第24話 正式入社って拒否出来ないそうです



 どうやら咲良は、5日間の研修を無事に乗り切れたらしい……それが、たとえ望まぬ行商人デビューだったとしても良くやった方だ。指導員の付き添いなしで、大した快挙だとシェリーも褒めてくれたけれど。

 本人はちっとも嬉しくなくて、この5日間の波乱の異界の出来事を脳内で反芻はんすうしてみたり。野盗や同僚に襲われたり、モンスターと戦ったり。


 レベルアップやスキルの取得は面白かったけど、暴力的な思い出の方が圧倒的に多い。行商仕事にしても、商品が売れた瞬間は確かに嬉しかったけれど。

 地元の人との触れ合いとか、異界の景観を楽しむ余裕など無かったのが何とも。シェリーはあなたが売ったアイテムで、命を繋ぐ冒険者がいるのだと諭して来るけど。


 正直、行商人がそこまで立派な仕事だとは思えず、もやもやを抱えている咲良である。そしてついさっき、今日の夕方に入社式をするから事務所に来いと、例のスマホでお達しを受け。

 どうしたモノかなぁと悩んでいる、お昼休みのひと時だったり。食堂の席にはいつものメンバーがいて、他愛ない話で盛り上がっている。


 蜂谷はちやのサボりの話題では、勝手に冷や冷やしてしまった咲良ではあったけど。電話しても繋がらないねと、そんな感じの遣り取りで終了してくれた。

 午後からはどうするのと、仲の良い同級生の山村に訊ねられて。生活費稼ぎのバイトだよと、これは嘘では無いので何とか顔を引きらせずに言い放つ事が出来た。


 いや、実際に事務所には呼ばれて予定は入っているのだが。それを堂々と口に出せないジレンマ、所属会社は詐欺と異世界技術の蔓延する常識外れの組織なのだと。

 口に出せたら、確かに楽にはなれるかも知れないけれど。正気を疑われたうえに、懲罰ポイントが貯まるだけですよとシェリーにいさめられている次第。

 最悪、話をした側にまで害が及ぶ可能性があるとも。


 それは怖過ぎるし、あの会社はまるっきり悪の組織に思えて来た咲良である。異界の住人のこの世界への侵食は、それ程に広まってしまっている証拠でもある訳で。

 知らぬは地球人ばかりなりですねと、シェリーは至って呑気な物言いではある。それはともかく、入社式って何をするのだろうとの咲良の問いには。


「行けば分かりますよ、マスター。或いは新たな修羅の道の始まりかも知れませんが、お金に困らない未来が待ち受けている可能性も全く無い訳ではありません。

 何しろ、研修の5日間より多くの商品を扱う事が出来るようになる筈ですから」

「あぁ、そうなると確かに1日の売り上げも頑張れば上がるかもねぇ。とは言え、毎回あんな感じで僻地へきちに飛ばされてたら、売る相手を探すのにも一苦労だよ」


 咲良の反論に、その通りですねと素直に応じるシェリーである。現在の2人は大学の講座も全て終わって、一度自宅へと戻っている所。

 そこで教科書と文具の入った鞄を置いて、行商用の鞄へと持ち替えて。それから例の事務所へと、呼ばれた用事をこなしにおもむく予定だ。


 鞄を持っているのは、ついでに商品の補充を行う為である。それを忘れて何度も往復したくないし、事務所は何度も訪れたい場所でも無いし。

 そもそも、あの百目鬼とどめき支社長と顔を合わせたくないのが、咲良の本音ではある。まぁ、大抵の詐欺に掛かって入社した者達は、内心でそう思っているだろうけど。


 ひょっとして、入社式なるモノで大騒ぎが起きるかも知れない。ふざけるなと支社長を目の前にして暴れる者が、何人かいてもおかしくはない筈なのだ。

 もっとも、それは“契約”により防がれているそうで。


 さすが長年、異界の地で生き延びた詐欺師である……やり方としては、一見穴が無いように見えてしまって咲良も“契約”解除のやり方に悩んでしまう。

 相手の苦手な暴力は、その魔法染みた“契約”により使えないそうで。しかも周囲には、指導者とは名ばかりのまゆずみみたいな立派な体格の連中がいっぱいいるのだ。


 いや、彼らは恐らく用心棒そのものなのだろう。あの支社長と“契約”しているかは不明だが、この前路上で話し掛けて来た社員はそんな事を言っていた気も。

