第4話 怪しいバイト先を紹介される



 話は一旦、数時間ほど前にさかのぼる――




 今年めでたく大学の2年に進級した椿つばき咲良さくらは、新しいバイトを探していた。学生たるもの学業が一番と、世間体的にはもっともらしく叫ばれてはいるモノの。

 家庭事情がそれを許さない人間だって、世の中には数多くいるのも確か。咲良もそんな事情を抱えた学生の1人、春休みにガッツリ稼いで多少の余裕があるとは言え。

 肉体酷使のお仕事は、学業との兼ね合いは到底無理なので。


 最初から短期で申し込んでいて、そんな訳で新学期が始まったこの時期には。晴れてフリーの身になっていた咲良、そんな訳で1日数時間で平気な新しいバイトを探していたのだ。

 そんな彼女の元に、学友が甘い話を持ち込んで来たのだった。


「咲良ちゃん、今週の学生掲示板に凄い良い条件のが載っていたわよ! ほらコレ……ちょっと一緒に、面接だけでも受けに行ってみない?」

「相変わらず唐突だよね、蜂屋はちやちゃん……まぁ落ち着いて、空いてる席に座って一息ついたら?

 お茶でもどう、無料の番茶で悪いけど」

「おいおい、大丈夫かよ……バイトの破格の条件の8割は、詐欺かブラック系じゃないのかね? そんな無条件に、目の前に垂らされた餌に喰いつかない方が良いぞ?

 しっかり者の椿はともかく、蜂屋は簡単に引っ掛かりそうだからな」


 咲良の隣に腰掛けてうどんをすすっていた、眼鏡のインテリ風な学生がしたり顔でそう忠告して来た。名前を蛯名えびなと言って、咲良と同じ学部の1人である。

 この男子学生は裕福な家の出で、バイトで稼ぐ必要も無い程度にお小遣いはうるおっている。咲良からしたら羨ましくもあるが、1人暮らしの方が余程羨ましいと以前言い返された覚えが。

 自宅通いも一長一短だ、自由を取るか潤いを取るか。


 咲良の仲の良い学部の仲間は、主にこの学食のテーブルに集まっている6人である。男子で裕福なお坊ちゃんの蛯名と、同じく自宅通いの山村あきら

 Aランチ定食を食べている駒根こまねすすむも、茶髪であか抜けた感じのお坊ちゃまタイプ。選択科目がほぼ同じで、自然と仲良くなった学友たちである。


 一方、同性の蜂谷知奈ともなはやや頼りない感じの、咲良と同じく独り暮らしの貧乏学生だ。そのせいで仲も良いけど、パッと遊びにとは金欠で無理な仲と言う。

 逆に言うと、友坂朱里あかりは割と裕福な家庭の母性溢れるお母さんタイプの性格。咲良も蜂谷も、何度か家族の夕食に招かれた事もある。

 ややふくよかな体型ながら、皆に好かれる性格の娘さんである。


「えっ、2人ともまたバイト始めるのっ? 春休みもほぼ休みなく働いてたでしょ、ちょっと頑張り過ぎなんじゃないの?」

「春休みのはガッツリ朝から夕方まで働いたけど、今度のは1日数時間のを探してるの。塾とか家庭教師とか、そんな感じのバイトが無いかってね。

 蜂谷ちゃんが探して来たのも、そんな感じの奴で良いのかな?」


 とにかく新しい雇用先が欲しいのは確かな咲良、友達の蜂屋の提示する条件をしばし眺めて。他のバイト先よりも遥かに条件が良いのは、まぁ本当のようではある。

 面接場所も、大学からも借りている安アパートからも近い。要するに、この地区近辺の繁華街に事務所だか会社だかがあるって事だ。そして毎日の実労時間は、2時間程度らしい。

