第6話 ささやかな反乱とその結果



 その瞬間、脳内に張り巡らされている霧が一瞬にして晴れた。ハッキリとした視界で、咲良は尚もページをめくって資料を隅々まで読んで行く。

 威張った口調の派手な支社長の話は、こちらとは関係なく続いている。滑らかな口調だが、よく耳を澄ますと別に不快な音階が混じっている気も。


 それが催眠術染みた効果を発揮しているのか、左右を盗み見た咲良は絶望に捕らわれた。何とこの場に居座る全員が、魅了されたように思考を停止している風なのだ。

 正気を保っているのは自分ただ1人だが、逃げ出そうにも扉の前にはスーツ姿の大男が控えている。何より友達の蜂谷を置いて、逃げるのはどうも忍びない。


 考えが纏まらないまま時間だけが過ぎて行くが、資料の内容は改めて見るととっても酷い。スマホだけでなく、法被はっぴのぼりもべらぼうな値段設定で。

 何と両方とも5百万円するそうで、法外な値段も良い所である。間違いなく詐欺商法には違いなく、黙って契約などはもってのほかと言うしかない。

 問題は、どうやってこの場を逃げ出すかなのだけど。


「もちろん我が社は、昇給も思いのままでその点は心配は無用だよ。1日の実質売り上げが4万円以上、それを週に5日続けるとランクが上がって取り扱い商品も増えるって寸法だ。

 その他の恩恵も当然ある、そうだったね齋見さいみ君?」

「そうですね、支社長のおっしゃるランクについて一言……採用されますと、あなた達には3つのランクが与えられます。『商人ランク』『冒険者ランク』『金融ランク』で、どれも大切になって来ますので悪しからず。

 これらを上げて行く事で、あなた方の生活も豊かになって行くでしょう」


 耳障りの良い事を言ってるが、それは単に都合の悪い事を隠しているからに他ならない。それにしても、『商人ランク』は何となく分かるけど『冒険者ランク』って何だろう?

 『金融ランク』については更に分からないが、ひょっとしてスマホ代金の借金に関係しているのかも。どちらにしろ、詐欺の手法を正直に真に受けるつもりもない。


 と言うか、そもそも採用を断れば済む話ではあるのだが。それを向こうも分かっているらしく、それ故のこのおかしな催眠作用の行使みたいだ。

 それにしても、そんな力がこの派手な衣装の百目鬼にあるのが変だ。異界とか迷宮なんて単語も飛び出すし、咲良は自分の正気すら疑い始める始末。


 何しろ、言われた仕事は異界の迷宮でのポーションの委託販売だ。しかも、どうやらあの派手な法被を着込んで、さらに派手な幟を手にしていなければならないらしい。

 とんだ苦行を強いられる上に、しかも仕事先が異世界と来ている。正気の沙汰では無いのは確かだけど、まぁ冒険者がポーションを欲する理屈は何となく分かる。

 向こうも恐らく、回復薬は必須のお仕事なのだろう。


「いやいや、まだ告白する事はあったかな……たった2時間で高収入! ってうたい文句に釣られた君達には悪いけど、実際はそれ以上をみっちり働いて貰うんだ。

 ただし、こちらの世界では2時間しか経ってないから、実質的にはお得だね! これも異世界のテクノロジーって奴さ、存分にその恩恵を受けて向こうの世界で稼いでおくれ。

 他に付け足す説明はあったかな、齋見君?」

「そうですね……最初の低ランクの販売場所については、完全ランダムとなっておりますね。但しウチの会社から、一定期間は先導員が必ず1人付きますので。

 先導員が付いている安全期間中に、しっかりと販売方法と生き延びる術を学び取って貰えればと。それから転移先ですが、必ず“大迷宮”内となっております。従って冒険者たちも自然と集いますので、その方々にわが社の商品を売りつけて下さい。

 腕に自信があれば、自身で迷宮の宝を獲得に動く方法もありますね」


 それは素晴らしいと、大袈裟に驚きを表現する百目鬼とどめき支社長。儲け方が2通りもあるなんて、他の行商では考えられないねとアピールに余念がない。

 つまりは、どうやっても儲けられるとバラ色の未来を社員候補に匂わせてるけど。最初の機材購入で、既に奴隷契約と言う酷い仕様なのは敢えて触れずのコメントである。


 最初のランダム出現場所で、多少の運はあるかもねと向こうでの注意点に留意する支社長だけど。意識を取り戻した咲良には、そんな事などどうでも良い。

 借金してまで雇われたくありませんと、毅然とした態度で反論した途端に。ピタッと流暢な喋りが止まって、何故コイツは催眠状態じゃ無いんだと胡乱な視線が飛んで来た。


 そして百目鬼は、再び催眠を掛けるべく咲良に顔を近付けて行く。その態度は、完全に相手が小柄な女性だと舐め切って隙だらけ。

 ところが咲良は、蜂谷と違ってか弱さなど皆無だった。


 怪しく光る眼を見詰めないように、咄嗟に咲良は視線をらして。その差し出された顔面に向けて、思い切りパンチをお見舞いした。

 それは体の反応から来た、ごく自然な防御だったのだけど。大仰に悲鳴を上げて、過剰に引っ繰り返る百目鬼支社長。どうやら乱暴や狼藉ろうぜきには、全く慣れていない体質らしい。


