第10話 土曜日の事務所の遭遇
次の日の朝早い時間、咲良は普通に布団から目を覚ました。そして部屋を見渡すと、目に入る脱ぎ捨てた
幟は壁に立て掛けてあって、『鬼魂商会』と“大安売り”の文字が躍っている。今更気が付いたけど、あの面接に行った会社は鬼魂商会と言うらしい。
それが目に入った事で、昨日の己の身に降り掛かった災難を脳内で
それから夢じゃない証拠に、数時間歩き回った疲労ダメージが筋肉痛となって体を
それもそうだ、1千円の商品にそこまで完璧を求められない。
それより考える事は幾つか、例えば学友の
もう少しお昼に近付いたら、電話で連絡してみようと咲良は考えつつ。朝食にパンとコーヒーを用意して、簡易テーブルの上でそれを食べ始める。
実際、今日は昼近くまで特にする事は無いし予定もない。遊びに行こうにも、咲良には金が無いと言う。ただ友達は多いので、本とかゲームとか色々借りられるのは多少の利点か。
そんな訳で、疲労した筋肉を休ませながら読書やゲームで時間を過ごし。ちなみにゲームは型落ちの筐体とソフトを、金持ちの友達からタダで譲り受けていたりして。
貧乏ながらも、暇を潰すにも困らない咲良であった。
「さて、そろそろ行動を起こそうかな……電話を掛けて、繋がらなかったら直接蜂谷ちゃんのコーポに行ってみようかな?」
『事務所にも顔を出すべきですね、ポーション等売り物の補充を行って下さい、マスター』
「あっ、そうなのか……それじゃあ毎日、事務所には行かなくちゃ駄目なのね」
さすがの空間魔法とやらも、売り物の自動補充だけはして貰えないらしい。そこまで便利だと、確かに人を雇う事もしなくて済みそうでもある。
そんな事を考えつつ、蜂屋に電話を掛けてみるのだが。今度も一向に繋がる気配もなく、胸騒ぎを通り越して悪い兆候にしか思えなくなってしまった。
いてもたってもいられず、咲良は出掛ける準備をして部屋を飛び出す。シェリーから魔法の鞄だけは持って行けと言われ、それと3千万円のスマホも忘れずに。
そしてまず咲良が向かったのは、蜂屋が住んでいる学生用の安コーポだった。彼女も苦学生で、バイトをしなければ生活費が
そんな境遇の友達が、連絡も取れずにいる状況……蜂屋も恐らく、昨日の時点で大迷宮のあの異界へと飛ばされたのだろう。その時に何かあったのか、その後に心が折れたのか。
どちらにせよ、会って話し合う必要はあると思いたい。お互い苦境に立たされているのだ、助け合って打開策を練るのも1つの手ではあると思うし。
しかし玄関先で咲良を待ち受けていたのは、圧倒的な拒絶だった。
「……ゴメン、咲良ちゃん。変な事に巻き込んじゃったけど、私はこの馬鹿げたバイトには参加しない。降りると奴らにも宣言したわ、あんな一方的な借金だ契約だなんてクソ喰らえってね。
消費者センターにも通達済みだし、あの会社はすぐ手が入ると思うよ。心配掛けて悪かったわね咲良ちゃん、でももうすぐ終わると思うから」
「いやでも蜂屋ちゃん、奴らがそんな事も考慮してない筈も無いでしょ? 異界の住人とかそんな事情も、他の大人に信じて貰えるか分からないし。
本当にそれで上手くいくのか、その辺をもうちょっと一緒に考えよう?」
「そうだね……連中が暴力に訴えるかも知れないから、私はしばらく家に
全て片付いたら連絡するわ、咲良ちゃん」
それで本当に上手く事が運んでくれるのだろうか、空間魔法とか契約魔法とかを自在に使う連中相手に? だが嫌がる友達を、無理やり異界の行商へと連れ出す訳にも行かない。
八方塞がりの絶望感のまま、咲良は友達の安コーポを離れて行った。思考はぐるぐる、本当に蜂屋はこの境地を立て籠もりで乗り越えられるのか、その事を重点的に考える。
シェリーに相談すると、連中はそんな訴えなど歯牙にもかけないとしたり顔。恐らく行政だか司法だかが動く事は無いだろうと、自信満々に太鼓判を押す始末。
難しい事を考えていたら、自然とアーケード街へと出ていた。この辺は大きなモールなどの進出にも負けず、近所の学生や住民に愛されていて。
店舗も多く、平日も割と賑わっている場所である。
そこで咲良は、気分転換に買い物を少々。馴染みの百円ショップに寄って、シェリーと相談しながら針金や釘、ガムテープや布テープ、ロープや包丁やカッターを購入する。