 これは学業の片手間には、何と言うか持って来いな案件である。


「それで稼げるお金が、一日平均5千円以上って凄くない? お試しでも何でもいいから、一度説明会に行ってみようよ、咲良ちゃん!」

「おいおい、それって時給2千円以上って事じゃないのか……本当に大丈夫な案件なのか? ああっ、なるほど委託って書いてある。

 要するにアレだな、セールスとか訪問販売をやらされるんじゃないかな?」

「それって、蛯名君……保険とか車とか、そう言う感じのセールス員って事?」


 女性陣の遣り取りに横から茶々を入れていた蛯名が、要項の欄に小さく書かれていた文字を見て何やら納得した表情に。詳しい内容は、実は要項を書かれたメモを持って来た蜂谷も知らなかったらしい。

 彼が言うには、保険や車のセールスとも微妙に違う感じらしく。それもそうだ、そんな高額なセールスの契約が、たかだか2時間で簡単に得られる筈も無い。


 ああいった営業の人々は、正規契約からのノルマ制で働いているそうな。それでも大変な仕事には違いなく、学生のバイト気分で請け負うには酷な職種である。

 とにかく、蛯名は委託の時給なんて当てにならないぞと厳しい忠告。


「委託ってのは、確か商品を渡されて売って来いみたいな仕事だよ。売れればその何割かが自分の儲けになって、売れなければ全く儲けは無しってね。

 こんな短時間なのはあんまり聞かないけど……何を売るのかも書いて無いな。募集人数も書いてないし、変な商品やネズミ講だったら犯罪臭くなっちゃうぞ、2人とも」

「確かにそうだね、僕らの歳で犯罪っぽい仕事には関わらない方がいいよ……蜂屋さん、そんな訳で止めておいた方が良くない?」

「家庭教師のクチなら、うちの近所でも中高生の生徒を探せるかもだしさ。怪しいバイトは止めときなよ、蜂谷さん」

「ちょっ、ちょっと待って……こんな好条件のバイト、探したってなかなか見付からないよ? ほらっ、説明会は毎日行うって書いてあるし。

 話だけでも聞きに行ってみようよ、咲良ちゃん!」


 普段は無口な、読書家の山村も反対に1票を投じた模様。Aランチ定食を食べ終えた駒根も、代わりの提案にと家庭教師のクチを探してあげると口にして。

 同じく咲良としても、正直に言って気乗りしない案件ではあった。それでも友人の執拗な懇願に、とうとう折れてしまったのは致し方ないと言うか。


 説明会に出席するだけなら、ホンの1時間程度の損失て済むし。怪しい場所に友人を1人で送り込むのも、ちょっと可哀想ではある。

 自他ともに認める気弱な性格の蜂谷は、放っておくと変な勧誘に合わないとも限らないし。咲良は仕方なく、保護者枠としてついて行く事に。


「全く……椿も人が良いなぁ。くれぐれも変な事件に巻き込まれないよう、会社なり事務所の雰囲気が悪かったら、面接せずに引き返すんだぞ?」

「それが一番だよね、蛯名君の忠告通りにするんだよ、2人とも……どっちにしろ、新しいバイトは探す必要はあるんだろうけど。

 変な所には、近付かないのが得策だよっ」

「分かったよ、蛯名君に朱里あかりちゃん……蜂谷ちゃんの付き添いのつもりで、取り敢えずはこのあと説明会には行って来るけど。

 危ない雰囲気を感じたら、さっさと引き返す事にするね」


 会社の場所が丁度この街の繁華街なので、そこまで行けば他のバイト募集広告も目に付くだろうし。軽い気持ちで咲良は受け答えして、友達に別れを告げて食堂を後にする。

 頭に描いていた次のバイトは、もともと短期で割の良い関係のモノだったけど。1日たった2時間とは、そもそもどんな仕事なのだろうか?

