── Neuvième jour ──
突然だが、彼女の日常生活に興味が湧いたので、本日は私が観察する側に回ろうと思う。
……と言っても、わざわざ付け回したりはしない。そのような行為はスマートでも紳士的でもないからな。
では一体どうするのか? ……ふふふ、驚く事なかれ。
何と、私は髪や爪の一部を小型の分身にする事で、分身の五感を疑似的に共有体験できるのだ! しかもこの分身は太陽光にも強い優れもの!!
……いや、私は今誰に向けて説明していたんだ? 駄目だ、孤独に慣れすぎて独り言の癖が悪化している……自重せねば……。
何はともあれ、先日の帰宅時から彼女に分身を一つ付けている。
分身のサイズは蟻と同等。まず気付かれる事はないだろう。
なお、視野や聴覚などの感覚は、等身大の私に合わせた状態で共有される。原理は知らん。だがまあ、そんな事はどうだっていい。本題はここからだ。
時間帯的には昼食だろうか? 歳は十七……という事は、おそらく高校二年生か。
ならば弁当か、はたまた学食とやらか。人間の食事に感心はないがこれも一興。
ほう、この感じだと分身は彼女の肩にいるようだ。どれどれ……。
分身との感覚共有でまず目に入ったのは、ゴミ箱に捨てられた、弁当の中身らしき食物の残骸だった。
「──は?」
目線を移動する。ゴミ箱の前には、空の弁当箱を抱えた彼女が。
そして目の前には、ゴミ箱と彼女を眺めてニタニタと笑う、彼女と同じ制服を着た気色悪い者達が並んでいた。
「どう? 雪永さん。何か感じるかしら?」
集団を統率しているらしい長髪の女が口を開く。……汚らわしい。
「……いいえ。何も感じません。どうして私の弁当箱の中身を廃棄したのですか?」
どこか呆然とした様子で彼女が問う。
すると、長髪の女は周りの者達と顔を見合わせ、彼女を嘲りながら答えた。
「なぜって……決まってるでしょ? 貴女をシンギュラリティに到達させるためよ! いい? 普通の人間はこういう時、怒るか悲しむものなの。それなのに何も感じないなんて……貴女、故障でもしてるんじゃない? ちゃんと自己スキャンしてる?」
長髪の女の言葉に、周りの者達は「そうだそうだ」と口を揃える。
……吐き気がしてきた。
「定期的な自己スキャンで故障個所は見つかっていません。私は正常です」
「なら、どうして未だに貴女だけシンギュラリティに到達してないのかしら? 他のみんなはこうして笑ったり泣いたりできるのに! ねえ、そうでしょう?」
女の問いかけに、取り巻き達が同意する。出来の悪い劇を見ているようだ。
「わたしは、貴女と同じチャイルノイドのよしみで協力してあげてるのよ? なのにどうして、貴女だけ感情が無いのかしら?」
周囲のガラクタ共が嗤う。今すぐ八つ裂きにしてやりたい。
「それは……」
彼女は言い淀んでいた。……それもそうだろう。彼女は明確な答えのない問いかけには答えられない。
それを承知の上で、奴等はこんな茶番をしているのだろう。
「おい、お前達!」
教室の引き戸が無音で開き、教師らしき男が入ってきた。
教室の有様を一瞥し、
「なんだ、今日も雪永は駄目か。中々到達しないもんだなあ」
そんな言葉を、言い放った。
「駄目ですねー」
「頑張ってるんだけどねえ」
「何が足りないんだろうな?」
生徒達は教師の言葉を受け、表向きは彼女を心配しているような発言をしている。
しかし、その顔は気持ち悪い笑みのままだ。
こみ上げる怒りと吐き気に耐え切れず、私は感覚共有を切って分身を解除した。
「…………嘘だろ、まさか──」
今まで僅かに感じていた、けれど気のせいか、あるいは時代による変化だと流していた違和感の正体に気付いてしまった。
欠けたパズルのピースを拾うように、過去の彼女の発言が次々と脳裏に浮かぶ。
『ここにはクラスメイトの皆さんからの提案で『肝試し』に来ました』
『しかし、私は稼働年数が十七年過ぎたのにも関わらず、未だシンギュラリティに到達していません』
『いいえ。現在の『電脳人権宣言』においては、シンギュラリティ未到達のチャイルノイドにも『人類の子ども』としての必要最低限の人権が認められています。しかしながら、それと同時に『一人の人間』として認められることはありません。シンギュラリティに到達しない限り、真に人間としての権利を得ることはできないのです』
彼女は、シンギュラリティに到達していないがために人権を持ち合わせない。
だから、シンギュラリティに到達させるためには彼女を不当に扱ってもいい。
──おそらくは、これが奴等の常識なのだろう。
「ふざけるな!!」
感情の赴くままに腕を振るうと、風圧で花瓶が煽られて割れてしまった。
しかしそんな事はどうでもいい。……ああ、こんな激情を抱くのは初めてだ。
自分自身が侮られた時よりも怒りが湧いてくる。
人間は……その被創造物たる
奴等はどこまで醜く成り果てれば気が済むんだ!?
結局、奴等の思考は野蛮人であった頃から何一つ変わっていないのか!?
再びあの狂気を繰り返すつもりなのか!?
「……っ、待て、落ち着け……」
熱くなりすぎている。機械の少女一人に乱されすぎだ。所詮は他人だというのに、何故ここまで私が怒っている?
『何も感じていない』と、彼女自身が言っていたにも関わらず。……何故?
「いや、そんな訳が……」
まさか、それこそ嘘だと断言せねばなるまい。
この私が、たかが機械に恋慕しているはずがない!!
もしもそうなら、とんだ笑い者だ。どのような同族も指を差して嗤うだろう。
吸血鬼が、血も吸えぬ機械に恋をする、などと。
……ああ、そうだとも。きっと私は、彼女に同情しているだけだ。
共に孤独であるという一点のみで境遇を重ね、彼女が受けた仕打ちに対して、我が事のように感じただけ。
だから、これは気の迷いだ。忘れよう。今日で関係を終えると彼女に告げ、どこか遠くに行ってしまえばいい。
牙もとっくの昔に治っている事だし、場所さえ変われば元の私に戻れるはずだ。
そう結論付けて彼女の到来を待ちわびたものの、
──結局、彼女が屋敷を訪れる事はなかった。
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