これらは探索に役に立つかもと、そんな思いでの買い揃えである。他にもお菓子やジュース、ペンやメモ帳、紙コップや紙皿や工具一式やライター等々。
それらの会計を済ませて、後は丈夫なナップサックとベルトポーチも別のお店で購入する。他にも必要なモノはあるかもだが、咲良の資金が枯渇しそうなので。
食料品も買い足したいし、普段の生活にもお金は必要だ。そろそろ部屋代の支払い期限が迫っているし、滞納だけはしたくない咲良である。
そんな訳で、やっぱり生活するにもお金は必要で。
「う~ん、別にバイトを持とうかな……どう思う、シェリー?」
『ウチの販売員に、別の仕事と掛け持ちしている者はいませんよ? 異界の販売員で充分に稼ぐか、道破れて屍になるかのどちらかです。
死んだらお金は必要ありませんし、それなら異界で儲ける事に全力を傾ける方が良いですよ、マスター。こちらのお菓子やジュース、お酒の類いは異界で意外と人気なんですよ。
昨日の売り上げと魔石の換金代金が、マスターの口座に振り込まれていますから。そちらのチェックをお忘れなく、4千円以上の入金がある筈です』
商売の拡大を秘かに狙いつつ、昨日の売上報告も行うシェリーである。どうも商品の売り上げ以外は、本業の方には加算されないルールだそうで。魔石拾いやスナック売りは、全く別の小遣い稼ぎに過ぎないそうである。
そっちに力を注ぐ者も、実は初心者販売員の中には多いそうな。いきなり大迷宮の冒険に挑んで、スキル収集やレベルアップに勤しむ者は逆に少ないそうである。
それもそうかと、咲良も常識を
ただし、危険も伴う異世界を自由に動き回るには、多少の力や心得があった方が良いに決まっている。その点はシェリーも同意して咲良の今後の方針もそんな感じかも。
とは言え、そんなキッパリ決め込めるほど割り切れて無いけど。
「そりゃあね、怖いモノは怖いし戦いとか無縁の生活をずっと送って来たんだし。ただねぇ、こっちの世界でも生きて行くには辛い事はあるし、逃げ回ってるばかりじゃあね。
にっちもさっちも行かなくなる前に、決断は為さないとね」
「そうですね、適応力は生きて行く上で重要な能力の1つには違いありません。判断力も同じです、マスターの友達がそこを誤ったのは残念でなりませんが。
せめてサポートAIの忠告に、耳を貸す器量があれば良かったのですが」
シェリーの立場から見れば、それが最善の策らしい。そんな会話をしながら、咲良が次に寄ったのは例の寂れたビルの2階に存在する事務所だった。
咲良にしたら嫌々な行動だったのだが、向こうもそれは同じだったらしい。何と事務所内にすら入れて貰えず、辛うじて魔法の鞄の売り物補充だけはして貰えて。
それで後は勝手にやってくれと、事務所の派手なメイクの受付け嬢に追い払われる始末。かなり腹は立つが、咲良にしてもあんな忌まわしい場所に長居はしたくない。
ただし、向こうからこんな仕打ちをされる
「彼ら“契魔族”は、契約魔法で相手を縛る事には長けてますが、暴力沙汰はからっきしですからね。殴り掛かられた事が、余程ショックだったのでしょう。
事務所内の監視カメラのライブラリをハッキングして、そんな推測をしてみましたが。要するにマスターが目を付けられたのは、ある意味では自業自得でしょうかね」
「シェリー……何気に勝手に、会話モード全開だよね、別に良いけど。あの件に関しては、私は全然悪くないと思うけどなぁ」
補給の終わった魔法の鞄を肩にかけて、事務所を後にしながらそんな会話を繰り広げる。傍目に見たら、独り言を呟く怪しい人物に見えるかなと、咲良の心配は的中して。
階段を降りている途中で、ばったりと中年2人組に遭遇して。
そしてすれ違った2人の顔を見て、アレっと昨日の面接での様子を思い出す。確か一緒の席にいた2人だ、気の荒そうな大柄な中年と痩せて負のオーラ全開の壮年男性。
向こうも咲良が仲間の販売員だと、魔法の鞄で気付いたようだ。ようやく納得した表情を浮かべつつも、差し向ける視線は冷ややかで嘲笑的ですらある。
どうやら、指導員を付けられなかった経緯を馬鹿にしている様子。
「これはこれは、初日から迷惑にも場を荒してくれた学生さんかね……ああいう行為は迷惑なんだよ、金を稼ぐってのがどう言う事かも分かってない世間知らずが!
