第三章

第11話

 しおりの交換は、プリントの収集に混ぜてみたり、それこそ本当に本に挟んでみたり、落としたぞという体を保ってみたり。いつの間にか、色々な手法が編み出されていた。

 俺発信にしたそれは、お互いにバイトが入っているときを除いて、頻繁に行き来している。とはいえ、あれからすぐに中間試験を挟んだために、その間は休みを取った。

 なので、本格始動したのは六月に入ってから。それから一ヶ月が経過して、俺たちの密会の回数は二週間分ほどにはなっている。お互い別日にバイトをしていて平日五日のみとすれば、それはなかなかの頻度だった。

 実際、しおりの渡し方にも慣れ親しんで、今となっては人目を忍ぶのなんて朝飯前だ。最初のころは、俺のテンションは不安定だった。同級生と投稿者。その二つの重なりに、翻弄されていただろう。

 阿万野にしてみれば、言いがかりだろうけれど。ただ、文房具の話をすることで、どうしたってヌルさんとしての影が濃くなる。動画は字幕なので、声で語りを聞くの初めてのことだった。それでも、ヌルさんであると感じる部分は数多くある。

 それは、ふとした瞬間の言い回しだったり、好みの文房具を実際に見せてもらったりするときだ。現物を用意されてしまったら、意識せずにはいられない。いつも画面内に見ているものが、目の前にあるのだから、二つの像はぴったり一致してしまう。

 そうなると、ただのファンと成り下がってしまうことは避けられなかった。自作のアレンジ作品を持ってくるのは、阿万野が悪い。

 本来なら、目の当たりにすることのできない作品である。それを真似たのではなく、動画に使用されていたものそのまま。しかも、それを本人がこだわりポイントや気に食わないポイントを伝えてきてくれるのだ。こんな贅沢なことがあってたまるか。

 それも、阿万野は最初からそういう贅沢をぶつけてくるのだ。俺はすぐにキャパオーバーになって、しょっちゅう阿万野に心配されていた。

 そういったことを繰り返して、一ヶ月。俺もようやくヌルさんが阿万野であるという状態に折り合いがついて、認められるようになっている。

 認めるも何もないのだが、友人が投稿者という繋がりにすぐに適応できるかどうかは別問題だ。

 しかも、ただ投稿していると趣味を伝えられたのとはわけが違う。ずっと自分が視聴を続けていた。尊敬すると言ってもいい投稿主であるのだから、バランスを取るのにも時間がかかる。

 それも落ち着きを見せて、俺もバレットジャーナルを始めるまでになった。といっても、ただの黒ペン一色で書いた試しのようなものだ。飾り気のなさにテンションが下がるほどに。

 なので、今は阿万野に軽いレタリングや小技を教わっている。まさしく、冗談で言い合った先生の働きをしてくれていた。今更、それを迷惑かどうかなんて聞くことはやめている。

 阿万野は最初に楽しいと言ってくれた通り、その態度を崩さない。そこにしつこく絡むのは、みっともないだろう。だから、俺はすっかり阿万野の優しさに甘んじて、手ほどきを受けていた。

 それを自然に受け入れられるようになって、動画を見ても不自然な興奮を覚えることは少なくなっている。

 最初に密談中に次の動画の話を持ちかけられたときは、随分泡を食ったものだった。そのころはまだ、折り合いがつけられていなかったこともある。だが、まさか自分が動画に関わるような会話を交わすことになろうとは思っていなかったのだ。

 確かに、動画にあった作品の話や、手帳術については聞く。それを躊躇していては会話が成立しないのは、密談が始まってすぐに腹を括った。しかし、自分が動画に携わるとなると話は別だ。

 阿万野にしてみれば、そこまで厳重なことではないのかもしれない。どちらも同一の存在であるし、本人はそこまで歴とした線引きをしているわけではないようだった。少なくとも、他人事ではないのだから、ある種粗雑に使えてしまえる。それを俺への会話にも適用してくるとは想像し得なかったのだ。

 こればかりは、いいのかと声に出してしまった。

 言わば、視聴者に投稿前の情報を渡しているうえに、視聴者に動画の方向性を相談しているのだ。こんなもの、拗らせた視聴者なら、自分の思い通りにできてしまう万能感に酔いしれてしまいかねない。危うくないか? とまたぞろ心配が表層に現れてくる。

 阿万野はガードが緩い。クラスにいるときは、そうでもないのだ。大人しくしているから分からないというだけなのかもしれないが。だが、そのペースを乱してくるものと関わる気はないような態度である。常に一歩引いているような。

 それが、この密談になると……というよりは、ヌルさん絡みにおいて、俺の前では途端にガードが緩む。

 ヌルさんという秘密の共有が効いているのかもしれない。阿万野にとって、それは何でもという文句を使っても伏せておきたいことだった。そのガードを掻い潜ってしまったものだから、気を許されているのか。

 だが、何でもを取り出してくる時点で、既に危うかった。そのときは棚に上げた。というか、俺がどうこう言える立場ではなかったので、注意などしなかったのだ。しかし、その杞憂が時々顔を出す。

