第3話
売店でパンを買った俺は、そのまま屋上前の踊り場まで上る。
一人飯が板について一ヶ月と少し。これを不憫とは思っていない。甘楽なら寂しいと言うだろうが、阿万野なら気にしないだろう。
阿万野も弁当を一人で食べていたはずだ。姿を見かけないこともあるが、誰かと一緒に、というのはうまく想像できない。一人で穏和に過ごしているのが似合う子だ。そして、実際にそうであった。
いわゆる、地味と言われる子だろう。あの湖面のような静けさがいいんだけどな。胸に湧いた感情に、緩く首を振る。そのまま阿万野から意識を散らして、スマホを取り出した。
動画投稿はいつも二十時以降から二十三時以内だ。この時間に動画の通知が来ることはない。だが、他のSNSの更新は時間が固定されていなかった。まちまちで気まぐれ。頻繁過ぎない程度の更新はちょうどいい塩梅で、通知設定にしていても邪魔にならない。
それを確認すると、ちょうど通知が来ていたところだった。呟きを開くと、重ねた手帳の上に万年筆を置いたヌルさんのアイコンが主張する。俺のアカウントは閲覧用で、フォロー数も少ない。最近では、ほとんどヌルさんの活動を追うためのものになっていた。これは最近流行りの推し活に分類されるのだろうかと薄ら思う。
最新の投稿には、弁当の写真が添付されていた。二段弁当にぎゅっと食材が詰まっている。
プチトマトに黄色いつやつやの卵焼き。照りのあるウインナーにキャベツのしきりとミートボール。ご飯のほうは桜デンプンと海苔とそぼろ。おかずのラインナップはありきたりだろう。けれど、色とりどりにまとまったお弁当は、可愛らしくて美味しそうに見えた。
量が少ないような気がしたが、そこは女子高生と男子高生の感覚の違いだろう。手元動画でよく見る指や腕の細さを思えば、小食なことはイメージ通りだった。
そうやって、ついついヌルさんの生態を想像してしまう。よくない邪推だとは分かっているし、特定してやろうなんて悪意は毛頭ない。それでも、人柄への興味がゼロってわけにはいかなかった。思いを馳せるものだろう。
字幕の丁寧な言葉遣いや、言い回し。そうしたところを敏感に察知しようとしている自分がいて、苦い気持ちになることが多々あった。今もまた、弁当の下に敷かれている包みのデザインにすら目が留まる。
くすみカラーの桃色の包みには目につくデザインはない。けれど、その端っこにクローバーの刺繍がある。四つ葉のその細やかなモチーフは、ヌルさんが気に入ってよく使っているものだ。
もしかすると、自分で刺繍をしたのかもしれない。そんなふうに、ヌルさんの行動を想像してしまう。これはもう立派に推し活だろうな。
今までも、色んなことに手を出してきたつもりはある。筋トレに嵌まったこともあるし、少し前には開封動画をよく見ていた。漫画もアニメもラノベもそれなりに見るし、作家や声優や製作会社も気に留めるくらい興味を持つ。だが、ここまで念入りに追っている、と呼ぶべき対象は初めてだった。
それは文房具への熱量を上げたのと同じくらい急激に現れた沼だっただろう。ゆえに、想像が膨らむのは避けられない。
どんな人だろうか。そうやって、人物像を結んでみようとする。
とはいえ、俺には想像できるほど仲良くしているサンプルがない。咄嗟に浮かぶのは、隣席と前席。まったく別のタイプの女性二人だ。
ヌルさん、と言われてイメージするのは、阿万野のほうだ。それは弁当を食べているという情報も上乗せされているかもしれない。ただ、そんなことがなくても、静謐さや文字を見れば阿万野にヌルさんの雰囲気を感じる。
まさか同一だなんてことは思いやしない。それでも、近しいもので想像すればそうなる。阿万野が近しいものかどうかは正直ちょっと怪しいが。今日のように、会話をしないわけではない。
この一ヶ月半ひとつの挨拶も交わしたことのないクラスメイトを思えば、十分言葉を交わしているほうだった。阿万野から声をかけてもらえることもあるし、こちらから声をかけることもある。緩やかな交流が結ばれている相手ってのは稀少だ。
阿万野や甘楽以外にも、いないわけじゃない。ただ、なんとなく遠い。挨拶はするし、その場にいれば迎合する。その場限りの友達というのは、味気ない言い草だ。冷たくあるが、結局そういうものだって多い。
みんな仲良くなんていう学校の大義名分は、裏を返せばそのときだけ取り繕うくらいの意味しか持たない。それでも、それができるだけマシなのだ。いじめやカーストの面倒くささに巻き込まれることを考えれば、その場限りの友人関係は悪くはない。
その中では、阿万野は仲が良い部類だろう。そこからヌルさんを想像するほどには、俺の中にきちんと人物像が作られていた。
「こんなところにいた~」
