第2話

 その瞬間、俺は二十年以上前のあの場所に戻っていた。


 時間は夜9時頃だっただろうか。先輩Aが親の黒いワンボックスカーを勝手に運転していた。先輩はまだ十七歳で免許を取れない年齢だったから、黙って借りて来たと言っていた。父親が県外に出掛けていないから、事故らなければばれないということだった。

 俺は当時、まだ十四歳で中学二年生だった。母親はスナックで働いていたけど、生活費が足りなくて生活保護を受けて市営住宅に住んでいた。母親が夜いないから一人で公園にいたら、同じ団地の先輩が話しかけて来て仲良くなり、一緒に遊ぶようになっていた。車を運転していた人とは別の人で、仮にBとする。

 

 あの夜、AとBが女とやりたいと言って、知ってる女の子に片っ端から電話していた。先輩たちはただ粋がっている田舎のヤンキーで、暴走族に入っているような本格的な不良ではなく、女と関わるチャンスがほとんどない連中だった。それに、どちらも見た目が不細工で彼女がいたことはなかった。今思えば、俺みたいな中学生とつるんでいることからも、ちょっと仲間から馬鹿にされる感じの人だったんだろうと思う。結局、Bは電話を掛けた全員に断られてしまっていた。多分、みな警戒してか、馬鹿にしてか先輩には近付かなかったんだと思う。


「小百合でいいんじゃね?ブスだけど」もう一人のCが言った。

「それ、さっき断られた」Aが答える。

「お前の姉ちゃんは?」と、俺と仲のよかったBが冗談で割り込んで来た。

 Aの姉ちゃんと言うのは、高校を中退してシングルマザーになって生活保護をもらって暮していた。尻軽で有名な人で、BとCとも関係を持ったことがあったらしい。

「殺すぞ!お前の妹出せ」

 その妹はまだ小学生だった。兄がヤンキーなのにごく普通の子で、そこで名前が挙がるだけで気の毒だと思っていた。数年後に見た時はヤンキーになっていたけど。俺は一人っ子で姉妹はいないけど、親族でも異性として見てしまうものなのかと複雑な気持ちで聞いていた。


 俺たちがそのまま車で走っていると、夜、11時頃になって、国道を一人で歩いている女の人を見つけた。白いワンピースを着ていたと思う。

「幽霊なんじゃねえか?」

「いいから。幽霊でも何でもいいって。後ろから二人で出てって無理矢理車に乗せろ」

 本当に幽霊だったら面白いなと俺は思っていた。しかし、近づいてみたら普通の人間だった。

「送ろうか?」運転していた先輩がその人に声を掛けた。


 その人はポシェットみたいな小さいバッグを肩に掛けていて、ヤンキーとかじゃなくて、普通の感じの人だった。多分、ちょっと友たちと飲んで遅くなったくらいだったんだろうと思う。

「いえ、いいです」明らかに警戒したような感じだった。

「暗いから危ないって」

 女の人は無視して歩き出した。すると、BとCの二人が車のドアを開けて、外に飛び出した。驚くべき素早さで、ものの数秒だったと思う。女性に掴みかかると無理矢理車に引きずり込んでしまった。女の人は驚いて逃げることも抵抗することもなく、あっさり車に乗って来た。その手際の良さに、俺は驚いたと同時に、先輩たちがいつも似たようなことをやっていると感じた。


「騒いだら殺すぞ!」


 女の人は恐怖でガタガタと震えていたのを覚えている。歯がカチカチ音を立てていて、そんな風に漫画みたいに大袈裟に震えている人を見たことがなかった。俺が目をそらしていると、やがて、ぷーんと尿の匂いが漂って来て、その人が失禁したのが分かった。先輩が臭いと言って、女性を引っぱたきながら怒っていたのを覚えている。

「あ~あ。親父にばれるわ」


 興奮するとかそんな雰囲気は全くなかった。そんな犯罪行為を目の当たりにして、俺もただ唖然としていただけだった。その後は一人づつ交代で女性を犯していった。


 屠殺場のように、その人のうめき声だけが車中に響いていた。もちろん、本当の屠殺場は知らないけど、死ぬ間際の動物はそんな風に絶望した声を上げる気がした。俺がそっちを見ると、女の人と目があった。

 目で「助けて」と訴えていた。

 女の人がボロボロになって泣いているのを見て俺はぼそっと言った。


「こんなことしたら警察に捕まるよ」


 俺が言ったのはそれだけだった。みんなが俺に早くとけしかけたけど、俺には無理だった。「いい」俺は断った。女の人が安堵したような気がした。弟みたいな年齢の中学生となんかやりたくないだろう。多分だけど、ちょっと俺に好感を持ってくれたに違いないと感じていた。


 先輩たちはその後、真っ暗な山の中まで車で行って、その人を置き去りにした。もちろん、その人は車を追って来なかった。強姦魔が乗ってる車より暗闇の方がましだっただろう。