 俺が秘密を黙っているから信用を寄せるようになった。そんな下地が幅を利かせているからというのなら引くつもりがあるが、そうでなければ危険な行為だ。だというのに、阿万野はけろっとした顔でいた。

 挙げ句、いいのかと尋ねた俺に、信頼しているニュアンスを寄越す。直接そう言われたのではなかった。

 だが、


「今頃、香具君に遠慮することある?」


 という言い回しは十分過ぎるだろう。親密さを感じさせるそれに、食い下がる術はなかった。

 ヌルさんというフィルターがある。こちら側からだって、阿万野に友情を感じるほどには親密なつもりがある。そんな状態であるのだから、同じような気持ちを返されてしまっては、敵うはずもなかった。

 尋ねられたことや迷ったことに答える程度ではあるが、そうして動画にまでも関わることになっている。ちょっとしたことだ。阿万野からすれば、何を問題にしているのかさっぱり分からないだろう。

 そんなふうに、俺にしてはまぁまぁ大きな変化もありつつ、密談は続いていた。しおりのことも特別棟のことも慣れたおかげで、甘楽からも不審な目を向けられることはなくなっている。周囲にも気付かれていなかった。

 まさしく、二人だけの秘密は、二人だけで守られ続けている。それが俺の充足感を更に満たしていると、阿万野は気がついているのだろうか。

 バイト以外の時間をもっとも長く過ごしている相手が、可愛い女の子なのだ。悪い気はしない。ヌルさんがどうだ。文房具談義がどうだ。そういったことを取り除いたとしても、喜びはある。

 それを言うのは、何でも、に屈したような気がして押し殺してしまうけれど。けれど、阿万野という個人への友愛も育っていた。

 文房具のことに限らず、阿万野と話すことは楽しい。そうした態度が、微塵も外に出ないということはないようだった。自分の中では、あからさまな態度を取っているつもりはない。阿万野だって、教室では俺に構ったりはしなかった。

 俺たちの関係性は、一見すればただのクラスメイトだ。そのはずである。噂にもならずに済んでいた。

 いたのだが、若干の手落ちがあったようだ。いや、この場合、相手の観察眼が馬鹿にできなかったと言うのだろうか。それとも、恋バナが慮外に好き過ぎて妄想力が逞しかったのか。甘楽には、どうにも仲良くなったことを悟られているようだった。

 前後席である。変わらぬ態度を貫いていても、会話することはままある。それこそ、プリントを回すなど。後はグループ学習では同じ班だ。そのときは甘楽も一緒になるので、そうした義務的な付き合いの中で、何かを感じ取っているようだった。

 どういう嗅覚が発達しているのか。辟易半分、脅威半分。今のところ確証は得ていないらしい。しかし、こちらを見る目を見れば、疑いを持たれているのが分かる。そこまで深読みされると、自分たちの密会がワケアリに思えてくるくらいの邪推だ。

 阿万野は甘楽のそれに気がついているのか。これが微妙なラインなのが、また俺の感情を引っ掻き回す。

 阿万野も感じているのであれば、甘楽を遠ざけることもできた。もちろん、突き放そうなんて考えちゃいない。だが、今以上に気をつけることはできる。

 しかし、そうした話を振ってもいいものか。阿万野の平常運転の前ではうまく切り出せそうになかった。甘楽の探りを阿万野に伝えるのは、躊躇ってしまう。

 それは、ならばやめようと言われることを恐れている。そうした思いが一ミリもないとは言わない。ただ、それよりも、甘楽の探りをヌルさんへの探りだと誤認させることが本意ではなかった。

 俺が思わず零してしまった翌日。すぐに手紙を寄越した阿万野の緊張を知っている。後々になって、あの日は生きた心地がしなかったという話も聞いた。

 なので、別の探りで阿万野を一瞬でも恐ろしい気持ちにさせたくはない。長閑に文房具の話をする阿万野に要らぬ憂いはいらなかった。

 結果として、甘楽のことは俺の胸にしまっている。甘楽も阿万野の前で探りを入れるほど不躾ではないので、表面上は変わりない関係のままだった。

 俺が欠伸を零していれば、甘楽はどうしたのかと声をかけてくる。それはいつも通りであるようで、夜更かしの原因に恋人の存在をほのめかしたがるのは以前より強くなっていた。その瞳が前方を一瞥するのを見逃せるほど、俺は能天気ではない。

 これは多分、秘密があると自覚的であるから研ぎ澄まされている直感であるのだろう。元の俺は、そこまで過敏ではなかったはずだ。成長に驚くとともに、鈍感がゆえの呑気さも大事だと思わずにはいられない。

 勘がいい人ってのは、要らぬ面倒を抱え込むもののようだ。それを悲劇と呼ぶほど大袈裟にするつもりはないが、面倒であることに違いはなかった。

 いつだって、ということではない。俺もそこまで神経質ではなかった。しかし、そういうのは油断したタイミングで湧き出てくるからこそ、面倒なのだ。

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