第5話 旨い話しにゃ裏がある



 不意に隣の若い女性が、咲良に話し掛けて来て同じ大学の学生だと判明。学科は違えど学部は同じらしいその女性も、諸々の懐事情で今回の面接に行き着いたようだ。

 もっとも咲良と蜂谷は心理学科で、面識は全く無かったのだけれど。話を進めるうちに、学年も同じだったようで親近感を覚える3人だったり。


 逼迫ひっぱくした金銭面を現すように、御剣みつるぎと名乗った女生徒の服装は質素そのもの。色褪せたジーンズに柄物のシャツ、どこにでもいそうな一般的な貧乏学生である。

 むしろ容姿は悪くないのに、化粧っ気も無くて色々と勿体無いと思わなくも無い。もっともそれは、咲良も同じで服装も似たような感じだけど。


 咲良の方が幾分小柄で、髪形を含めてボーイッシュな印象だろうか。貧乏学生の代表のような服装は同じだけど、快活な感じは誰しも第一印象で感じる筈だ。

 3人はこの偶然の出会いに、盛り上がって会話を弾ませているけれど。この地区に大学と言えば、咲良たちの通う翔果堂しょうかどう大学しかないので。


 物凄い偶然って訳でも無く、御剣の最初の推察は的外れでも無かった。その翔果堂大学だが、小高い山の中腹に大学の校舎があって、この繁華街はその麓に広がっている。

 街中は路面電車とバスがメインの交通網なのだが、どちらも学生にとっては一長一短な感じだ。路面電車は山の中腹にある大学の前までは線路を伸ばしておらず、大学前とは名ばかりの停留所から、延々と10分以上坂道を登る破目に。

 一方のバスは、大学前に停まってくれるけど本数があまり多くない。


 ただし貧乏仲間のこの3人は、このビルまで揃って歩いて来たみたい。そんな話に、ようやく用紙に記入の終わった、のんびり屋の蜂屋も加わる事が出来た。

 年長の面接待機組とは、明らかに違う温度と言うか雰囲気に。そちらから向けられるじっとりとした視線には、敢えて気付かないフリの咲良だったり。


 何と言うか、どんどんとここで働く意欲が削がれて行くのは否めないけど。もし条件の良いバイトだったら、こっちだって生活が懸かっているし譲るつもりも当然無い。

 働き先の円滑な人間関係の形成は、長く続けるには何より大事である。経験からそれを知っている咲良は、仲間を取り込む話術にも長けていて。

 和気藹々あいあいとした雰囲気を、造り出す事に既に成功していた。


「わあっ、それじゃあ学年も同じなんだね、偶然……でも無いのかな? 私もこのバイト、学生課のバイト斡旋掲示板で見付けたし。

 好条件だよね、友達は怪しいから気を付けろって言ってるけど」

「あっ、それ……私の友達にも怪しいから止めとけって忠告されましたよ。でも、他のバイトは拘束時間が基本的に長いのばっかりで。

 さすがに学業とバイトを毎日6時間ずつとか、ちょっと無理ですよね。自分の時間が取れなさすぎで、いずれ破綻しそう……」

「まぁ、確かに……でもある程度は稼がないと、生活が立ち行かないし。貧乏学生は辛いよね、下手に授業サボって単位落とすと本末転倒だもん。

 1日2時間なら、本当に理想なバイト先なんだけど」


 普段の生活を営むお金は大事だが、稼ごうと思ってバイトに明け暮れて万一単位を落としたら。下手して留年って事にでもなると、苦学生を延長する破目に陥ってしまう。

 本末転倒の事態は、何があっても避けなければならない。そのためには、短時間で稼げるバイトは飛びつきたくなる物件には違いなく。


 そんな話題で、学生3人はかしましく程々に盛り上がりを見せる。隣に座る中年面接連中の視線が、わずらわし気なモノに変化して来た頃。

 ようやく奥の部屋から声が掛かって、面接の時間が来たとのお達しが。それを機に事務の女性によって、全員がパーテーションの向こうへと招かれた。


 どうやら面接は、全員で一斉に行われる様子である。採用規定がかなり緩いのなら、まぁそれもアリだろうと咲良は頭の中で考えつつ。

 友達に続いて、記入し終えたばかりの履歴書を手に移動する。



 真っ先に目に飛び込んで来たのは、簡易テーブルと安物のパイプ椅子だった。それが人数分並べられていて、その奥にはホワイトボードが置かれている。

 どこにでもある説明会会場のようなたたずまいは、特に驚くべきような光景でも無かったけれども。そこで一行を出迎えたのは、何と言うか癖のある派手な衣装を着た人物だった。


 紫のスーツに、赤と黒のチェックのシルクハット&ネクタイを着込んだまるで道化のような人物は。ホワイトボードの前に立っていて、その顔色もボードのように真っ白だ。

 その人物に驚いたのは、部屋に入ったほぼ全員だったのだろう。挨拶と着席を促すその人物の言葉掛けに、まともに行動出来た者は1人もおらず仕舞いで。


 派手な衣装は言うに及ばず、顔も化粧を施しているかのように印象的だ。唇の赤さが否応なく目立つけれど、その口から発せられる声も奇妙に高音である。

 簡素な部屋との対比で、その人物は否応なく浮き立っている。


「――百目鬼とどめき支社長が座れと言っている、全員着席するように」

「おっと、まゆずみ君……キミも説明会に来たのかね。さては、有望な新人がいないか見極めるつもりかな?」

「ええ、まぁ……最近は仕事を長く続ける、根性のある若者が少ないですからね。指導員としては、気合を入れて行かないと。

 ほら、皆さっさと着席したまえ」


 いつの間にか、部屋の入り口に体格の良い男が立っていた。切れ長の鋭い目つきの厳つい顔付きの男は、名前をまゆずみと言うらしい。そして派手な衣装の男は、百目鬼とどめきと言う名前だそうで。