呟きや写真を眺めながら、ヌルさんと阿万野の間を行き来していた思考に、弾んだ声が割ってきて顔を上げる。屋上の踊り場だなんて場所に顔を出したのは、赤いインナーカラーがトレードマークの甘楽だった。
「どうした? 何か用か?」
こんなところに、わざわざやってきたのだ。疑問しか湧かずに首を傾げる。
甘楽は片手にイチゴミルクのパックジュースを手にして、ぱたぱたと隣にやってきた。さも当然のように隣に腰掛けるそれを見つめる。
「用がなきゃいけない?」
「こんなところまで来るのに理由がないってこともないだろ?」
「蛍ちゃんもいるじゃん」
「俺は昼飯」
「こんなところまで一人ご飯?」
「いいだろ、別に」
「蛍ちゃんなら食堂行けば、誰かしら声かけてくれるんじゃないの?」
甘楽の言う通り、声をかけてくれるものはいるだろう。それくらいには知り合いもいるし、こっちだってシャッターを下ろしてはいない。
俺は一人で動くことに何のてらいもないが、かといって一人でいることに固執しているわけでもなかった。ただ、自分の好きなことを好きなようにするには、一人で動くのが楽なこともある。そちらのほうが、気ままだった。
だから、こうして一人で昼食を摂ることも多い。
「静かに過ごしたいときだってあるんだよ」
「蛍ちゃんが?」
「甘楽は俺を何だと思ってるんだよ」
外見のイメージから、派手な印象を持たれていることは知っていた。
ただ、金髪にしてみたかっただけだし、ピアスも興味があっただけだ。ひとつ開ければ好きなデザインのピアスをつけたくなって、左右で二つずつ開いている。左側に至っては、かっこよさに負けて軟骨にも開けているが、だからといってクラスの中で目立っている陽キャってわけでもない。
まぁ、そう見られるのもしょうがないとは思っている。
「蛍ちゃん、派手じゃん」
「見た目だけだろ? というか、甘楽には言われたくないぞ」
赤く塗った爪に、赤いインナーカラー。ハート型のピアスにミニスカート。ソールの高いハイカットスニーカー。アイテムだけを取り上げると、甘楽だって俺と同じようなものだ。
「私はそんなにカースト上位じゃないよ」
「俺だってそうだろ」
「そんなことないでしょ。蛍ちゃんは上位じゃん」
「はぁ?」
自分はいつの間にそんな区分に持ち上げられたのか。眉根に皺が寄る。そんな友人たちと騒いだ覚えもない。
「いや、だって南野君たちと話したりしてるし、自然に入っていけるでしょ?」
「そりゃ、声をかけられれば会話くらいするだろ」
その場限り。ノリ。そういう流れで、輪に入ることはある。
だが、それは普通の会話であって、何か騒ぎを起こしたわけでも、どこかに遊びに行ったりしたわけでもない。クラスで声をかけあった程度だ。そんなもの甘楽だってしている。俺だけが上位にピックアップされる理由が分からなかった。
「あのね、蛍ちゃん。普通はね、南野君たちのグループに入ってないと簡単に会話に出たり入ったりするのはできないんだよ? 出入りするのが簡単ってところは、むしろ南野君たちにも認められるってことで、すごく上位ってこと」
「なんだそりゃ」
よく分からない論理に頭がこんがらがってくる。甘楽の論理がすべてだとは思わないが、今は甘楽の論理が分からなければすべてだった。
「ん~ヒメ的に言うと、上位グループとひょいひょい会話できるだけで十分上位って感じってこと」
「ヒメ的に」
「そう、ヒメ的に。他の子たちがどういう理由でそう感じてるのかは知らないけど」
それは、他もそういうふうに見ているという暴露でもある。面倒な印象を持たれているらしいと聞かされて、渋い気持ちになった。
「だから、こんなところで食べてるのは不思議」
「そんなに変かよ」
「不思議って言ったの。別に変? ていうか、おかしいって言ってるわけじゃないよ。蛍ちゃんが静かなことも好きだって知れて嬉しい」
甘楽にはこういうところがある。感情をあけすけに言い放つのだ。それも、好意を隠さない。おかげで人気がうなぎ登りだとは気がついていないのだろう。
そういうのは想い人にだけにしておいたほうが効果があるのではないか。俺ですら、ちょっとは嬉しい気持ちになるのだから。想い人だって、感情が揺れ動くだろうに。
「そりゃよかったな」
「うん。よかったよ」
「それで? 俺に何か用か?」
「ううん。何にもないよ。ただ、寄ってみたら見つけたら声かけただけ」
「そうかよ」
「そうだよ? せっかくだから、おしゃべりしてあげるね」
甘楽だって、こういう場所に来るんじゃないか、と気がついたのは後のことだ。そこからは、言葉通りに甘楽はぺらぺらと舌を回した。俺はそれに相槌を打って、昼休みを消耗したのだ。
静かとはほど遠かったが、甘楽のおしゃべりはとりとめもないもので存外悪くはなかった。
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