 友達の蛯名の忠告と共に、詮索せずにはいられない咲良だった。





 そのビルは繁華街の裏通り、目立たない場所にひっそりと建っていた。いや、古い建物だという事を考慮しても、少なくとも堂々としている風には見えなくて。

 入り口を見付けるのも、2人掛かりでも苦労したひっそり感。どうも目的の場所は、そのテナントビルの2階らしい。寂れた雰囲気に、思わず息を呑む2人。

 怪しいバイトとの忠告が、彼女たちの脳内に木霊する。


「大丈夫かな……やっぱり引き返そうか、蜂屋ちゃん?」

「ま、まぁ平気だよ……取り敢えずは、中に入ってみようよ、咲良ちゃん」


 往来でしばしの遣り取り、それから折れる形で咲良は友達に従って古い階段を上って行く。薄暗い2階の廊下の最初の扉に、その表示はひっそりと掲げられていた。

 『クラン商会』と言う名前のそれは、バイト募集の広告を出した会社に相違ない。躊躇たらいながらノックする蜂屋、どうぞとの返事と共に中へと入ってみると。


 そこは普通の事務所の構えで、先客らしき人影も数人奥に窺えた。それを見て少しだけ安心した感じの2人だったが、それは向こうも一緒らしかった。

 こちらを見て、思わず笑顔になる咲良たちと同じ年頃の女性が1名。その奥には、背広姿の大柄な中年男性が。こちらは憮然とした表情で、居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。


 2人とも入り口側のパイプ椅子に座っていて、更にその奥には女性の座る受付けが。化粧の濃い受付け女性の前には、パソコンと電話が1台ずつ。

 その受付の女性が、咲良たちを見定めて声を掛けて来た。


「ようこそ、クラン商会へ……お2人とも、バイト面接を希望の方ですか? それならば、こちらの用紙にご記入のうえ、もう少々お待ち下さい。

 まぁ、そんなに緊張なさらず……ウチは五体頑健がんけんであれば、大抵は採用されますよ」

「は、はぁ……」


 それはそれで怪しいが、まぁ大量採用ってのはその企業が好景気な場合は良く見受けられる。人手が足りなくなって、大慌てで面接に来た人員を次々に雇うパターンとか。

 若くして色んなバイトをこなしている咲良は、社会経験はそれなりに豊富である。だがしかし、その経験だけでこの会社がブラックかどうかを判断するまでには至らず。


 そんな訳で、少し悩んでここは様子見かと素直に面接用紙に記入して行く事に。抜け目なく事務所内を見回す咲良だが、相変わらずここが何の仕事をしているのか不明である。

 間を置かずして次に入って来たのは、くたびれた感じの中年男性だった。疲れ果てた雰囲気を全身にまとって、着ているスーツもよれよれである。


 それから最後に入って来たのは、小柄で痩せた負のオーラの壮年男性だった。いかにも職業運や金運とは縁の無い人相、たまにそういう人間を見掛けるけれども。

 この時点で、咲良の心に嫌な予感が漂い始める。


 別にケチが付いたとか、その人のせいにする訳では全然無いけれども。仕事先を好きに選べるとするなら、そんな人のいるバイト先は進んで選ばないだろうって話だ。

 隣の気弱な友人を横目で見るが、蜂屋の方はさほど気にしていない様子。逆に即採用の話を聞いて、気が楽になっている感じを受ける。


 咲良にとっては、そこもかなり怪しいポイントには違いないのだが。だって普通に考えて、訪れた全員が面接即採用って、話が既にうま過ぎる。

 オフィス内は、ごくありふれた造りでそこまで怪しくは無いのだが。入って左側に別の部屋に続く扉があって、すぐ右側に受付がある。


 その奥にはパーテーションで区切られた、会議室のような空間と言うか部屋が。恐らくだが、この後の面接もそこでやるのだろう。

 数人の人の気配が漂っていて、何やらスタンバイ中の様子。


「あの……翔果堂しょうかどう大学の生徒さんですか、私もなんですけど」

「あっ、そうです……文学部2年の椿と言います、こっちは友達の蜂屋。2人とも貧乏学生なもんで、割の良いバイトを探してる最中と言うか」

「初めまして、私は文学部国文学科の御剣みつるぎと言います……女性は私だけだったから、ちょっと緊張しちゃってて。

 私も仕送りだけに頼れない事情があって、ここに辿り着きました」





 ――どうやら同じ境遇の女学生も、ここに辿り着いていたようだ。






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