 さらに百目鬼は、支社長と言う高い役職のようだ。それ程人が多くない様子の商会だとは言え、今からの面接にはその支社長自らが当たるらしい。

 それを知って、何故か不安になる面々。


 それでもそれぞれが大人しく着席したのは、その場の雰囲気に呑まれたせいか。室内は至って普通だし、支社長の格好以外は怪しい場所は見当たらない。

 狭い部屋の壁には、目立つ場所に売り上げ目標の棒グラフが貼られている。それを何となく眺めていた咲良は、微妙に違和感を感じていた。


 売上げ金額や商品名、何より地名に知った場所が全く無くはないだろうか。いや、商品名に関してはポーションとか毒消し薬とか、一応は聞いた事はあるけど。

 それは主にゲームとか小説内で、現実の世界で売ってなど無い筈である。


「さて、それでは面接を始める訳ですが……仕事内容については、各々に配布した説明書に詳しく記載されていますので各自で目を通すように。

 まぁ、私の方からつまんで説明するならば――


 ――君たちには異世界の迷宮で、行商人をやって貰います」





 恐らくは、その場の皆がポカンとした表情を浮かべていた。少なくとも咲良はそうで、支社長の言葉に思考がついて行けて無い感じ。

 しかしその間にも、話はどんどんと先に進んで行く。


 とは言え、派手な風体の支社長の話の8割は、自分とその勤め先である商会の自慢話だった。商会がどんな急成長を遂げたかだとか、自分がそれに凄く貢献しただとか。

 部分的に、その『クラン商会』の扱う商品について、幾つか耳に入って来ていたけど。例えば“ポーション”だとか“保存食”だとか、要するに食品関係なのだろうか。


 麻痺した頭で、ぼんやりと咲良はそう考える。彼女の思考は霧がかかったようにぼんやりしていて、質問をしようとかこの場から退出しようって気にはまるでならない。

 それは他の面々もそうみたいで、狭い室内は至って静かなモノである。そこに響き渡るのは、支社長と名乗る百目鬼の甲高い説明の言葉のみ。

 いや、内容の大半は意味の無い自慢話は相変わらずなのだが。


「そうそう、仕事内容の説明を忘れるところだった……各々、目の前に配られた仕事用の資料をめくってくれたまえ! 我が商会はポーションや保存食の完全委託販売、つまり君たちには行商人をやって貰う訳なのだが。

 他と違う所は、まぁ色々とあるんだがね。そう、例えば最新鋭の魔法テクノロジーを使用した、行商サポート用品の支給などがさいたる例ではあるね!

 百聞は一見にかず……斎見さいみ君、一式持って来てくれたまえ!」

「はい、支社長……」


 ようやく派手な風体の支社長の、ワンマン演説が一区切りついたのだけれど。横一列に腰掛けた面接人達からは、一言の疑問も質問も発される事は無かった。

 それどころか、支社長の言葉に従うように、皆が明らかにコピー紙で出来た資料をめくり始めている。最初のページには、クラン商会の紹介が簡易的に記されていた。

 その手作りの資料は、至って普通のコピー誌で出来ている。


 疑問や違和感は、常に咲良の心理の表層に浮かんでいた。それも派手な風体の支社長が言葉を発する度に、上滑りを繰り返して思考の彼方へと消え去って行く。

 まるで催眠術に掛かっている感じ、その表現が一番しっくり来るのかも。


 それでも説明内容が、具体的な儲け話になると段々と面接員の表情にも変化が現れ始めて来た。特に中年男性の面々は、夢のような成功話に有頂天の顔付きに。

 彼らが行商人として向かう場所は、少しだけ入り組んだ事情があって危険らしい。それでも最初は指導員が安全サポート要員として随伴し、こちらから貸与する用品で対策はバッチリ!

 胡散臭い話だが、それに疑問を呈する者はもはや存在せず。


 話術と言うより魔術である、それに掛かっているのは咲良も同様だった。霧の掛かった脳内は、麻痺したかのように疑問や反論を提示しようとして来ない。

 それどころか、運ばれて来たのぼり法被はっひの奇抜なデザインに、抵抗すら感じない有り様である。社員であるまゆずみ指導員ですら、それを見て眉をひそめていると言うのに。


「これは支給品とは言え、特注品なので少々お高いモノとなっていてね。過酷な使用を前提として、入社契約と共にそれぞれ買い取って貰う予定なのだよ。

 ま、金額は追々おいおい……そうそう、スマホも支給されるけどソレも買い取りで。鞄だけは貸与となるけど、万一失くした場合は弁償となるので注意してくれたまえ。

 これだけの品を揃えるのに、まぁ難儀してねぇ!」


 そこからまた、支社長による苦労話と言うか自慢話が始まって。自分がどんなコネを持っているかとか、どんな腕前を発揮して一式揃える事が出来ただとか。

 恐らく本当に凄いのだろうが、それを確かめるすべはこちらには無いと言う。しかもそれについての詮索や、他人への情報漏洩は禁止されているそうで。


 それについての約束事は、かなり重要で後で契約書にサインして貰うとの事。ただし商品の質は保証付き、それに伴う儲けは約束されているとの熱弁振りである。

 その話を聞きながら、咲良は配布資料をめくって行く。そこには支給される予定のスマホの機能と、購入代金が小さな文字で書かれていた。

 その額だが、何と驚きの3千万円と言う。





 ――ちょっと待って、そんなの払える訳がないっ!






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