 その後、俺たちは捕まるんじゃないかとはらはらしていた。

「続けてやると捕まるからやめよう」

 先輩たちはそれから大人しくなった。


 その女の人が行方不明になったことは地元では大事件になっていた。二十歳の真面目な女子大生で、親に今から家に帰るという電話をして、その後消息が途絶えてしまったから誘拐されたと思われていた。多分、地元の不良なんかに連れ去られたんだろうと警察も思っていたようだった。しばらくは地域総出で捜索されていたようだったが、半年以上経って、家から相当離れた山奥で遺体で見つかったそうだ。見つかった時は、すでに白骨化していたというが、結局は自殺として葬られてしまった。先輩がそれを聞いて喜んでいたのを覚えている。親は自殺するような子じゃないとしばらく警察に訴えていたようだけど、何も調べてもらえなかったんじゃないかと思う。事件を起こした側からすると、どうして自殺になるのかがわからないが、調べようがないからそういう結論で終止符を打ったのだろう。


 もしかしたら、山に置き去りにされた後、本当に自殺してしまったのかもしれない。俺も当時はその人のことを考えて夜も眠れないほどだった。でも、あの人は俺のことが好きだったはずだ。俺を頼って出てくるんじゃないか…。俺は繰り返しあの夜のことを夢で見てうなされた。

 しかし、時間が経つにつれてその人のことを思い出さなくなっていた。


***


「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」


 俺は土下座して泣きながら謝った。畳に額をくっつけて、子どもの頃親に怒られた時と同じくらい真剣に謝った。しかし、謝って許してもらえるわけがない。俺は助けなかったし、行方不明になった時に警察に知らせることもしなかった。どのくらい俺は泣きじゃくっていただろうか。

 気が付くとその女の人はいなくなっていた。ああ、よかった!!!

 夢だったのかと思った。

 

 しかし、後ろを向くと母親の死体が布団の上に転がっていた。これは現実だ。俺は母親に布団を掛けた。これからどうしたらいい?警察に行って、何食わぬ顔をして、俺に届いた不可解なメールの話を繰り返すか、朝起きたら母親が死んでたと言うか。


 それにしても、福生で女の人を誘拐した黒いワンボックスカーって何だったんだろうか。もしかして、先輩たちだろうか。まさか、まだ三人でつるんでいる訳がない!!!だって、もう全員亡くなっている。


 最初に亡くなったのは運転をしていたA。バイクの単独事故を起こし、即死だったそうだ。享年二十一歳で俺が少年院にいる間の出来事だった。


 次はB。俺を不良の道に誘った人で、根は悪い人ではなかったと思う。自殺だった。シンナーのやりすぎで頭がおかしくなった後、長年引きこもりのまま自宅で首を吊った。享年二十三歳。


 最後はC。自宅で親と口論になって刺されて亡くなった。享年二十五歳。


 仲が良かった三人が立て続けに亡くなったので、俺は呪いだと思っていた。俺だけが許されて今まで生きて来られた。


 俺は地元の暴走族に入ったから、先輩たちとは遊ばなくなっていた。喧嘩で相手に大けがを負わせてからは少年院に入り、出所後、保護司の人の紹介で今の会社に入った。せっかく生かしてもらったのに、これまで生きていていいことは何もなかった。十代以降、彼女がいたことはない。俺が少年院上がりだということは職場の人はみな知っているし、うちの会社に来る女の子はみな彼氏持ちばかりだった。

 そんなことはどうでもいい。

 今どうするかだ。

 人生最大のピンチだ。


 逃げるか、警察に相談するか。


 少年院の前歴があるから、親を殺害したということになったら次はどうなるだろうか。無期懲役?


***


 気が付いたら俺はキッチンに立っていた。

 俺の両手は母親の布団を剝いだ時の血が付いていて、ワイシャツにも少し色が移っていた。

「どうしよう…」

 俺が殺したと思われる!俺が殺したのか?まさか!

 当然だけど俺はやってない。

 でも、俺以外に誰があんな引きこもりのばばあを殺すだろうか?


 テーブルの上にはさっきまで俺が食べていた朝食が食べかけのまま放置されていた。朝のワイドショーがそのまま流れていて、もう出勤時間になっていた。


 傍らにスマホが置いてあった。


「助けてください」


 俺は会社の上司にメールを送った。

 この世に頼れる人なんか一人もいない。

 上司からすぐに返信があった。


「ふざけるな😡また仮病だろ?」


***


「あの野郎、今日は無断欠勤か」

 上司の男が苦笑いしていた。

「いい加減クビにした方がいいんじゃないですか?」

「なかなかクビにできないからさ。あいつ少年院上がりだし…逆恨みされると怖いからな」

「無断欠勤ってありえないですよね。今日、アポ入ってるのに」

「悪いけど代わりに行ってくれる?」

「でも…絶対〇村さん、怒りますよ」

「行かないと流れちまうから仕方ないって。俺がうまく言っとくからさ。いつ辞めるかと思ったら全然やめねぇからさ、仕事はできるからいいっちゃいいんだけど…」


*** 


 その日の夕方。テレビでは一斉に同じニュースが流れていた。


「速報です。今日午前、高尾山で起きた駐車場変死事件に関りがあると見られていた男性が自宅で首を吊っているところを発見されました。男性が住むアパートの別の部屋には、母親とみられる女性の遺体も発見されたということです。男性は、今日の午後、警察に呼び出しを受けており、男性が事件を苦にして無理心中を図ったとして現在捜査を進めています。」




 

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