第二章

第6話

 手紙でコンタクトが取れたくらいで、心の平安を得ることはない。俺と阿万野は放課後まで、かなり不審な態度で居続けた。

 甘楽に気付かれなかったのは、奇跡にも等しいだろう。それとも、周囲は殊の外、他人同士の雰囲気に無頓着なものなのだろうか。何にしても、指摘されなかったことは奇跡的であるほどに、俺たちは互いの気配を探り探りで一日を終えた。

 その疲労感と言ったら尋常ではない。自業自得ではあるが、放課後になると同時に肩の荷が下りたほどだ。ここからが本番だと言うのに。

 阿万野は昨日とは違い、放課後になるや否や席を立って去って行った。その徹底した視線の合わなさは意図されたことだろう。行き場は分かっているし、すぐに後を追いかけるのも気が引けた。

 阿万野の姿が見えなくなってから席を立つ。ぱんと頬を叩いてしまったのは、気合いを入れなければ覚悟が決まらなかったからだ。

 どう言えば、阿万野を怯えさせずに済むのか。俺はテンションを落ち着かせて対応できるのか。罪悪感の中に存在してしまっている高揚感をどう処理すべきなのか。考えたってどうにもならなかった困りごとは、胸の中心にでんと居座ったままだ。

 その腹を括って、指定の場所へと移動していく。


「あれ? 蛍ちゃん?」


 括ったはずの腹の中が呻いているときに限って、ということもない。甘楽が俺に声をかけてくるのは、何も今日に限ったことではないのだ。だが、どうして今、という気持ちが膨れ上がる。

 南野に声をかけられるより面倒さがあるのは、甘楽とはそれなりに仲が良いからだった。会話を切り上げるのにも気を遣うし、甘楽も距離の近さから食い下がる。今は勘弁して欲しかった。

 すぐさま後を追うのもどうかと思ったが、待たせ過ぎるのもよくないだろう。いつまで待ってくれるのかも分からない。


「どうした?」

「蛍ちゃんこそ、どうしたの? こんな時間に特別棟に用事?」

「まぁ、ちょっとな」

「まさか呼び出し?」


 ひくりと頬が震えた。自覚のある痙攣が、表層に出ていないわけもない。甘楽の瞳が大きく瞬かれる。


「本当に!? 告白?」

「いや」

「え~、蛍ちゃん告白~?」


 こっちの否定など耳に入れないほどテンションを上げられて、困惑が募った。甘楽は日頃から明るい性格だ。だが、それにしたって高すぎる。これほど恋バナが好きだとは知らなかった。


「違うっての」

「え~なんで? じゃあ、なんで呼び出し? 喧嘩するの?」

「違う」


 何がそれほど面白いのか。甘楽は首を傾げて次々に問いを投げてくる。どれだけ興味があるのか。気にかけてくれるのは友達冥利に尽きるが、今ではなかった。


「じゃあ、何?」

「色々あんだよ」


 ひどく怪訝な顔をされて、苦笑するしかない。

 確かに、これが何なのかと言われると、答えることが難しいものだ。事情を知っていても、呼び出しの真意への疑問は残る。まったく知らぬものが聞けば、意味不明の会合でしかない。甘楽の怪訝ももっともだった。


「変なことに巻き込まれてないよね?」

「それは大丈夫だから心配するな」


 疑惑しかないのだから、そうした心配にもなるのだろう。だが、むしろ巻き込んでしまった側だ。

 苦々しくなった顔に妥当性はないのか。甘楽は眉尻を下げて、俺の袖を引いた。スキンシップの多さも、甘楽のフレンドリーさの要因だろう。それで、周囲からの好感度をごりごりに稼いでいることには気がついていなさそうだった。

 甘楽は俺を特殊な立ち位置のリア充に設定しているようだったが、甘楽の男子人気も特殊であると自覚をしたほうがいい。こうした小さな接触で、男は勘違いしてしまうのだから。


「甘楽、本当に心配ない。呼び出しは呼び出しだけど、きっかけを作ったのは俺だし、俺からも用事があったんだよ。大丈夫だから」


 そんなに危ない橋を渡るやつに見えているのか。そう思うと釈然とはしないが、心配してくれる女子を嫌忌するほど捻くれているつもりもない。軽く腕を叩いて説明すれば、甘楽は手を離してくれた。


「告白じゃない?」


 完全に諦めた、というわけではないのが困りどころだ。

 そんなに気になるものか、と甘楽の気勢に気持ちが後退する。引くわけではないが、思うよりも近いなと印象を改めた。


「違うって言っただろ」

「……分かった」


 ちっとも分かってるって顔じゃない。どこか恨めしくこちらを貫いている。それでも、納得がいくまで付き合っていられなかった。

 何より、自分だけの判断で話せることはひとつもない。この気付きは、胸の中にしまっておかなければならないものだ。うっかり口に出してしまったが最後、こうなっている。猛省した後であるのだから、なおのこと口にできるわけもなかった。


「じゃ、待たせてるから、そろそろ行くな」


 とんとんと腕を叩いて、俺は甘楽の反応を確認せずに足を踏み出す。

 納得しきらないだろうと分かりきっていた。だから、冷たく写ることは承知で動く。甘楽に甘えているといえばそうだろう。だが、一日中緊張しっぱなしだった阿万野の後ろ姿を思えば、のんびりもしていられないのが実情だった。


「ばいばい。また明日ね」


 甘楽が憂いなく言ってくれたかは分からない。俺は手を上げて答え、特別棟へと急いだ。

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