 代わりに咲良を取り押さえたのは、後ろに控えていた黒スーツの指導員だった。名前は確かまゆずみだったか、説明会では全く発言は無かったのだが。

 どうやら百目鬼が引っ繰り返ったのも、彼が割り込んで体を押したせいだった模様。まゆずみの立っていた位置的に、それが最も効率の良い防御方法だったようである。


 咲良はそれに対しても、対痴漢防御を発動させての肘打ちからの反り返っての頭突きをお見舞いする。手応えは確実にあったけど、相手はウンともスンとも反応せず。

 仕舞いには後ろに位置する人物の、脛の当たりを勘で思い切り蹴り倒してやると。ようやく相手の巨体は、少しだけ揺らいでホールドが緩くなった。

 とは言え、脱出するには圧倒的に咲良の腕力は足りず。


「ははっ、お気を付けを……たまにこんな、活きのいい新人が紛れ込んでますからね。それにしても、女にしては腰の入ったいいパンチだったな。

 当たらなかったのは幸いでしたね、百目鬼支社長」

「……こいつめっ、この私に暴力を振るおうとするとはっ!!」


 興奮を通り越して逆上する百目鬼だったが、その点は咲良も同じ。こんなインチキ会社とは、一刻も早く縁を切りたいと言うのにこの扱いと来たら。

 後ろから羽交い絞めにされ、首を絞められて身動きの取れない状態に。咲良は何とか抗議するモノの、全く聞き入れて貰えない現状である。


 こんな時には、自分の小柄な体格が恨めしい……その内に派手な衣装の百目鬼が、何とか平静を取り戻しながら再び近寄って来た。

 その胡乱うろんに光る眼光に捉えられ、咲良は次第に意識を薄れさせて行く。


 背後から黛の、抵抗する時は一気に気取られないようにするべきだったなと。良く分からないアドバイスを貰いながら、咲良は再び催眠状態に。

 確かに、最初に無駄に叫んだのは失敗だったかも知れない。とは言え奴をブッ倒したからと言って、この事務所から無事に逃げ出せたとは思えないけど。


 そんな騒動の最中も、他の面接員たちは身じろぎすらしなかった。そんな面々を眺めながら、辛うじて何事も無かったかのよう振る舞う百目鬼支社長。

 プライドの高さが乗り移ったような、甲高い声で百目鬼が口を開く。それは今まで被っていた仮面が剥がれたかのような、本音にまみれた言葉だった。


「……この娘の研修期間は、指導員を外して執り行うように。野垂れ死んでも構わないから、きついエリアに積極的に飛ばしてやりなさい。

 ただし貸与品の回収には、万全を期すように!」

「はぁ、それは構いませんが……ウチの支店もノルマがきついですし、死亡率を闇雲に上げると本店に睨まれてしまいますよ、百目鬼支社長?

 ノルマが果たせなかった場合の罰則は、私たちでも辛いですしね」


 そんな事は分かってますと、ヒステリックな百目鬼である。黛は肩をすくめると、元の部屋の隅へと歩いて行って、再び不動の姿勢で気配を消し去る。

 それから事務員の齋見による、先程話題に出たノルマ未達成の罰則についての講義が10分余り。ノルマとは主に売り上げであり、それが低い者は容赦なく取り立てに遭うと。


 その内容に付いては明かせないけど、頑張らないと後は無いですよと。脅すような口調は、終始この説明会を支配するキーワードには違いなく。

 最後に契約内容や販売業務の詳しい事については、買い取りを願ったスマホに全部載っていると。そんな言葉を齋見は口にして、長かった説明会は終焉を告げた。

 そして最後に契約書にサインをと、これは百目鬼の口から。


 配られた契約書は、青白い魔方陣に彩られてまるで魂を奪われる儀式のよう。実際それに近いのかもだが、催眠状態の販売員予備軍たちは抗えもせず。

 唯々諾々いいだくだくと命令に従って、差し出された契約書にサインをする咲良たち。ペン先に吸い込まれるように、何かの魔術がつむがれて行く。


 それを嬉々として見つめる百目鬼、新たな奴隷の誕生を祝うように口元には大きな笑みが。そして記入した者達は、小さく呻いて次々に机に突っ伏して行った。

 それを黙って眺める黛だが、気付けば新たに数人の指導員が部屋に入って来ていた。どいつも一癖ありそうな連中は、揃ってスーツ姿なのにどこか人間離れしている雰囲気。


 それから売り子装備一式を受け取って、担当を誰にするかを短い遣り取りで決めて行く。指導員には女性もいたが、大抵は黛のような厳めしいタイプばかりである。

 そして公約通り、咲良に付く指導員はおらず。


「契約は、絶対に守られるべき正義です……装具一式と魔法の鞄を与えて、取り敢えず行商に向かわせなさい。向こうで何かあったら、確実に貸与した装具は回収出来るように。

 それではみなさん、良い行商を!」

「「「良い行商を!」」」


 一斉に返事をする指導員たち、肝心の新人販売員たちは揃って気絶したままだと言うのに。その内に1人、また1人と部屋から突然に販売員と指導員のペアが姿を消して行く。

 そしてとうとう咲良の番に、もっとも彼女だけは指導員のいない状況だったけど。それでも無情に、魔法の鞄や幟らと一緒に空間へと消えて行く。

 部屋に残ったのは、百目鬼と事務員の齋見の2人のみ。


「さて、今回の応募員から果たして何人が生き残るか……」

「今回も望み薄ですね、こんな商売虚しくなりますよ」





 ――彼らの愚痴は、ただ空虚な室内に響くのみ。








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