第12話
「ねぇ、蛍ちゃん」
昼休みのことだ。いつもならば即座に食堂に向かう甘楽がのんびりとした声を出す。珍しいこともあるものだ、と目線で返事をしたのが間違いだと気がついたのは、後になってのことだった。
「蛍ちゃんって、そんな可愛い感じのファイル持ってたっけ?」
赤色のネイルが指差す先のファイルは、取り立てて可愛いってわけじゃない。だが、淡い空色にクローバーが配置されている。阿万野製だった。ただ、甘楽があえて指摘するほど、ガーリーな仕上がりになっているものではない。
俺は首を傾げて場を流そうとした。
「だって、なんか黒? 紺? みたいな味気ないやつだったじゃん」
「ああ、適当にな」
家にあったやつだ。両親が使っていたものを譲り受けただけだった。隅のほうによく分からない赤いロゴみたいなものがあったのだが、甘楽はそこには気がついていなかったらしい。
そんなものでも、黒から空色への変化はすぐに分かる。見つかってしまったことに臍を噛んだ。
「どういう心境の変化?」
……なるほど。彼女からのプレゼントを疑っているわけか。そして、甘楽が疑っていることは、そこまで的を外していない。プレゼントと言えばプレゼントで、親しい間柄と言えば親しい間柄の相手からだ。
「今までが家にあるやつを使ってただけ」
「買ったの?」
「……」
思わず、口を閉じてしまった。
市販品ではない。買ったという道は、探される面倒を抱えていた。甘楽がそこまで執念深いかは定かではないが、欲しいという言葉がやってきた場合、逃げられない。
その一瞬の逡巡が、甘楽にとっては重大な意味合いを持ってしまったようだ。俺がどんな反応をしようとも、最初っから疑いの手を緩める気があったとは思えないが。
「もらったんだ?」
「甘楽は俺の何を探ってんの? 俺だってプレゼントくらいもらう友達いるけど?」
「女の子の?」
「甘楽だって女の子の友達だろ?」
「それは、まぁ?」
自分では手応えはない。甘楽の相手はのれんに腕押しが否めなかった。だが、友達と認めたことは、何やら甘楽には届くものであったらしい。心なしか当たりが弱くなった。何が効果的か分かったもんじゃないな。
ただ、生憎と探究心はゼロにはならなかったようだ。
「でも、なんかプレゼントもらうようなことあったっけ? 誕生日?」
「いや? ちょっと落とし物を届けたら感謝されたって感じ」
瞬間、甘楽の目つきが鋭くなる。証拠を握ったような力強さに、嫌な予感がした。そして、決定打が打ち込まれる。
「阿万野さん?」
確定された理由が読めない。止まった空気に、前席の背中が震えたのが分かった。そして、甘楽はそれを視界に留めている。
頬が引きつるよりも、阿万野がこちらを振り向くほうが早かった。その音に引き寄せられるように、甘楽の視線が阿万野へと向かう。
「呼んだ?」
「蛍ちゃんにプレゼントしたの?」
枕も何もない。直球にもかかわらず、阿万野は動揺を見せなかったし、怪訝を浮かべもしなかった。
それは、会話に耳を傾けていた証しだろう。前後関係で聞いているなというのも無理な話だろうから、それをどうこう言うつもりはない。しかも、自分が関わっていることだ。聞き耳を立てるのも当然だと言えた。
「大切にしてたしおりを拾ってくれたから……何かしたいって言ったんだけど、大層なものは困るからって言われてファイルにしたの」
完全な嘘でもないが、意外に口が回るらしい。
大層なものは困ると言ったのは本当だった。このファイルだって、俺にしてみれば大層なものだが、これ以上のものが出てきても怖いので、そのまま受け取っている。正直に言えば、日常使いをしたくない。ただ、使っていないのも申し訳なくて手厚く使っていた。
「ふ~ん?」
甘楽は怪訝な顔を貫き通す。徹底的に疑っているわけでもないようだが、裏があると引っかかってはいるようだった。
「……ファイルってそんなに意味深かな?」
「そんなことないけど、阿万野さんと蛍ちゃんがそんなに仲良かったなんて知らなかったから」
「でも、話はするよ? 私、交友関係狭いから、話しするだけでも貴重なんだけど……」
寂しい論には苦笑するが、説得力はあるし、触れづらい話題である。さすがの甘楽も遠慮を刺激されたようで、微苦笑になった。
「うーん。そっか。二人はそれなりに仲良くなってたんだね」
とはいえ、手のひらを返すこともない。歩み寄っているように見えて、不承不承が隠せてはいなかった。
「そりゃ、隣の甘楽と仲良くなってるんだから、前の阿万野と仲良くなったっておかしくないだろ?」
詰め寄る気でいるなら、もっと食い下がられたのかもしれない。けれど、甘楽にその瞬発力はなかったようだ。気概はありそうなので、その力がなかったことに心底安堵した。
「じゃあ、私がプレゼント渡したら、蛍ちゃんはもらってくれるの?」
「理由がないだろ?」
「なきゃダメ?」
「くれるものがあるならもらわんこともないけど、それじゃこっちが一方的だろ」
「えー」
「そんなにあれこれしてくれようとしなくても仲良くしてるんだからいいだろ? 余計なことを考えなくていいから、ご飯行けよ。食いっぱぐれるぞ」
「気を逸らそうとしてもダメなんだから! いつも仲良くしてくれるお礼を上げるから待っててよ。じゃあ、お昼行ってくる」
おいまて、何だそれは。
思わず引き止めそうになった言葉は、どうにか堰き止めた。離脱してくれようというのに、追いすがっては元の木阿弥だ。
俺は苦笑のまま教室を駆け出していく甘楽を見送った。そうして、阿万野と目線を合わせる。苦笑はそのまま苦々しさを増して、ぎこちない笑いに変わっていく。
「サンキュ」
「ううん。私のせいっていうか、ためっていうか」
「でも、昼飯、邪魔しただろ」
「いいんだよ、少しくらい。香具君こそお昼は? 香具君だって、食堂でしょ? よかったの?」
「今日はコンビニで買ってきてるから。そうじゃなきゃ、大変だったな」
奇遇な運に肩を竦めた。阿万野も大変さを想像したのか。表情がくすんだ。
「まぁ、大丈夫だったからいいよ。今後は気をつける」
「過剰にならないようにね」
「そういうもん?」
「そうだと思うけど……でも、こういう雑談も気をつけたほうがいい、に入るのかな?」
「普通のつもりなんだけどなぁ」
「香具君、目立つんだもん」
「……見た目だけだろ」
「まぁ、そうだけどね。甘楽さんには、お隣さん以上には目に付いてるみたいだし」
「あれは甘楽が特殊なんだよ」
「仲良しなんでしょ? 失礼だよ」
「仲良しだから言えることもある」
「そういうの言われたことないなぁ」
「阿万野はまた別だろ。いいから、飯食えよ」
「同じ逃げ方」
くつくつと笑った阿万野は、逃げられていると分かりながらも反駁することなく前を向いた。そこに未練はない。やはり、たまに話すクラスメイトの域を出ているとは思えなかった。阿万野との秘密は、こうすることで守られている。
ただ、この前後が特別棟であれば、阿万野は一緒に弁当を食べてくれただろう。弁当をこちらの机に置いてくれたかもしれない。そうでなかったとしても、椅子に横座りしてこちらを見ながら雑談に興じてくれたはずだ。今は、その背を見ていることしかできない。
それが惜しいと思わないでもなかった。
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