 まったく気を許していなかったので、咲良は長話を断ってしまったのだけれど。仲間となる可能性の者とは、積極的に関わって行くべきなのかも。


 そんな事を考えていたら、いつの間にか事務所の前へと辿り着いていた。自分の健脚を恨めしく思いつつ、そのままの勢いで咲良は階段を上がって行く。

 事務所には既に、同業の行商人たちが大勢集まっていて暑苦しい程だった。いつもの事務の女性に、あなたは一番後ろの席に座りなさいと指示を出され。

 揉めるのも嫌なので、素直に従う咲良。




 彼女の後にも、数人の恐らく同業者と思われる人たちが室内へとやって来た。年齢も性別も様々で、恐らくは高給に釣られてここを訪れた者達なのだろう。

 その表情は、思い詰めていたり意外と明るかったり、精神を病んでいる顔付きだったり羽振りが良さそうだったりと様々で。与えられた仕事との相性もあるのか、その辺は不明だけど。


 咲良と同じく、サポートAIと話しをしている者も何人か見受けられた。思わずシンパシーを感じるも、向こうのAI機能に関しては少々気掛かりで。

 まるっきりシェリーと同じ人格が、あのスマホの中にコピーされているかと思うと怖い気も。そもそもシェリーに、人格があるのかも不明ではあるけれど。


 たった5日の付き合いとは言え、一緒に異界を生き延びて来た大事な相棒である。個性を感じるのは当然だし、出来れば他の行商人たちとも仲良くやって欲しいって思う。

 それに意味があるかは不明だけど、少なくとも咲良の平穏は保たれる。彼女の周囲に次々と着席する同業者たちが、同じ思いを抱いているかは謎だけれど。


 咲良が考え込んでいる間に、それ程広くもない事務所の部屋は満席になっていた。時期を同じく入社した研修仲間は、揃って前の席に座っている。

 その数は4名、蜂谷を除いて全員が研修を乗り切れた模様だ。


 咲良を含めて5名で、そのうち3名は中年の犯罪未遂者たちである。さすがに気まずそうにこちらを窺っているので、一応は罪の意識はあるのかも知れない。

 それでも指導者たちから罰則は無かったようで、目立った傷跡も無いよう。もしあったとしても、咲良は全く気にしないだろうけれど。


 他のメンバーは若い男性が多く、20名ちょっとだろうか。互いに談笑するでもなく、席に座ってスマホをチェックしたり周囲を気にしたりしている。

 つまりは彼らが、異界の行商人を生き残ったメンバーなのかも。女性や年寄りがほぼいないのも、それだけ淘汰する力が強い事の現れとも取れる。


 それから黛をはじめとする、指導者が7名ほど壁際に並んで立っている。無駄にお喋りしている者が皆無なのは、そんな彼らの威圧感のせいなのかも。

 咲良も周囲を気にしながら、入社式なるモノが始まるのをじっと待っていると。さほど待たない内に、部屋の前面のモニターに唐突に百目鬼の顔が映った。

 どうやら支社長は、社員に直接の声掛けはしない模様。


 それだけ恨みを買っているのを理解しているのか、その辺は判然としないけれど。それなら咲良の席の位置は、単なる嫌がらせと言う解釈も出来てしまう。

 その百目鬼の挨拶は至ってシンプルで、みんな頑張って商品を売りまくるようにとの内容だった。簡潔過ぎて、他の意味に受け取る隙も無い程。


 それから後の進行は、事務局員の斎見さいみが行うみたい。まずは月間の売り上げの高い社員の表彰から始まって、ボーナスにお金やスキルポイントが与えられるとの発表に。

 貰った者は影山と言うらしく、周囲の拍手に一応は嬉しそうな表情。頑張ればちゃんと報われるんだと、社員を安心させるための儀式に思えなくも無いけれど。


 穿うがった見方だが、案外その通りなのかも……その後は、入社する者に対して新たな注意書きが配られて。シェリーの言う通り、その扱いは研修機関とは段違いみたい。

 例えば例の派手な法被はっぴの機能が、新たに解放されて強化が可能になるだとか。1日の行商時間が、3⇒4時間に延長されるだとか。

 それに合わせて、新入社員は見習いからF級にランクアップされるそう。


「このFランクですが、1週間の売り上げが一定金額を超えればすぐにE級へと上がる事が可能です。既に社員として働いている先輩方は、平均1か月でランクアップしていますね。

