商店街の神さま
林 晶
ショートショート・商店街の神さま
「商店街が元気だった昔と同じことは、できないよ。」
開口一番、商店街会長さんが言った。
「でもね、町内ごとに神様が違うのに、こっちの都合で一緒くたにお神輿を出したら、それは違うと思うよ。」
一生懸命食い下がる婆ちゃんに、パン屋の奥さんがつぶやく。
「ここの祭りは、観光客を呼ばないからねぇ…町内会費ではもう採算がねえ…」
「町内ごとにお神輿を一台づつ担げればいいけど、担げる人手が足りないんです。」
「それだってさ…」
婆ちゃんは口ごもる。三つの町内が合同でお神輿を担ぐ、一度には担げないから、毎年代わりばんこに担ぐ、そのアイディアがどうしても気に入らないのだ。高齢化して先細っていく商店街が祭りを維持するのは、たいへんなことだ。それでもなんとか続けたい、その気持ちだけで、みんなが集まっている。婆ちゃんも痛いほどわかっている。
「担ぎ屋さんを頼んだら、どうなんだろう?」
「ムリムリ。料金が高いし、中にはガラの悪いのもいるからね。」
「そうかい。あたしが担げればねぇ…」
「昔は奥さんたちもお神輿担いでたもんなぁ。」
「神様だって、事情はわかってくれるよ。三年に一度は俺の番だって、さ。」
婆ちゃんはそれ以上何も言わなくなり、祭りの相談は終わった。あとはごみ収集の曜日が変わるお知らせや、最近、ごみの分別がちゃんとしていない、という議題に移った。
会議の後半をじぃっと聞いていた婆ちゃんは、私と二人きりになると、寂しそうに言った。
「ちゃんと子供も育てて、仕事もして、税金も払ったのに、ここはどうしてこんなにさびれちゃったんだろうねぇ…」
私が小さい頃、婆ちゃんは大きな米屋をやっていた。その店はシャッターが閉まって久しい。婆ちゃんの両隣―砂糖問屋も、あられ屋も閉店した。細々とやっているのはパン屋さん、精肉店と八百屋、コンビニ…あと数件ぐらいだ。
今日はかつての町内会夫人部部長として、“お祭りについて大きな決定をするから、昔の町内会の役員もいちおう参加してくれ”と、婆ちゃんが出席を要請され、私はその付き添い参加だ。わざわざ呼び出された婆ちゃんだったが、この話はかなりきつそうだった。
こんなときだけでも、父さんが代わりに出てくれればいいのに。と思う反面、商店街の人たちが承諾を取りたいのは勤め人の父ではなく、やっぱり、かつての婦人部部長である婆ちゃんなのだろう。
私と婆ちゃんは昔から通っている小さな中華料理屋に入って、ラーメンとチャーハンを半分づつ分けて食べた。
「この店は、美味しいよねぇ。老人ホームのラーメンは柔らかくてさ。短いの。喉に詰めちゃう人がいるからだって。あたしにはこのラーメンじゃないとダメ。息子さんが継いでくれてほんとうにありがたいよ。」
婆ちゃんは店の奥の店主に向かって、ありがとうね、と声をかけた。いつもどうも、元気そうで何より、今日は外出日?と、ご店主が返事をする。
商店街の主人たちは、みんな婆ちゃんが小さい頃から可愛がってたおじさんやおばさんばかりだ。婆ちゃんはここのご店主も、赤ちゃんの頃からずっと知っている。おじさんも親戚のおばあちゃんみたいに話してくれる。
店を出て婆ちゃんと歩きながら、今日は老人ホームの玄関まで送ってあげたいなぁ、強くそんな気がした。それでも婆ちゃんは、日が暮れかかった停留所でヘルパーさんらしき人を見つけると、私の手を離して言った。
「ここでいいよ。」
「送っていくよ。」
「いやいや、女の子は暗くならんうちに帰んなさい。」
婆ちゃんは振り切るようにぱっぱっと手を振った。
路面電車が緩くカーブしながら、婆ちゃんの前に止まった。婆ちゃんはヘルパーさんに付き添われ、手を振りながらそれに乗り込む。少し胸がきゅっとする。また会う祭りの日まで、元気でいてね―
聞いたこともない不思議な病気が世界中で流行し始めたのは、それからすぐだった。この病気は老人や体力のない人を狙い撃ちにする、というニュースが流れ、老人ホームの出入りはとても厳しいものになった。家族も面会に行くことができず、本人が自宅に遊びに来ることもできない。
すぐに収まるかと思っていたこの病気は二年も猛威を振るい、スマホを使いこなせない婆ちゃんとは、ビデオ通話すらできなかった。ごくたまに向こうから電話がかかってくるが、その話す内容が少しづつあやふやになっていくのを感じながら、どうしようもなくただ相槌を打つしかなかった。
病気の流行で祭りも中止になった。婆ちゃんの商店街の祭りだけではない、日本全国の祭りという祭が、中止になってしまった。こんなことが起こるなんて、誰も予想していなかった。
病気が流行のピークを打った三年目の春先、ようやく、今年は神輿を出そうと決まった。そして今年の神輿は、婆ちゃんたちの町内の氏神様と決まった。だけどもうそのとき、婆ちゃんは寝たきりみたいになっていた。
