中できるほうがどうかしている。……汐里のように。

 こういうとき、汐里の感情は表に出づらいので、本当に集中しきっているかどうかは定かではない。だが、少なくとも俺よりはずっといつも通りの集中力を発揮しているように見える。手が止まることはない。それを意識している自分の散漫さが際立つほどだ。ため息が零れ落ちそうになった。

 だが、そのタイミングを狙ったかのように、汐里の手が止まって顔が持ち上がる。ばっちりと視線が合って、驚きにため息が逆流して喉を塞いだ。

 汐里のほうは動じない。ちょうどいいとばかりにノートがこちらへ向けられる。


「……これ、どうするの?」


 差し出された数式と、途方に暮れた声はいつものものだ。見えているだけでなく、真実平常運転らしい。気をつけようと言っていたことを忘れるタイプではないだろうに、マイペースなことだ。

 とはいえ、勉強会の名目にはこれ以上ないほど適切な態度で頭が上がらない。自然体だろうけど。


「こっちの応用だよ。ここに代入する数字をまずこっちで求めればいい」


 シャーペンで問題を指しながら誘導する。苦手というだけあって、汐里は度々躓いていた。だが、吸収力はあるし、ヒントを与えれば自らの力で推進していく。

 意欲的だ。教える身としてはありたがい能動性であるし、教え甲斐もあった。今もまたしばし考えるとノートを手元に戻して数式を書き始める。

 瞳がノートと俺との間を行き来した。物言いたげなお窺いには、忍び笑いが零れる。当人は真面目に尋ねているつもりなのだろう。小動物が辺りを哨戒しているような可愛らしさがあった。


「合ってるよ。その調子で解いていけば大丈夫」


 答えれば、見るからに表情を緩める。そこからは、シャーペンの動きが速くなった。集中モードだ。苦手と言いながらも、理解ができれば立ち止まらないから優秀なのだろう。羨ましいやら、鼻が高いやら。その様子を見守りながらも、こちらも自分の教科書に戻った。

 やる気の根源は、ご褒美にある。でも、こうして目の前で頑張っている汐里だって、俺のパワーのひとつになっていた。ひいては、ヌルさんとの文具店巡り、というご褒美に結びついているだけなのかもしれないが。


「なに今の」

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