こっちは本気で生活掛かってんだ、二度と出しゃばるんじゃねえぞっ!」
「酷い言いがかりですね、マスターも前向きに仕事に向き合おうと励んでいます。無意味な
戦うのなら、正々堂々と売り上げ成績で挑みなさい!」
イヤちょっと待ってと、何故か相手に喧嘩を売る
昨日の売り上げも自慢出来る額では無かったし、異界の行商人などやって行く自信は無い咲良。なのに話は、売り上げ成績での勝負なんて事になって来ている。
いきり立った中年男性たちは、世間を舐めてる学生に何か負ける訳が無いだろうと吠え立てており。現にお前の片方の連れは、既に脱落しそうじゃねえかと
それは本当の事なので、まるっきり言い返せない咲良なのだけど。何故かシェリーの口調は滑らかに、相手を罵倒しマスターの方が全てにおいて腕前は上だとスペシャルトーク術を披露。
聞いてた咲良も、誰の事を言ってるのかなと混乱模様で。
挙句の果てには、そちら2人より1ヶ月後の売り上げは、咲良の方が上を言ってやると挑発をかますシェリー。そんな約束はしたくないのに、言質を取られて引き返せない破目に。
どの道、この行商人を途中で辞める事は契約で出来ないので。土下座と1ヶ月の売り上げを賭けの対象に、何故か咲良抜きで話が纏まってしまった。
それを聞いて、茫然自失な
「ふふっ、お前ら学生は気楽でいいよな……たかだか1か月程度の売り上げなんかじゃ、生活に響きもしないんだろうが?
こっちは他の借金も合わせて、既に首が回らない状況なんだ。覚悟の程が違うんだよっ、遊びで仕事選んでるのとは訳が違うんだっ!」
「借金なんて威張れるモノじゃないでしょうに、何故に
おおかた、その借金とやらも賭博で膨らませたのでは無いですか?」
冷静なシェリーの突っ込みに、図星を刺されたのか声も無い中年男である。それでもプルプル震えながらも、賭けは支社長に言って書面にするからなと脅しを加えて来る。
何をそんなに熱くなるのかと、咲良などは不思議で仕方ないのだが。シェリーの敵の
賭けなんてしてどうするのと、小声で尋ねる咲良であるけど。向こうは4月はまだたっぷり残ってますからと、売り上げ成績対決を気にする様子もない。
そりゃあ確実に勝てる算段があるのなら、咲良だって何も言うつもりは無いのだけれど。ブラック企業に詐欺の契約履行を迫られ、異界の行商人を押しつけられて。
その上で、更なる厄介事に巻き込まれたくなど無いとの心の叫び。
事務所に入って行く中年たちは、どうも降って湧いたレベルシステムに舞い上がっている様子。この新たに得られた力があれば、借金取りなど怖くは無いと話し合っている。
そんな暴力で事態を解決しようなんて、危ない奴には近付かないのが理想の筈なのに。何故かシェリーの策略の果てに、賭けが成立してしまっている現状である。
咲良は諦めの境地で、繁華街のいつものスーパーで買い物をして帰宅する事に。普段はもっとタイムセールの安くなる時間を狙うのだが、今日はとてもそんな気力は無い。
早々に家に戻って、とにかくシェリーと作戦会議をしなければ。変な賭けはともかくとして、まずは生き残る事に心血を注がないと。
下手したら、来月を迎える前に異界で
――それだけは、切実に阻止したい思いの咲良だった。
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