 そうなれば、扱う商品の質と数量もどんどん増えて行きますので。自然と稼ぎも上がって言って、影山さんのようにわが社のエースとなる事も可能でしょう。

 新入社員の方々も、他の社員の方たちも頑張ってください」


 何度も説明して、すっかり慣れた感のある事務員の齋見のトークに対して。シェリーが小声で、そのエースは嬉しくなさそうですねと思った事をポロリ。

 確かに斜め前の席に座っている“エース”影山は、表彰の時もエースと持ち上げられた時もそれ程には喜んではいなかった。咲良からすれば、お金やスキルPを追加で貰えるのは充分に嬉しい事態だと思うのだけれど。


 やっぱり彼も詐欺染みた“契約”で、この境遇に縛り付けられているのだろう。そう思うと気の毒ではあるが、咲良も他人を気に掛けている余裕は当然無い。

 サラっと目を通した注意書きには、他にもF級の特典が色々と書かれていた。例えば鞄に持って行ける商品が倍増するとか、先程もチラッと説明のあった法被の機能開放とか。


 それが何を意味するかは不明だが、恐らくシェリーが詳しい事は知っているだろう。さすが5百万円もする衣装である、ただ派手な外見だけでは無かったらしい。

 それから望む者には、鞄に追加機能を備えて貰えるそうだ。要するに、サイドポケットを空間収納化して、向こうのドロップ品を持ち運べるそうなのだが。


 容量は手で持ち運べるダンボールサイズで、百万円の追加借金を強要されるみたいだ。その他にも、戦闘用のズボンも同じく百万で購入が可能との事。

 ローンも組めるし安心とか書かれているけど、更なる借金で縛られるのは勘弁願いたい咲良である。戦闘シューズは50万だそうで、全部揃えると250万円ほど掛かってしまう。

 今更借金が増えても同じと、開き直れれば問題無いのだけれど。


 そうも行かない咲良は、渋い顔をして配られた用紙を眺めるのみ。他の新入社員にしても、多分だが積極的に購入には至らないだろう。

 とは言え、自身の安全のためにお金をかけるのは不自然な事ではない。咲良の心情的に、これ以上の無理やりな借金は嫌だって話である。


「それからもうすぐ月末ですが、しっかり口座に給与は残しておいて下さい。儲けの3割を、借金返済に自動で差し引くようになってますので。

 ウチは基本、土日も仕事は入ってますが週の切り替えは月曜日です。その時点で、ランクアップの金額もリセットされるので注意して下さい」


 どうやらF級からE級にあがるには、1週間の単純売り上げが20万以上必要らしい。つまり1本千円のポーションを、1週間で2百本も売らないと駄目みたい。

 1日3万円も商品を売るとなると、かなり大変な作業かも。それでも先ほどの事務員の説明だと、先人の皆さんは約1か月でそれをこなしたとの事だし。


 咲良としても、さっさとその目標は達成したい気持ちは大いにある。とは言え、それも最初のワープ地点次第ではあるだろう。齋見の話では、F級では行商場所は選べないらしいけど。

 逆に言えば、ランクを上げて行けば自分でどこに行商に行くかを選択も可能となって来るそうな。バラ色の未来とまでは言えないが、そうなれば向こうの稚拙な嫌がらせを受けずに済むかも。


 少なくとも、いきなり危険地域に放り込まれてしまったとか、周囲に冒険者がいないとか。そんなパターンを、これ以上味わなくて済むなら僥倖ぎょうこうだ。

 そして可能なら、いつかこの会社との縁切りも考えつつ。





 ――狭い室内での入社式は、もうしばらくの間続きそう。







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