「婆ちゃん、今年ね、お神輿出るよ。婆ちゃんの氏神様のお神輿だよ。」
「お神輿出るかい。」
「写真とか、動画とか、撮ってくるから。」
「…たのんだよ…」
婆ちゃんの会話はとても短く、以前のような生き生きとした口調はもう望めなかった。車いすに乗せて祭りの人ごみに婆ちゃんを連れ出すのも、やめておいた方がよさそうだ…。
祭りの当日、商店街の参加者受付を頼まれた私は、浴衣を着て朝早くから会場に出た。三つの町内会が合同開催する祭りは参加者も多く、受付の仕事もてんてこまいだった。コンビニのご主人から差し入れてもらった好物のラムネも、隙を見て喉に流し込むほどに忙しい。
「三つの町内が集まると、やっぱり大変だねぇ。だけどさ、賑やかでいいよねぇ。」
「そうですね。町内三つ、ってことは、お神輿と一緒に練り歩く距離も、前の三倍ってことですよね?」
「そりゃそうさ、そうじゃないと周りきれない家が出てきちゃうからね。婆ちゃんとこも、行くぜ。」
えっ、婆ちゃんのところ?でも婆ちゃんは家にはいないし…。そろそろ男衆は神輿の周りに集まる時間のようで、ご主人はタっと、いなくなってしまった。
「しまっていこぅい!」
町内会長さんが大声をあげる。
「声を出さんと!」
「おいさ!」
「もっと!」
「おいさ!」
「もっとだ!」
「おうー!」
しかし久しぶりの神輿は息がなかなかあわない。おいさ、おいさと声をあげて上下に神輿を振るが、何度か気勢を上げかけては神輿を下げることを繰り返した。
初めて一緒に担ぐ人たちとも、なんだか息があわないらしい。
「ほいさ、おいさ、ほいさ、おいさ」
「おい、おい、おい、おい」
よく聞くと、別の町内の人たちは掛け声が違う。数百メートルしか違わない地域なのに。それでもしばらくすると、おいさ、おいさと、神輿が荒々しく上下し始め、やがて人混みが一つになって揺れ始めた。
この町の神輿の魂振りは荒い。神様を乗せた神輿を担ぐと、いつもは温厚な町内の人たちが、別人のように一晩じゅう神輿を振り回し、神様が眠らないように叩き起こしながら、一軒づつ町内を周っていく。神様は振り回せば振り回すほど力が強くなってたくさんの願いをかなえてくれるのだと婆ちゃんが言っていた。それから婆ちゃんはニヤっとわらって、この商店街の子供は春生まれが多いんだよ、祭りから十月十日後だから、と言っていたのも思い出す。
そういえばうちのお父さんも春生まれか…。
神輿は長い時間をかけて三つの町内会のすべての地域を周っていく。すべての氏子の家に神様が降りて、悪を祓い、福を呼び込むように。
自宅前では父と母が玄関の前に立って手を合わせ、神輿を待っていた。私はその姿をスマホにおさめる。婆ちゃんに見せるためだ。中には手を合わせず後ろ手を組んで立ち、神輿に向かって藩笑いするだけの人もいる。それでもいいのだと婆ちゃんは言っていた。神様を笑顔でお迎えできれば。
やがて日が暮れ、神輿に提灯がともった。神輿の後ろについて練り歩く人々の手提灯を用意するのは私の仕事だった。LEDライトだから安全だけど、スイッチが小さく、暗がりで手探りで灯すのがたいへんだ。
提灯に照らされた行列の両脇には見物客がぽつぽつと続き、交通整理をするお巡りさんが交差点ごとに現れる。お神輿は家に着くごとに、おう、おうと激しく振り回される。夜が更け疲れるどころか、いっそう激しく魂振りをしながら気勢を上げる。
神輿は長い長い行列を終えて、商店街に戻ってきた。商店街の真ん中には軽トラックとライトバンが数台用意されており、神輿はそのトラックの上に据えられた。
「はい、乗って乗って。」
商店街の会長さん、コンビニ店主さん、パン屋の奥さん…知ってるおじさん、おばさんが皆、ライトバンに乗り込んで行く。よその商店街の人たちは、いってらっしゃいというふうな様子だ。
「あんたも早くおいで。」
「え?私も?」
トラックとバンが着いた先は、婆ちゃんのいる老人ホームの前だった。
商店街のおじさんたちは、手早く神輿を担ぐと、さっきよりは控えめな声でお神輿を振り始めた。面会時間も過ぎているし、婆ちゃんの部屋に直通電話もない。だけどホームの窓ごしには、涙を流して手を合わせる婆ちゃんがいた。「ありがとう、ありがとう」と言う声が私には聞こえた。
私はスマホのムービーを夢中でまわしながら、まだ神様にお願いをしていないことを思い出した。
―婆ちゃんがまた元気になりますように、この商店街が続きますように―この祭り―小さいし観光客も来ない、だけど町中の家々に神様を降ろす夏の夜を、続けていくことが、できますように―
婆ちゃんが看護婦さんに声を掛けられて部屋のカーテンが閉まる。
「いい祭りだった!」
商店街のおじさんたちはそう言って、笑顔で帰って行った。
商店街の神さま 林 晶 @LingJing
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