第14話 策略

 新田は、入社した頃の漠然とした違和感を思い出した。ながらくそういった気配を匂わさなかったので、すっかり忘れていたのだった。


 入社して二ヶ月たった頃、福山部長から会議室に呼び出された。


「新田さんの採用は実をいうと、債権回収責任者としての採用だったんです」


 売掛金担当の一担当者としての採用のはずであった。上役達は、新田をだましたのである。


 入社した当日から新田に対する加猛局長の言動がおかしかった。とにかく過賞かしょうするのである。新田が入社した日の業務終了後、加猛局長が酒飲みに誘って来たのでしぶしぶついて行くと、加猛局長は酒をつぎながら、「優秀だ、経験がある、高学歴だ」と、気持ち悪くなるほど褒めちぎる。しまいには「こんど、取締役と飲みに行くから」と言いだして、俺はおまえに対して特別に目をかけているという態度であった。契約社員の身分で取締役と飲みに行くということが、新田には理解出来なかった。また加猛局長は、新田を正社員にしてやると言うのである。愚昧ぐまいにも、巧みな言葉を操るこの伝道師の誘惑を、新田は信じてしまったのである。しかし、雇用契約書には正社員の登用については記載されていなかった。人事部にも確認してみたが、契約社員から正社員に登用した実績はなかったのであった。


 加猛局長は、誰も就きたくない部長職を、低賃金で契約社員の新田に就かせようとしていた。しかも悪辣あくらつなことに、契約社員という立場を利用しようとした。正社員であれば三年ほどで異動してしまうのだが、契約社員であれば、定年まで債権回収責任者に就かせることが可能となるのである。そのようなことは、求人票に記載するか、遅くとも面接の時に求職者に伝えなければならない。悪質な採用であった。


 せっかく低賃金で誰も就きたくない部長職を、定年まで勤めてもらえる人材を雇ったのに、癌の病気なんかで反故ほごにされてもらってはかなわない。そこで加猛局長は、新田の癌はたいしたことはない。癌になっても債権回収責任者になれるということを、職場の者に知らしめ、さらには新田に自覚を促していたのである。


 加猛局長は、新田の病気についてわざと職場の者に聞こえるように言いふらしていた。


 書類に社印を押印するためには、加猛局長の席に行かなければならない。新田が社印を押印しに行くと、決まって加猛局長は卑しい表情を浮かべながら言った。


「新田、もう癌は治っただろ。薬なんか飲まなくていいじゃないか。癌なんて酒飲んでりゃ治るだろ」


 新田は、加猛局長の胸倉をつかみかけたが懸命にこらえた。


 加猛局長は、新田に対して嫌がらせをしているのではなかったが、彼の発言は明らかにパワハラ行為であった。最大手のA新聞系列の広告会社で、まさかこのような卑劣な扱いを受けるとは思ってもいなかった。


 加猛局長から大腸癌について触れられるたびに、新田は不快な思いをする。


―この会社には長くいられないな―


 新田は、転職について真剣に考えはじめた。

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